遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『チェルノブイリの祈り 未来の物語』 スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波書店

2012-05-05 22:05:31 | レビュー
 講談師の神田香織さんが「チェルノブイリの祈り」という独演会をされているというのをYouTube(後掲)で知ったのは、先月4月の初旬だった。
そして、つい先日岩波現代文庫で本書が出版されているということを遅まきながら知り、読んでみた。

 1986年4月26日午前1時23分58秒、爆発が起こり、チェルノブイリ原発第4号炉の原子炉と建屋が崩壊した。そして、世界を震撼させ、20世紀最大の惨事となった。
それから10年経って、本書が出版された。本書が岩波書店から翻訳出版されたのは1998年12月(恥ずかしながら、知らなかった・・・・)、現代文庫の一冊として出版されたのが2011年6月である。
 本書は、チェルノブイリ原発事故に遭遇し体験した人々に著者がインタビューした結果をまとめたものである。リュドミーラ・イグナチェンコに対する著者のインタビュー結果をまとめた文章「孤独な人間の声」が冒頭に掲げられている。講談師神田香織の語りにはこの内容がまず採りあげられている。
そして、最後のところに、電柱にのぼり、からっぽの家や通りをまわり、移住させられた村の電気を切ってまわった事故処理作業者の妻、ワレンチナ・チモフェエブナ・パナセビッチの「孤独な人間の声」がまとめられている。このインタビュー内容の最後にこんな文章がある。
 ”私と夫の息子。息子は長いこと病んでいます。大きくなったんだけれど、子どもの目で世の中をながめている。五歳の男の子の目で。・・・ノビンキに精神病院があるから。息子はそこにいるんです。・・・・私は休みのたびに行きます。息子は出迎えてくれる。「ミーシャパパはどこにいるの?いつきてくれるの?」と。ほかにだれが、私にこんなことを聞いてくれます? 私と息子はいっしょに待ちます。私は、自分のチェルノブイリの祈りを小さな声で唱えながら。息子は、世の中を子どもの目でながめながら。”
 本書のタイトルは、この最後の言葉から来ているようだ。

 翻訳者のあとがきによると、著者は子供からお年寄りまで、様々な職業-原発の従業員、科学者、元党官僚、医学者、兵士、移住者、サマショールなど-の人々300人にものぼるインタビュー取材をして本書をまとめたそうだ。
 「見落とされた歴史について」という題で、著者は自分自身へのインタビューを載せている。本書で著者が伝えたかったことは、「チェルノブイリをとりまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについて」。つまり、「見落とされた歴史」「この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、なにを感じていたかということ」なのだという。「人は、あそこで自分自身の内に何を知り、なにを見抜き、なにを発見したのでしょうか? 自らの世界観に? この本は人々の気持ちを再現したもの」なのだという。
 著者は、こういう答え方もしている。「ベラルーシ人はチェルノブイリ人になった。チェルノブイリは私たちの住かになり、私たち国民の運命になったのです。」「チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。」「なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません」と。
 本書は、著者が「衝撃を受けた人、自分と事故とを対等に感じた人、じっくり考えている人」をさがして、インタビューした内容である。「一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です」という視点に立つ著者は、二つの真実-個人の真実と全体の真実-の両立を本書で模索している。チェルノブイリにより引き起こされたベラルーシ人自身の苦悩の歴史を記録しながら、人々から、「人間の命の意味」「私たちが地上に存在することの意味」をも聞き出そうとした記録である。事故の原因、責任の所在、事故対策の経緯などには触れられていない。人々がどう行動し、その時何を思い、その後そして今、何を考えているかという「見落とされた」側面の歴史的記録を試みているのだ。著者はこの書で人の尊厳について見つめているように感じる。
 自分自身へのインタビューの最後で、「何度もこんな気がしました。私は未来のことを記している・・・」と語る。副題「未来の物語」はここから名づけられたのだろう。

 「未来の物語」は、2011.3.11以降の福島第一原発事故により、未来の物語ではなく、「現在の物語」になった! インタビューの記録に記された内容は、フクシマで再び同じパターンが繰り返されているのだ、チェルノブイリ原発爆発事故時点以降の「未来」とは、フクシマの「現在」だった。それはこの記録を読んで感じるところである。共産主義と民主主義との体制は違うが、ある組織体制の中で人々がどのように行動したのか、情報とは何か、情報の伝播とは何か、無知とは何か、見えない放射能というものへの対処とは何か、人が人をどう受け止めるのか・・・・「見落とされている歴史」の記録を意図した本書の中に、フクシマの現実が重ねあわされてくる。私たちの現在が、現実が。何とよく似ていることか・・・・・

 本書には、チェルノブイリでの原発事故後の対応作業そのものの一部に触れている箇所が散見される。<p87、p90、p146-148、p151-152、p172-175、p186、p209-211>あたりである。現在のフクシマとは、現象面ではもちろんかなり違う。本書に記載された次元の対応作業がないか該当しない部分が大半であろう。しかし、本質的な局面で、そのスタンスと行動において類似の事象がありはしないか。また、測定値についての欺瞞にも、本書にはp178ほかで触れている箇所があった。測定値の記載あるいは公表における欺瞞もしくは作為性のある行為が現実にフクシマでも発生しているようだ。そんなこともネット情報に散見される。

 本書はフクシマからの新たな「未来の物語」の始まりに繋がり、重なってしまった。チェルノブイリ、フクシマ、いや世界の「未来の物語」に。
 この『チェルノブイリの祈り』から、「未来の物語」という視点でフクシマを考え直す必要が切実にあると感じる次第である。

 本書のインタビュー記録の章句には、心に響いてくるものが数多くあった。引用が多すぎるかもしれないが、お許し願いたい。

*夫たちは防水服をきないで行きました。シャツ1枚のまま出動したのです。警告はなかった。ふつうの火事だと呼びだされました。 p2

*私たちが体験したことや、死については、人々は耳を傾けるのをいやがる。恐ろしいことについては。でも・・・、私があなたにお話ししたのは愛について。私がどんなに愛していたか、お話ししたんです。 p28

*ぼくのもっとも恐怖に満ちた体験は子ども時代、戦争です。・・・・忘れてしまいたかった。なにもかも忘れてしまいたい。忘れかけていたんです。ぼくが体験したもっとも恐ろしことはもう過去のこと、戦争なんだと思っていました。
 しかし、ぼくはチェルノブイリの汚染地にでかけた。すでに何回も。そこで、自分が無防備であることを理解したのです。ぼくは崩壊しつつある。過去はもうぼくを守ってはくれない。  p37-38

*すっかり思い出しますよ。村の衆はでていき、イヌやネコが置いていかれた。最初のころ私は歩きまわってみんなに牛乳をやり、イヌにはパンを食べさせた。みんな自分の家のそばで飼い主を待っとりました。長いこと待っとりましたよ。  p42

*ぼくの娘が死んだのは、チェルノブイリが原因なんだと。ところが、ぼくらに望まれているのは、このことを忘れることなんです。  p49

*わしらを恐れているんだよ。汚染されているっていわれているから。 p53

*ぼくはもう死はこわくない。死そのものはね。しかし、ぼくはどんなになって死ぬんだろう。友だちは死ぬとき、むくんで腫れた。樽のように大きく。・・・・
 ぼくらは孤独です。よそ者なんです。埋葬されるのもはなれたところ。みんなと同じようにはしてもらえない。宇宙のどこかからきたエイリアンのように。アフガンで戦死すればよかったよ。正直いって、そんな思いにとらわれるんです。あそこじゃ、死はありふれたことで、理解できることでした。  p91

*私の娘、あの子はほかの子とちがうんです。大きくなったら私にたずねるでしょう。
「どうして私はみんなとちがうの?」 p93

*事故の話でもちきりでした。家、学校、バスのなかで、通りで。ヒロシマと比べていた。でもだれも信じていませんでした。わけのわからないことを信じることはできませんよね? 理解しようとどんなに努力してがんばってみても、結局わからないんですもの。私が覚えているのは、町をはなれるとき、空がまっ青だったこと。 p120

*なにかの実験が進んでいるという気持ちから私は解放されません。もう解放されることはないでしょう。  p122

*だれもなにひとつ理解していなかった。これがいちばん恐ろしいことです。放射線測定員がある数値をいう、新聞に載るのは別の数値だ。ははーん、ゆっくりとなにかがわかりかける。  p124

*放っておいてください、みなさん。私たちはここでくらさなくちゃならないんだ。あなた方はちょっと話して帰っていくが、私たちはここでくらさなくちゃならない。・・・私はこの子らの不幸を売り物にはしたくない。哲学的理屈をこねるのもごめんだ。放っておいてくださいよ。みなさん。私たちはここでくらさなくちゃならんのです。 p132

*ぼくらは科学の研究材料なんですよ。国際的な実験室です。ぼくら1000万人のベラルーシ国民のうち、200万人以上が汚染された土地でくらしている。悪魔の巨大実験室です。データの記録も実験も思いのままですよ。  p140-141

*説明のつかない死が多かった。突然死です。 p161

*平和な原子力に殺されることがあるなんて、私たちにはまだ納得できないことでした。物理の法則の前で人が無力だなんて。 p169

*旧ソ連の各原発の金庫には事故処理プランがおさめられていました。標準的プランで、極秘扱いです。このプランがないと発電所を稼働する許可が得られないのです。事故の何年もまえのこと、プラン作成のモデルとなったが、まさにこのチェルノブイリ発電所だったのです。なにをいかになすべきか、責任者はだれか、どこにいるべきか、と細部にわたっています。そして、とつぜん、このチェルノブイリ発電所で大惨事が起きた。これはどういうことなんだろう。  p181-182

*くり返し聞かされたのは「すべて順調だ。恐ろしいことはなにもない。ただ食事のまえには手を洗うように」。私はすぐにはわからなかった。何年かたってわかったんです。犯罪や、陰謀に手をかしていたのは私たち全員なのだということが。・・・・ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。 p189-190

*少し前に新聞に載っていましたが、1993年にはわがベラルーシだけで、20万人の女性が中絶をしたそうです。第一の理由はチェルノブイリです。ぼくらはいたるところ、この恐怖とともに生きている。
  p191

*すべては起こってしまったのに、情報はいっさいありませんでした。政府は沈黙し、医者はひとことも語ろうとしませんでした。・・・・長い長い鎖。その先端ですべてを決定していたのは数人の人間です。私たちは身を守るすべがなかったのです。 p203

*最近、私の娘がいいました。「ママ、私、もし障害児を生んでもやっぱり愛してやるわ」。考えられます? 娘は10年生ですが、もうこんなことを考えているんです。・・・・知人に男の子が生まれたんです。待望の赤ちゃんでした。はじめての。若い美男美女のカップル。でも、男の子はくちが耳までさけ、耳がなかった。私は彼らのところに行きません。以前のように行くことができないのです。娘はちがう、しょっちゅう寄っています。行きたがるのです。じろじろ見ているんだか、自分のこととして考えているんだか。
 ここをはなれてもよかったんですが、夫といろいろ考えたすえに止めました。こわかったんです。ここでは私たちみんながチェルノブイリの被災者です。・・・・ところが、よそではどこでも私たちはのけ者にされる。<チェルノブイリの人々><チェルノブイリの子どもたち><チェルノブイリの移住者>。もうすっかりおなじみのことばです。   p217

*戦後、私はドイツの強制収容所から戻りました。生きのびたんです。当時は生きのびることだけが必要でした。私は水の代わりに雪を食べた。・・・この子どもたちは雪を食べることができない。どんなにきれいでも、どんなに白くても。  p223

*あなたはお忘れなんですよ。当時、原子力発電所は未来だったのです。われわれの未来だったのですよ。私は昔の人間です。犯罪者ではない。  p229

*ミンスクには700kgのヨウ素剤が用意されていたが、倉庫に眠ったままでした。上の怒りを買うことのほうが、原子力よりもこわかったんです。だれもが電話や命令を待つだけで、自分でなにもやろうとしませんでした。 p243

*これもやはり一種の無知なんです。自分の身に危険を感じないということは。私たちはいつも<われわれ>といい<私>とはいわなかった。<われわれはソビエト的ヒロイズムを示そう>、<われわれはソビエト人の性格を示そう>。全世界に!でも、これは<私>よ!<私>は死にたくない、<私>はこわい、チェルノブイリのあと、私たちは<私>を語ることを学びはじめたのです、自然に。  p253

*私は党員ではありませんでしたが、やはり、ソビエト人なのです。「同士諸君、煽動に躍らされないでください!」とテレビが夜も昼もがなりたてると、疑いは消えていくのです。   p253

*チェルノブイリから帰って、どんなふうに死んでいくか、おたずねになるんですか? 私の愛した人、わが子であっても、これ以上には愛せないというほど愛した人は、みるみるうちに変わっていった。怪物に・・・・。 p276

*チェルノブイリが全地球的問題になるのに1週間もかからなかったのである。p292

*「石棺」と呼ばれる4号炉の鉛と鉄筋コンクリートの内部には、20トンほどの核燃料が残ったままになっている。今日そこでなにが起きているのか、だれも知らない。・・・今日、いくつかのデータによれば隙間と亀裂の総面積は200平方メートル以上になり、そこから放射性アエロゾルが噴き出しつづけている。
 石棺は崩壊するのだろうか? この問いにもだれも答えることができない。いまだにほとんどの接合部分や建物に近づくことができず、あとどれくらいもつのか知ることができない。しかし、石棺が崩壊すれば1986年以上に恐ろしい結果になることはだれの目にも明らかである。  p293


 本書の引用文が、あなたの琴線にふれ、本書を手にとって開いてみるきっかけになれば幸です。

ご一読ありがとうございます。

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 2011年3月の福島第一原発爆発事故以降、その事実を知りたいために、ネット検索をずっと続けてきている。そのプロセスで、チェルノブイリに関する様々な情報を入手してきた。すべてを読みこなし、理解できているわけではない。しかし、事実情報がないと、考えることもできないし、大本営発表的欺瞞に騙されてしまう。情報を取捨選択し、重ね合わせて、自分として考えを深めていくことから始めるしかない。そこから始まるのだ。
 以下は、この1年余にネット検索で入手した情報を少し整理したリストである。
 知らなかったこと、無関心に近かったことに触れ、知り、愕然とした1年余だった。

チェルノブイリの祈り01.mov :YouTube
チェルノブイリの祈り02 :YouTube

チェルノヴイリの祈り(導入部) 演者・神田香織 :YouTube
 立体社会派講談 @天草ポルトにて収録(2010.08.28)

講談 神田香織「チェルノブイリの祈り」から
原発停止・壊憲阻止!国民投票法の撤廃を求める5.18集会
2011年5月18日 池袋、豊島公会堂で

Cloud Of Lies - evolution du nuage radioactif de tchernobyl par le Sergent ( 26 avril 1986 )
 これはチェルノブイリ原発事故の放射能拡散状況のシュミレーション動画

チェルノブイリの真相~ある科学者の告白~
 イギリス BBC放送制作

国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)
Maps of radionuclide deposition  放射能汚染地図
チェルノブイリ事故についてのウェブサイト(英文)
 ここから、チェルノブイリ事故犠牲者の放射線被曝に関する各種報告書にアクセスできます。
UNSEAR 2008 REPORT 当該委員会の英文報告書 2011年2月に発表されたもの
 2008報告書(附属書D)「チェルノブイリ原発事故による放射線健康影響」

the UNSCEAR 2010 Report: "Summary of low-dose radiation effects on health"

原子力資料情報室(CNIC) 2011.4.22掲載
2011/4/22 CNIC News チェルノブイリ原発事故について(動画)

チェルノブイリ原発事故「何が起きたのか」 今西哲二氏

ダイヤモンドオンライン 【DOL特別レポート】
「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」
 チェルノブイリ事故処理班の生存者が語る
  凄惨な過去と放射能汚染への正しい危機感

ワイアード テクノロジー のサイトから
「チェルノブイリの今 - 死の森か、エデンの園か」その1
 この記事から、その2~その4にリンクして連載を読めます。
 同その2
 同その3
 同その4

チェルノブイリに学ぶ:放射能の遮断は可能か  2011年4月 1日
チェルノブイリ:「100年保つシールド」の建設  2011年4月 4日

チェルノブイリ・子供絵画展
ベラルーシの子供が描いた絵「チェルノブイリの災い」

CNN News 2011.4.21報道 
Chernobyl's 25-year shadow (チェルノブイリの25年・影) Matthew Chance氏 CNN
 13枚の写真を冒頭で見られます。

国際原子力機関(IEAE) 2011.4.21掲載
CHERNOBYL 25 Years, 25 Stories (チェルノブイリ 25年・25の物語) 写真と英文

Greenpeace のウェブサイトから
Chernobyl, 25 years later (チェルノブイリ25年後) 18ページの英文レポート

フランスのIRSNのサイトから(以下の3つ)
Chernobyl 25 years on(「チェルノブイリ以降25年」)実質42ページの冊子 英語版

チェルノブイリ後の仏独共同研究の成果の一つのようです。
Final conclusions on the Franco-German initiative (IFA) for Chernobyl launched in 1996
Study on radioecological consequences  (PDF file, 6.7 Mo)
  英語・仏語・独語・露語の4カ国語で記された資料

Study on health impacts (PDF file, 3.8 Mo)

「哲野イサクの地方見聞録」サイトから
(2012.1.20掲載) <参考資料>
アップル・ペクチンによる“チェルノブイリ”チルドレンの生体内のセシウム137負荷の軽減
(Reducing the 137Cs-load in the organism of “Chernobyl” children with apple-pectin)
2012.1.8 <参考資料> 
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生
人口統計上の大惨事-チェルノブイリ事故の影響、特にセシウム137 
その3ユーリ・バンダシェフスキーら、科学的真理のために弾圧された人々

(2012.1.6掲載) <参考資料> 
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生
人口統計上の大惨事-チェルノブイリ事故の影響、特にセシウム137 その2
(2012.1.2掲載) <参考資料>
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生
人口統計上の大惨事-チェルノブイリ事故の影響、特にセシウム137 その1【追加】

<参考資料> チェルノブイリ事故後25年:未来へ向けての安全 (英語)
  -ウクライナ政府緊急事態省報告-
Twenty-five Years after Chornobyl Accident: Safety for the Future

 上記報告書について、日本文での紹介記事
<参考資料> 放射線生態学上の問題 -ユーリ・バンダジェフスキー 2008年
「この記事は、バンダジェフスキー論文の翻訳を目的としたものではない。この論文の中で彼が主張していることを、私自身(注:哲野氏)が理解するための記事だ」

<参考資料> 子どもたちの臓器におけるセシウム137の慢性的蓄積
  (Chronic Cs-137 incorporation in children’s organs)
  哲野氏によるバンダジェフスキーの論文の引用・解説記事


「チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト」から
 暫定訳が公開されています。
 ・ 前書き 
 ・はじめに 
 ・序: チェルノブイリについての厄介な真実
 ・第5節 (6) 尿生殖路の疾患と生殖障害
 ・第5節 (7) 骨と筋肉の疾病
 ・第13節 チェルノブイリの放射性核種を除去する

 このサイトで、349ページの原書もダウンロードすることができます。英文の報告書です。
 "Cernobyl 
  Consequences of the Catastrophe for People and the Environment
"
Alexey V. Tablokov, Vassily B. nesterenko, Alexey V. Nesterenko 共著
 
Peace Philosphy Center のウェブサイトから
Thursday, September 29, 2011
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y・バンダシェフスキー教授 Non-cancer illnesses and conditions in areas of Belarus contaminated by radioactivity from the Chernobyl Accident: Prof. Yuri Bandashevsky
 図2.8 ベラルーシの死因構成、2008年[訳注:外部要因とは事故・犯罪死など]
 は講演の中で使用されたグラフです。
 図2.12も同様です。
 ここから、pdfファイルにダウンロードできます。上記ページに記載されていました。

ウクライナ・ナショナル・レポート【抜粋訳・その1】  画面で   pdfファイルで
 「チェルノブイリ」女性ネットワーク/市民科学研究室低線量被曝研究会
  吉田由布子氏
 
国際環境NGOグリーンピースのサイトから
25年を経て繰り返されたレベル7原発事故 チェルノブイリと福島

今西哲二氏の発言

3/18京大原子炉ゼミ4「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二1/2
3/18京大原子炉ゼミ5「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二2/2
2012.1.23  「(1991年5月)IAEA国際チェルノブイリプロジェクト報告に対する反論」技術と人間 1992年9月号 今中哲二・訳
2012.1.14 「福島原発事故とチェルノブイリ原発事故による放射能放出と汚染に関する比較検討」2011年11月 今中哲二
2012.1.14 「チェルノブイリ」を見つめなおす-20年後のメッセージ 今中哲二・原子力資料情報室 2006年
2012.1.8 「“100ミリシーベルト以下は影響ない”は原子力村の新たな神話か?」 今中哲二 岩波「科学」2011年11月号
2012.1.8 「福島原発事故にともなう飯舘村の放射能汚染調査報告」今中哲二・遠藤暁・菅井益郎・小澤祥司 岩波「科学」2011年6月号
2012.1.8 「チェルノブイリ原発事故による『死者の数』と想像力」今中哲二 岩波「科学」2006年5月号
2012.1.8 「低線量放射線被曝とその発ガンリスク」今中哲二 岩波「科学」2005年9月号

早川由起夫の火山ブログから
フクシマとチェルノブイリの比較(改訂版 2011.12.9)放射能汚染地図

『チェルブイリ』50回取材の広河隆一氏の福島原発報告1  2011/05/04 にアップロード
広河隆一氏の語る2-福島とチェルノブイリの比較原発事故論  2011/05/04 にアップロード

チェルノブイリ 福島への教訓は・・・
報道発ドキュメンタリ宣言 2011-07-30, from Japan

国立がん研究センターがウェブサイトから
チェルノブイリ事故の放射線の健康影響について
 1) チェルノブイリ後20年 -放射線防護の立場から-(PDF:161KB)
     原文はこちら(PDF:234KB)
 2) 「国連科学委員会報告2008年チェルノブイリ事故の放射線の健康影響について
   (PDF:421KB)
 
Paul Fusco Chernobyl Lragacy  
チェルノブイリの子供たち もたらされた影響・その事実の写真

YouTube掲載動画から 2007~2011年にアップロードされたものです。

cernobil チェルノブイリ
チェルノブイリ原発 隠されていた事実1
Chernobyl Project
Chernobyl
В память о погибших в Чернобыле
Люди-мутанты в Чернобыльской зоне/
People mutants in Chernobyl zone
cernobil. Дети мутанты. Слабонервным не смотреть !!! часть 2
28 days later chernobyl
Chernobyl 14/03/2011

チェルノブイリ・ハート :ウィキペディア

「阿修羅」のサイトから
チェルノブイリハート:福島なら翌年から、東京なら4-5年後から、脊柱側弯症・多指症・兎唇などの奇形児と堕胎の増加

Chernobyl Children's Project International:From Wikipedia

Adi Roche's Chernobyl children international


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