アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
現在工程表作成中

私がマレーシアへ行く理由

2008-01-18 21:24:13 | 1995年3月マレーシア
私の弟はそこそこ有名な電機メーカーに勤務している。
奥さんと娘が一人の3人家族。
1994年は弟にとって念願のマイホームが完成する年だった。
ところが・・・

弟が3年という期限でマレーシアに駐在を命じられたのは、マイホーム着工開始の直前だった。
彼はマイホーム完成を見ることなくまずは単身赴任でマレーシアに旅立った。
奥さんは新居の完成を見届けた後、新居に住むことなく娘と共に彼のいるマレーシアへ行った。
企業って社員に厳しいね。

弟は出向という形の駐在であるにもかかわらず給与は現地会社のベースだった。
破格の待遇だったようで、マレーシアでは家政婦を雇えるほどの高い給与だ。
実際、その3年で家族と海外旅行にも結構行ったようだ。
ただ残念なことに‘現地では’破格だったということだ。
給与は現地の通貨払いで、日本円に換算すると日本でもらっていた額の半分だったのだ。
マイホームはローンを組んで建てたから、当然毎月の返済が来る。それも日本円で。
企業って社員に厳しいね。

しかも、出向だから会社に籍はあるはずだがその間の3年は退職金の計算に入らないそうだ。
企業って本当に社員に厳しいんだね。


車窓からアブバカールモスクを撮る

新居の件で可哀想と思ったのと子連れの海外生活を心配したのか
海外旅行の経験のない父と母が落ち着いたら顔を見にマレーシアまで行くという。
その前に偵察ということで私たち夫婦が長男を連れて行くことになった。
マレーシアという国はこんなこと(弟の駐在)でもなければ行くことはないだろうし・・・
当時はマジでそう考えていた。

航空券は弟に現地で買ってもらった。(シンガポール航空)
宿泊は基本的に弟宅で途中2泊をシンガポールのホテルにとってもらった。
1995年3月末のことである。