遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『玄鳥さりて』 葉室 麟  新潮社

2018-05-02 09:41:49 | レビュー
 著者は、ひとつの和歌を基軸に据えて物語を紡ぎ出していくというスタイルの小説を幾つも創作している。この作品もその系統に入るように思う。
   吾が背子と二人し居れば山高み
   里には月は照らずともよし
 『万葉集』に収録されているこの歌(巻六-1039)がこの小説の基軸となり、ストーリーの底流を形作る。

 この小説を読み初めて知った言葉であるが、タイトルに使われている「玄鳥」とは燕のことである。改めて辞典を引くと「燕の異名」(『広辞苑』)と出ている。
 この小説は九州、蓮乗寺藩内における藩主の有り様と藩内での派閥争いに巻き込まれていく三浦圭吾と樋口六郎兵衛が中心的な登場人物となる。そして「燕」に仮託されていくのが樋口六郎兵衛である。
 ストーリーは、書院番となっている三浦圭吾が、島流しとなっていた樋口六郎兵衛が帰国するということを聞き、回想する場面から始まって行く。なず回想を通じ二人の関係が明らかになる。
 圭吾は少年の頃、城下の林崎夢想流正木道場に通っていた。六郎兵衛は道場では8歳年上の先輩。圭吾の家は150石、20歳を越していた六郎兵衛は30石の軽格故に、本来なら親しくなる関係はない。しかし、道場では精妙随一と言われる六郎兵衛が13歳だった圭吾に声を掛け、圭吾を稽古相手にすることを好んだのである。六郎兵衛が圭吾を好んで稽古相手にすることから、「六郎兵衛の稚児殿じゃ」という噂が立つ。圭吾14歳の夏、城下の道場の年少の門人たちのいがみあいから、大野川で集団決闘することになる。このとき、多田道場の若者が真剣を抜く。そこに六郎兵衛が仲裁に入り、己が工夫した<鬼砕き>という技で、稽古用の長剣で若者たちの剣を折り跳ばしてその場をおさめてしまう。それを契機に、圭吾は六郎兵衛を信奉するようになる。圭吾は道場での稽古に励み、正木道場では六郎兵衛に続き、「正木道場の隼」と称される程の使い手に育っていく。
 大野川河原での決闘沙汰から5年後、圭吾は正木道場の門人たちと月の名所である葛ケ原での月見に出かける。そこにふらりと六郎兵衛が現れる。この機会に圭吾は六郎兵衛がなぜ圭吾を親切に扱ってくれるのかと質問する。それに対して、「わたしは三浦殿を、友だと思っているということです」と六郎兵衛は恥ずかしげに答えたのである。そして、冒頭にご紹介した和歌を不意に詠じ、「聖武朝の官人、高丘河内の和歌でござる。友との宴で詠んだものでしょう。至極、親しいあなたと二人でいるので、高い山が遮って月がこの里を照らさないとしても、かまいはしないという意でしょうか。親しい友と酒を酌み交わして長い夜を語り合う時は月の光も恋しくはない、と詠ったのです」と圭吾に語った。そして、六郎兵衛は、秋に妻を娶ることを圭吾に告げる。
 この月見が思わぬ事件に二人を巻き込んでいく。城下の津島屋に押し込み強盗が入り、銀子を奪い、ひとり娘をかどわかして大野川沿いに逃げたのを役人達が追っていたのである。正木道場の門人たちは探索の力添えをすることになる。そして、六郎兵衛が強盗達に追いつき、ひとり娘を助けるのだが、遅れてその場に加わった圭吾に娘を救ったのは圭吾だということにしてほしいと頼まれる。5年前の事件以降、普請方に務める六郎兵衛は除け者にされているので、富商の娘を助けたとなると、妬み、嫉みの種になることを恐れるからという。だが、これが思わぬ機縁となり、圭吾はこの津島屋の娘を娶ることになる。
 蓮乗寺藩の藩士として、圭吾と六郎兵衛の歩む道は大きく隔たって行くが、幾度かの交わりが重なって行く。その交わりを支えるのは和歌に託された「友」としての思いである。
 圭吾は津島屋のひとり娘・美津を娶り、家老の今村帯刀の派閥に引き入れられ、勘定方に取り立てられる。武士として陽のあたる道を歩み始める。圭吾と美津は琴瑟相和し子供にも恵まれていく。一方、六郎兵衛は同じ普請方の桑島の娘千佳を娶るが、藩士としては陰でひっそり生きる立場となる。武術好きの藩主永野利景の要望で諸国武者修行者との他流試合に引き出され、その相手をする羽目になる。試合に勝つことで不意に注目を浴びるが、逆に六郎兵衛のそのときの発言が藩士の反感を買うことになる。六郎兵衛はさらに千佳が病を患い、その治療の為の金の工面に苦労する。津島屋に借金を断られて、次席家老沼田に頼ったためにその派閥に属さざるを得なくなる。
 圭吾と六右衛門は、両者が剣技に優れることから派閥間の抗争に巻き込まれ、対立する立場で交点ができていく。六郎兵衛は家老今村暗殺への刺客として使われる立場になり、それが後に島流しの刑をうける因となっていく。島から戻った六郎兵衛は労咳を患っていた。圭吾は、一時期、六郎兵衛を自宅に匿う立場にもなる。
 家老の今村が隠退し次席家老だった沼田が主席家老になると、同時に圭吾は勘定奉行という異例の抜擢を受ける。抜擢されたことが逆に、圭吾を危うい立場に立たせることになる。今村の派閥を圭吾が引き継ぐという立場に立たされるのだ。それがまず確執を生み出す因になる。また、勘定奉行として役目をきっちりと果たそうとする圭吾は、知らぬ間に触れては成らぬ問題領域に自ら踏み込んでしまう。それは藩主が絡む問題だった。
 圭吾と六右衛門は再び、剣技で交わらざるを得ない巡り合わせに追い込まれて行く。
 六郎兵衛、病みたりといえども剣技は圭吾を上回る。圭吾自身が六郎兵衛と真剣で立ち合えば勝てるとは思っていない。六郎兵衛は圭吾を常に友として扱う。友を守り抜くという姿勢を崩すことはない。二人がどういう状況に陥っていくのか、このプロセスが、このストーリーの読ませどころといえる。

 六郎兵衛が圭吾を友として扱い、和歌を詠じた。その和歌に絡まる密かな記憶、六郎兵衛が12歳だったときから始まった体験が秘められていたのである。事の発端はここにあった。友を守り抜くという思いが深く貫かれていくストーリーである。
 これは、葉室麟の描き出す心情世界を味わう一冊である。

 奥書を見ると、2016年7月号から2017年3月号の「小説新潮」に連載されたと記されている。2018年1月20日に単行本として発行された。つまり、葉室麟没後の翌月の発刊である。

 ご一読ありがとうございます。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『津軽双花』  講談社
『草雲雀』  実業之日本社
『日本人の肖像』  聞き手・矢部明洋   講談社
『草笛物語』  祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26