沖縄には一度仕事で出張したことがある。残念ながら観光を兼ねる時間がなかった。本書で少し、タモリ流の沖縄を読んで楽しむことにした。松山で連想するのは、お城と正岡子規。お城はきっちりかぶさったが、正岡子規は直接には出て来ず、俳句に関わる文化の一面で重なってきておもしろい。熊本はその番組放送の日付をみて、あの熊本地震の発生前の放映だと知った。「放送された番組の内容のまま記載。いつの日か復旧をはたす熊本城、その本来の記録です」という冒頭のメッセージに、改めて熊本地震を思い起こしてみた。着実に復旧されることを祈念する。
本書には「松山・道後温泉」(2016年1月30日放送)、「沖縄」(2016年2月6日/3月5日放送)、「熊本」(2016年3月19日/4月2日放送)が収録されている。震度7の熊本地震が発生したのは2016年4月14日だった。一方、本書が2016年12月に出版された3年後、2019年10月31日に沖縄の首里城で火災が発生、正殿・北殿など6棟が焼失した。テレビでの報道を見て驚いた。首里城も速やかに復元されることを祈念する。
本書の基本構成コンセプトについて繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
*ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
*番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
*番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
*同行アナウンサーの番組裏話 本書は桑子真帆さんのトーク(熊本が最後の回)
である。
「タモリのつぶやき」が新しいカメラを買いましたという話から始まる。「ブラタモリ」であれだけ崖や岩脈、キワ・段差を見ていたら記録に残したくなるだろうな・・・・。
地図と現地写真とイラスト図などを巧みに組み合わせながら、番組の雰囲気を漂わせつつ軽い語り口調で進展して行く本文。やはり読みやすい。ブラブラ歩き、ぶっつけ本場でタモリさんが発見したこと学んだことの要点は何か。例によって、読後印象と私の覚書を兼ねて以下ご紹介したい。
<松山> テーマ 四国一の街・松山はどうできた?
松山市の人口が本書時点で約51万5000人、四国最大の都市ということを初めて知った。その松山は戦国武将の加藤嘉明が松山城を建てるまでは、荒れ地だったという。石手川という暴れ川を制したことが現在に至る発展要因の一つだとか。当時の土木工事力が印象的だ。
*松山城は現存する12天守のひとつ。現在の天守は安政元(1854)年の再建。
*松山城の東に石手川の氾濫による洪水を防ぐための巨大な土手(堤防の役割)を築く。
*石手川の上流に岩堰(いわぜき)を作る。江戸時代初期に河底の岩盤をノミで掘り下げた。
川底を深くした距離は200mに及ぶ。期間1年の人力工事。石くず1升と米1升の交換策。
*松山銀天街にある湊町という地名。元灌漑用水として作られた中の川。今は暗渠に。
三津港で荷物を船に乗せ陸から引いて運び、湊町が荷揚げ場になり商業の中心地に。
*松山の玄関口三津は城下町から直線距離で5km。町屋の地域には間口10m、奥行60m余の家も。
*江戸時代には、藍玉を扱う商人が集住。伊予絣が特産。商人たちが町屋を形成。
*三津には松山城主のための「茶屋」があった。藩主の参勤交代の折りの玄関口。
*三津の商家(問屋)の裏庭に藩主の駕籠置き石。藩主は庶民と俳句で交流したという。
藩主自らが俳句を奨励した。それが後に正岡子規などの俳人を生み出す土壌に。
*三津は古代から発展した地域。「御津」と書いたという説も。周辺に3世紀半ばの古墳も。
*正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐は松山出身。松山で「俳句甲子園」。夏井いつき在住。
<道後温泉> テーマ 道後温泉100万人の湯はどうできた?
*道後温泉本館は明治27(1891)年、源泉があった場所に建築された。今は松山市が管理する公衆浴場。
入浴コースは4つ。基本は「神の湯」。明治38(1905)年に年間入浴者数100万人達成。
*3000年の歴史を誇る日本最古の温泉。3000年前既に人が居住していたという。
聖徳太子が道後に来訪。
「伊豫温湯宮」という行宮が道後温泉近くにあったという説もある。
『伊予国風土記』逸文、『日本書紀』に諸天皇の道後来訪記録。『源氏物語』にも。
*道後公園内(湯築城跡)に奈良時代に作られたという湯釜が保存されている。
*湯築城は河野氏の城、南北朝(14世紀前半)~戦国時代(16世紀末)まで約250年。
道後温泉を取り込むように建てられていた。道後温泉を湯築城城主が管理。制札あり。
*石手寺は四国八十八箇所霊場第51番札所。創建は奈良時代728年。修行の場かつ温泉の旅籠。
*道後温泉の熱源は地熱で非火山性。山と平地のキワの断層の真上に道後温泉本館が所在。
*道後湯之町初代町長伊佐庭如矢が道後温泉への集客戦略として道後温泉本館を建設。
地元の人々が協力し銀行融資の抵当に不動産を提供。代わりに入浴の永代終身優待券の権利を獲得したという。
伊佐庭如矢は、さらに、道後温泉~松山中心部~三津をつなぐ鉄道を敷く。
*松山の俳句文化の源流に時衆の一遍の存在。道後の宝厳寺の生まれ。時衆僧たちは連歌の指導者でもあった。連歌の発句がのちに俳句に。
<沖縄>
テーマ1 王都・首里はサンゴでできている?
このテーマでわかるように、首里城の建造物-残念ながら6棟が火災で焼失-とその内部ではなく、首里城の立地する地形環境に焦点があたっている。なぜここに首里城が築かれたのか。おもしろいアプローチである。
*首里城は1879(明治12)まで約450年続いた「琉球王国」の城。貿易が盛んだった。
*守礼門には、中国皇帝から下賜された「守禮之邦」の額が掲げられている。
*2000(平成12)年に世界遺産に登録されたのはかつての城の遺構部分が評価されたため。
*城壁・石垣が曲線的である。「相方積み」(五角形や六角形の石を組み合わせる)の技法を使う。崩れにくく美しい積み方。民家の石垣や道路に今も使われている技法。
*首里城のある沖縄本島南部は、1000m以上の厚さのある泥岩の上に、琉球石灰岩がのっている地層。琉球石灰岩は50万年くらいまえのサンゴ樵からできたもの。多孔質で水を通しやすい。隆起により高台として残った地形で「残丘」と称される。
*首里城には10を超える御嶽が存在していたといわれる。「首里森御嶽(すいむいうたき)が城のできる前からあり、それが首里城の名前の由来となった。
*高台の首里城にある枯れたことがない湧き水「龍榧」は泥岩と琉球石灰岩の2つの層のキワ(境界)が露出した箇所になる。
*沖縄では坂道のことを「平」とも「坂」ともいう。語源は『古事記』に出てくる「よもつひらさか」にあるとか。
*水を生かした伝統の味噌・醤油づくりと泡盛 ⇒「玉那覇味噌醤油」「瑞泉酒造」
琉球王朝は首里の三箇(赤田・崎山・鳥堀)地域の40軒だけに泡盛づくりを許可した。
*泡盛の語源は、アルコール度数が高いと泡がよく発生する、つまり泡が盛ることから。
*泡盛はもろみをつくるのに黒麹菌を使う。長年月熟成した泡盛を「古酒」と言う。
*造り酒屋の主たちは護身術として首里発祥の空手を習得。売上げを狙う強盗への対策。
*琉球王家が継承してきた湧き水を引いてきて水を蓄える施設「佐司笠樋川」(松山御殿跡)が現存する。
テーマ2 那覇は2つある?
那覇の地質・地形と立地を追跡することで、沖縄の苦難の歴史も浮かびあがってくる。
*古き那覇は、琉球王国において貿易で栄えた港町で琉球石灰岩でできた島にあった。
沖縄では岩礁を「ナー」という。ナーのある場所だから「ナーバ」。それが「ナハ」に
島のヘリだった巨岩の上に神社「波上宮」がある。神社の奥に御嶽がある。
中国からの渡来人は島に集落を作り「久米村」を形成。「天尊廟・天妃宮」(道教)
オールド那覇と王都・首里を結ぶのが長紅堤(ちょうこうてい:海中の浮道)だった。
*オールド那覇は終戦後、米軍に軍港として接収され立入禁止区域になった。
「十・十空襲」で那覇の90%は破壊され焦土に。終戦直後、市民のほとんどが収容所暮らしをしいられたという。
*復興産業は食器づくり(壺屋地域)から始まる。ニュー那覇のは、壺屋から牧志、開南地域に人々が居住し、街が広がっていくことから始まる。「公設市場」はヤミ市から発達した。
*「国際通り」の名は終戦の3年後にできた映画館「アーニーパイル国際劇場」に由来。
*「むつみ橋通り商店街」はガーブ川の上に立つ「水上店舗」 ⇒水害対策と土地活用
*戦後のニュー那覇は戦後70年を過ぎ、今やオールド那覇に。迷宮状の商店街を形成。
おもろまち地域が新たなニュー那覇となっている。
<熊本>
テーマ1 熊本城は”やりすぎ城”?
やりすぎ感のある城の縄張りがやはりおもしろい。写真と図の併用が生きる。
*熊本城は加藤清正が慶長4(4599)年頃築城を初め、本丸のほぼ完成が慶長12(1607)年
面積98万㎡(東京ドームおよそ21個分)、石垣総面積 7万8800㎡。日本の城郭の最大級
*加藤清正の銅像は勇猛果敢だが、肖像画は神経質で心配性な雰囲気が漂う。
熊本城の防備は万全を期すための”やりすぎ”と思える工夫が随所に。⇒島津氏を意識
*枡形、6連続の曲がり角、闇り御門、空中雪隠の謎、小天守下の石門
城下町には碁盤の目の区画毎にその中央部に寺を配置。掘と土塁の組み合わせで囲む
薩摩街道を熊本城内経由で通過させ豊前街道につなぐ。城の偉容を見せつけて威嚇?
テーマ2 ”火の国”熊本は”水の国”?
熊本が日本有数の”水の国”だったとは! 加藤清正の存在感が一層強くなる。
*熊本の台地は阿蘇の火砕流堆積物。軽石や火山灰から成り、水を通しやすいのが特徴。 川には台地のキワからふんだんに湧き水が出てくる。「水前寺成趣園」の池も湧水池
*「健軍水源地」には日本最大級の自噴井戸「健軍5号井」をはじめ11本の井戸がある
熊本市の地下水を含む地層(帯水層)は2層になっている。第2帯水層の水が噴き出す
*大正13(1924)年の通水開始以来、熊本市は水道の水源のすべてに地下水を利用
*清正は熊本城築城にあたり、白川の流れを直線化した。一方、蛇行部分が坪井川と合流
2本の川に分けることで内堀と外堀に見立て防御にも役立てた。城下町の拡大にもなる
*白川の中流域で「鼻ぐり井手」と称される工夫を農業用水路の一部区間に取り入れる。
12kmの用水路中の400mほどの区間。高さ2mほどの穴の開いた壁で仕切られている。
この穴の形が牛の鼻輪(はなぐり)に似ていることからこの名がついたという。
人工的に渦を発生させ、火山灰が沈殿せずに流れる工夫 ⇒自然の自動除灰システム
*祇園橋付近で坪井川と白川が再度合流するのを防ぐ「石塘(いしとも)」を築堤
この石積みの堤防上は道路で、南へ350mほど延びる。治水と同時に坪井川を灌漑用水に。
石塘には北から島津が攻め入った際の防衛の意図があったと考えられるとか。
私流に要約すると大凡こんな知識と情報を学べたことになる。これらが、わかりやすい流れでビジュアルに写真や地図、イラスト図を使いながらイメージしやすく語られて行く。その妙味が読みどころ、楽しみどころである。
お読みいただきありがとうございます。
本書に関連して関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
松山城 ホームページ
松山城周辺地図 e~よまちナビ :「松山市」
俳句甲子園 全国高等学校俳句選手権大会 ホームページ
道後温泉本館 公式サイト
伊佐庭如矢 :ウィキペディア
道後温泉本館の改築と伊佐庭如矢の偉業 :「松山市」
沖縄の歴史 ホームページ
首里城公園 ホームページ
首里城火災から1年、再建へ思い募る YouTube
世界遺産・首里城で火災 写真特集 :「JIJI.COM」
首里城火災 :「朝日新聞DIGITAL」
史跡リスト :「首里あるき」
佐司笠樋川 :「那覇市観光資源データベース」
沖縄焼物ふるさと壺屋 ホームページ
那覇国際通り商店街 ホームページ
熊本地震 (2016年) :ウィキペディア
熊本城 公式サイト
水前寺成趣園 ホームページ
水道のしくみ 健軍水源地 :「熊本市上下水道局」
No.068 「 加藤清正の創った歴史的遺構 鼻ぐりのヒミツ 」 :「もっと、もーっと!くまもっと。」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』 角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』 角川書店
本書には「松山・道後温泉」(2016年1月30日放送)、「沖縄」(2016年2月6日/3月5日放送)、「熊本」(2016年3月19日/4月2日放送)が収録されている。震度7の熊本地震が発生したのは2016年4月14日だった。一方、本書が2016年12月に出版された3年後、2019年10月31日に沖縄の首里城で火災が発生、正殿・北殿など6棟が焼失した。テレビでの報道を見て驚いた。首里城も速やかに復元されることを祈念する。
本書の基本構成コンセプトについて繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
*ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
*番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
*番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
*同行アナウンサーの番組裏話 本書は桑子真帆さんのトーク(熊本が最後の回)
である。
「タモリのつぶやき」が新しいカメラを買いましたという話から始まる。「ブラタモリ」であれだけ崖や岩脈、キワ・段差を見ていたら記録に残したくなるだろうな・・・・。
地図と現地写真とイラスト図などを巧みに組み合わせながら、番組の雰囲気を漂わせつつ軽い語り口調で進展して行く本文。やはり読みやすい。ブラブラ歩き、ぶっつけ本場でタモリさんが発見したこと学んだことの要点は何か。例によって、読後印象と私の覚書を兼ねて以下ご紹介したい。
<松山> テーマ 四国一の街・松山はどうできた?
松山市の人口が本書時点で約51万5000人、四国最大の都市ということを初めて知った。その松山は戦国武将の加藤嘉明が松山城を建てるまでは、荒れ地だったという。石手川という暴れ川を制したことが現在に至る発展要因の一つだとか。当時の土木工事力が印象的だ。
*松山城は現存する12天守のひとつ。現在の天守は安政元(1854)年の再建。
*松山城の東に石手川の氾濫による洪水を防ぐための巨大な土手(堤防の役割)を築く。
*石手川の上流に岩堰(いわぜき)を作る。江戸時代初期に河底の岩盤をノミで掘り下げた。
川底を深くした距離は200mに及ぶ。期間1年の人力工事。石くず1升と米1升の交換策。
*松山銀天街にある湊町という地名。元灌漑用水として作られた中の川。今は暗渠に。
三津港で荷物を船に乗せ陸から引いて運び、湊町が荷揚げ場になり商業の中心地に。
*松山の玄関口三津は城下町から直線距離で5km。町屋の地域には間口10m、奥行60m余の家も。
*江戸時代には、藍玉を扱う商人が集住。伊予絣が特産。商人たちが町屋を形成。
*三津には松山城主のための「茶屋」があった。藩主の参勤交代の折りの玄関口。
*三津の商家(問屋)の裏庭に藩主の駕籠置き石。藩主は庶民と俳句で交流したという。
藩主自らが俳句を奨励した。それが後に正岡子規などの俳人を生み出す土壌に。
*三津は古代から発展した地域。「御津」と書いたという説も。周辺に3世紀半ばの古墳も。
*正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐は松山出身。松山で「俳句甲子園」。夏井いつき在住。
<道後温泉> テーマ 道後温泉100万人の湯はどうできた?
*道後温泉本館は明治27(1891)年、源泉があった場所に建築された。今は松山市が管理する公衆浴場。
入浴コースは4つ。基本は「神の湯」。明治38(1905)年に年間入浴者数100万人達成。
*3000年の歴史を誇る日本最古の温泉。3000年前既に人が居住していたという。
聖徳太子が道後に来訪。
「伊豫温湯宮」という行宮が道後温泉近くにあったという説もある。
『伊予国風土記』逸文、『日本書紀』に諸天皇の道後来訪記録。『源氏物語』にも。
*道後公園内(湯築城跡)に奈良時代に作られたという湯釜が保存されている。
*湯築城は河野氏の城、南北朝(14世紀前半)~戦国時代(16世紀末)まで約250年。
道後温泉を取り込むように建てられていた。道後温泉を湯築城城主が管理。制札あり。
*石手寺は四国八十八箇所霊場第51番札所。創建は奈良時代728年。修行の場かつ温泉の旅籠。
*道後温泉の熱源は地熱で非火山性。山と平地のキワの断層の真上に道後温泉本館が所在。
*道後湯之町初代町長伊佐庭如矢が道後温泉への集客戦略として道後温泉本館を建設。
地元の人々が協力し銀行融資の抵当に不動産を提供。代わりに入浴の永代終身優待券の権利を獲得したという。
伊佐庭如矢は、さらに、道後温泉~松山中心部~三津をつなぐ鉄道を敷く。
*松山の俳句文化の源流に時衆の一遍の存在。道後の宝厳寺の生まれ。時衆僧たちは連歌の指導者でもあった。連歌の発句がのちに俳句に。
<沖縄>
テーマ1 王都・首里はサンゴでできている?
このテーマでわかるように、首里城の建造物-残念ながら6棟が火災で焼失-とその内部ではなく、首里城の立地する地形環境に焦点があたっている。なぜここに首里城が築かれたのか。おもしろいアプローチである。
*首里城は1879(明治12)まで約450年続いた「琉球王国」の城。貿易が盛んだった。
*守礼門には、中国皇帝から下賜された「守禮之邦」の額が掲げられている。
*2000(平成12)年に世界遺産に登録されたのはかつての城の遺構部分が評価されたため。
*城壁・石垣が曲線的である。「相方積み」(五角形や六角形の石を組み合わせる)の技法を使う。崩れにくく美しい積み方。民家の石垣や道路に今も使われている技法。
*首里城のある沖縄本島南部は、1000m以上の厚さのある泥岩の上に、琉球石灰岩がのっている地層。琉球石灰岩は50万年くらいまえのサンゴ樵からできたもの。多孔質で水を通しやすい。隆起により高台として残った地形で「残丘」と称される。
*首里城には10を超える御嶽が存在していたといわれる。「首里森御嶽(すいむいうたき)が城のできる前からあり、それが首里城の名前の由来となった。
*高台の首里城にある枯れたことがない湧き水「龍榧」は泥岩と琉球石灰岩の2つの層のキワ(境界)が露出した箇所になる。
*沖縄では坂道のことを「平」とも「坂」ともいう。語源は『古事記』に出てくる「よもつひらさか」にあるとか。
*水を生かした伝統の味噌・醤油づくりと泡盛 ⇒「玉那覇味噌醤油」「瑞泉酒造」
琉球王朝は首里の三箇(赤田・崎山・鳥堀)地域の40軒だけに泡盛づくりを許可した。
*泡盛の語源は、アルコール度数が高いと泡がよく発生する、つまり泡が盛ることから。
*泡盛はもろみをつくるのに黒麹菌を使う。長年月熟成した泡盛を「古酒」と言う。
*造り酒屋の主たちは護身術として首里発祥の空手を習得。売上げを狙う強盗への対策。
*琉球王家が継承してきた湧き水を引いてきて水を蓄える施設「佐司笠樋川」(松山御殿跡)が現存する。
テーマ2 那覇は2つある?
那覇の地質・地形と立地を追跡することで、沖縄の苦難の歴史も浮かびあがってくる。
*古き那覇は、琉球王国において貿易で栄えた港町で琉球石灰岩でできた島にあった。
沖縄では岩礁を「ナー」という。ナーのある場所だから「ナーバ」。それが「ナハ」に
島のヘリだった巨岩の上に神社「波上宮」がある。神社の奥に御嶽がある。
中国からの渡来人は島に集落を作り「久米村」を形成。「天尊廟・天妃宮」(道教)
オールド那覇と王都・首里を結ぶのが長紅堤(ちょうこうてい:海中の浮道)だった。
*オールド那覇は終戦後、米軍に軍港として接収され立入禁止区域になった。
「十・十空襲」で那覇の90%は破壊され焦土に。終戦直後、市民のほとんどが収容所暮らしをしいられたという。
*復興産業は食器づくり(壺屋地域)から始まる。ニュー那覇のは、壺屋から牧志、開南地域に人々が居住し、街が広がっていくことから始まる。「公設市場」はヤミ市から発達した。
*「国際通り」の名は終戦の3年後にできた映画館「アーニーパイル国際劇場」に由来。
*「むつみ橋通り商店街」はガーブ川の上に立つ「水上店舗」 ⇒水害対策と土地活用
*戦後のニュー那覇は戦後70年を過ぎ、今やオールド那覇に。迷宮状の商店街を形成。
おもろまち地域が新たなニュー那覇となっている。
<熊本>
テーマ1 熊本城は”やりすぎ城”?
やりすぎ感のある城の縄張りがやはりおもしろい。写真と図の併用が生きる。
*熊本城は加藤清正が慶長4(4599)年頃築城を初め、本丸のほぼ完成が慶長12(1607)年
面積98万㎡(東京ドームおよそ21個分)、石垣総面積 7万8800㎡。日本の城郭の最大級
*加藤清正の銅像は勇猛果敢だが、肖像画は神経質で心配性な雰囲気が漂う。
熊本城の防備は万全を期すための”やりすぎ”と思える工夫が随所に。⇒島津氏を意識
*枡形、6連続の曲がり角、闇り御門、空中雪隠の謎、小天守下の石門
城下町には碁盤の目の区画毎にその中央部に寺を配置。掘と土塁の組み合わせで囲む
薩摩街道を熊本城内経由で通過させ豊前街道につなぐ。城の偉容を見せつけて威嚇?
テーマ2 ”火の国”熊本は”水の国”?
熊本が日本有数の”水の国”だったとは! 加藤清正の存在感が一層強くなる。
*熊本の台地は阿蘇の火砕流堆積物。軽石や火山灰から成り、水を通しやすいのが特徴。 川には台地のキワからふんだんに湧き水が出てくる。「水前寺成趣園」の池も湧水池
*「健軍水源地」には日本最大級の自噴井戸「健軍5号井」をはじめ11本の井戸がある
熊本市の地下水を含む地層(帯水層)は2層になっている。第2帯水層の水が噴き出す
*大正13(1924)年の通水開始以来、熊本市は水道の水源のすべてに地下水を利用
*清正は熊本城築城にあたり、白川の流れを直線化した。一方、蛇行部分が坪井川と合流
2本の川に分けることで内堀と外堀に見立て防御にも役立てた。城下町の拡大にもなる
*白川の中流域で「鼻ぐり井手」と称される工夫を農業用水路の一部区間に取り入れる。
12kmの用水路中の400mほどの区間。高さ2mほどの穴の開いた壁で仕切られている。
この穴の形が牛の鼻輪(はなぐり)に似ていることからこの名がついたという。
人工的に渦を発生させ、火山灰が沈殿せずに流れる工夫 ⇒自然の自動除灰システム
*祇園橋付近で坪井川と白川が再度合流するのを防ぐ「石塘(いしとも)」を築堤
この石積みの堤防上は道路で、南へ350mほど延びる。治水と同時に坪井川を灌漑用水に。
石塘には北から島津が攻め入った際の防衛の意図があったと考えられるとか。
私流に要約すると大凡こんな知識と情報を学べたことになる。これらが、わかりやすい流れでビジュアルに写真や地図、イラスト図を使いながらイメージしやすく語られて行く。その妙味が読みどころ、楽しみどころである。
お読みいただきありがとうございます。
本書に関連して関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
松山城 ホームページ
松山城周辺地図 e~よまちナビ :「松山市」
俳句甲子園 全国高等学校俳句選手権大会 ホームページ
道後温泉本館 公式サイト
伊佐庭如矢 :ウィキペディア
道後温泉本館の改築と伊佐庭如矢の偉業 :「松山市」
沖縄の歴史 ホームページ
首里城公園 ホームページ
首里城火災から1年、再建へ思い募る YouTube
世界遺産・首里城で火災 写真特集 :「JIJI.COM」
首里城火災 :「朝日新聞DIGITAL」
史跡リスト :「首里あるき」
佐司笠樋川 :「那覇市観光資源データベース」
沖縄焼物ふるさと壺屋 ホームページ
那覇国際通り商店街 ホームページ
熊本地震 (2016年) :ウィキペディア
熊本城 公式サイト
水前寺成趣園 ホームページ
水道のしくみ 健軍水源地 :「熊本市上下水道局」
No.068 「 加藤清正の創った歴史的遺構 鼻ぐりのヒミツ 」 :「もっと、もーっと!くまもっと。」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』 角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』 角川書店