2015/01/06(火)曇り後晴れ 河口から元陽へ
今日は元陽へ出発するので、7時半に宿を出た。市内バスでバスターミナルに早めに向った。ターミナルに着き切符を貰って居ると、元陽か?と聞く人が居た。彼がバスまで案内してくれた。様々な行き先のバスが並んで居て、元陽行きは19人乗りのマイクロバスだった。案内した彼は駅の係員かと思ったら、運転手だった。中国のバスは定員制で、立ち席は乗れない決まりで、以前山奥の村に行った帰りのバスが、席がなく乗れないと言われた事があった。今回は15人程で満席では無かった。フランス人の若者二人が一緒だった。

元陽行き

乗車券
河口を出て高速に入る時に検問所があり、身分証をチェックする兵士が入ってきた。外国人だけはパスポートを記載する為持って行った。これに時間がかかり10分程待たされた。兵士も私だけでなく、あちこちの入国印が押して有るので、ひっくり返し見ているので、余計時間がかかった。
新街という所で高速を降りた。しかししばらく高速の下を並行して走り、蛮耗で高速から分かれた。ここは金平の分岐でもある。しばらく紅河に沿って渓谷を進むと、冷墩と言う所にダムが在り、その先はダム湖が広がり魚の養殖筏が点々と浮かんでいた。渓谷の斜面はバナナの畑が広がっている。上の方は焼畑をして居る様な所も見られた。

紅河に沿って進む

途中少数民族の親子が乗って来た

蛮耗のジャンクション

ダム湖の上流
昼過ぎに紅河の橋を渡ると、ハニ族の元陽県に入った。間もなく賑やかな街に出た。元陽の南沙だった。ここまで途中、乗客を拾うので短い停車は有ったが、トイレ休憩は無かった。南沙はバス駅の前だったので、トイレを探したが中だと言うので我慢した。

元陽(南沙)

南沙バスターミナルの路線図
バスの終点は新街鎮と言う街で、南沙から九十九折の山道を1時間程登った所だった。途中清水が出て居る所で止まり、埃を被ったバスの洗車の為の停車だった。乗客も山道なのでこれ幸いと道路脇に入り、用を足しに降りて行った。私もようやくトイレをする事が出来た。山肌に幾つかの集落が現れ、あれが終点かと何度も思わされた。

南沙の街を見下ろす

洗車、トイレ休憩
新街鎮は尾根上の大きな街で、その外れの方にバスターミナルがありそこが終点だった。時刻は午後2時だったので、5時間の旅だった。しかし同じルートで出発が1時間遅いバスに途中追い越されたりした。此方のバスが古い所為だったか?
今日は此処まで飲まず食わずで来たので、この街で泊まろうかと考えた。しかし周りは棚田らしきものは見えない。元陽の世界遺産になった棚田を見に来たので、そこはまだこの先の様だった。バスを降りてここから出るバスを見ていると、その棚田で有名な多依樹(Dou Yi Shu)行きのバスがあるでは無いか。しかしそこに宿があるかどうか不安もあった。兎に角思い切って乗ってしまった。乗客は地元の少数民族の人で、街まで買い物に来た人達の様だった。生きた鶏も一緒に乗っていた。出発時間になっても荷物だけ有って、来ない人が居る。それを待つやら、呼びに行くやらで中々スンナリ出発出来なかった。新街鎮からカーブが続く道を1時間ほど進む。途中の村落近くには棚田が見えてきた。通り過ぎた幾つかの村々にも、宿屋の看板があり宿の心配はなさそうで、一安心した。

新街鎮から多依樹行きバス

車内

途中生村で買い物休憩
ここが多依樹と言われ降りようとすると、何か口々に言って居るが分からない。兎に角目的地なので降りてみた。家の立ち並ぶ方に行くと、あちこちに宿屋が林立して居た。その半数が建築中か最近建てた物の様だ。世界遺産に成って、観光客目当てに雨後のタケノコの様に出来たらしい。目に付いた宿に泊まれるか聞くと、OKだった。入ってみると現在まだ一部内装中の宿だった。一泊100元(\2000)と少し高めだが、その位はするだろうと思っていたので泊まることにした。

多依樹


哈尼の家と言う宿

屋上からの眺め
飲まず食わずで来たので、食事とビールを注文して一息ついた。食後眼下に棚田が見えるので、展望台に行ってみた。しかし展望台は有料なので、脇から水牛の通り道を降り棚田を一望できる場所に行った。今稲の時期ではないが、眺めを良くする為に水が張ってある。正に絶景。田植えした時の景色はそれは素晴らしいだろう

宿で飯を作って貰う

宿から棚田が見えた

多依樹の村

バス停


展望台ゲート


世界遺産の哈尼族の棚田
今日は元陽へ出発するので、7時半に宿を出た。市内バスでバスターミナルに早めに向った。ターミナルに着き切符を貰って居ると、元陽か?と聞く人が居た。彼がバスまで案内してくれた。様々な行き先のバスが並んで居て、元陽行きは19人乗りのマイクロバスだった。案内した彼は駅の係員かと思ったら、運転手だった。中国のバスは定員制で、立ち席は乗れない決まりで、以前山奥の村に行った帰りのバスが、席がなく乗れないと言われた事があった。今回は15人程で満席では無かった。フランス人の若者二人が一緒だった。

元陽行き

乗車券
河口を出て高速に入る時に検問所があり、身分証をチェックする兵士が入ってきた。外国人だけはパスポートを記載する為持って行った。これに時間がかかり10分程待たされた。兵士も私だけでなく、あちこちの入国印が押して有るので、ひっくり返し見ているので、余計時間がかかった。
新街という所で高速を降りた。しかししばらく高速の下を並行して走り、蛮耗で高速から分かれた。ここは金平の分岐でもある。しばらく紅河に沿って渓谷を進むと、冷墩と言う所にダムが在り、その先はダム湖が広がり魚の養殖筏が点々と浮かんでいた。渓谷の斜面はバナナの畑が広がっている。上の方は焼畑をして居る様な所も見られた。

紅河に沿って進む

途中少数民族の親子が乗って来た

蛮耗のジャンクション

ダム湖の上流
昼過ぎに紅河の橋を渡ると、ハニ族の元陽県に入った。間もなく賑やかな街に出た。元陽の南沙だった。ここまで途中、乗客を拾うので短い停車は有ったが、トイレ休憩は無かった。南沙はバス駅の前だったので、トイレを探したが中だと言うので我慢した。

元陽(南沙)

南沙バスターミナルの路線図
バスの終点は新街鎮と言う街で、南沙から九十九折の山道を1時間程登った所だった。途中清水が出て居る所で止まり、埃を被ったバスの洗車の為の停車だった。乗客も山道なのでこれ幸いと道路脇に入り、用を足しに降りて行った。私もようやくトイレをする事が出来た。山肌に幾つかの集落が現れ、あれが終点かと何度も思わされた。

南沙の街を見下ろす

洗車、トイレ休憩
新街鎮は尾根上の大きな街で、その外れの方にバスターミナルがありそこが終点だった。時刻は午後2時だったので、5時間の旅だった。しかし同じルートで出発が1時間遅いバスに途中追い越されたりした。此方のバスが古い所為だったか?
今日は此処まで飲まず食わずで来たので、この街で泊まろうかと考えた。しかし周りは棚田らしきものは見えない。元陽の世界遺産になった棚田を見に来たので、そこはまだこの先の様だった。バスを降りてここから出るバスを見ていると、その棚田で有名な多依樹(Dou Yi Shu)行きのバスがあるでは無いか。しかしそこに宿があるかどうか不安もあった。兎に角思い切って乗ってしまった。乗客は地元の少数民族の人で、街まで買い物に来た人達の様だった。生きた鶏も一緒に乗っていた。出発時間になっても荷物だけ有って、来ない人が居る。それを待つやら、呼びに行くやらで中々スンナリ出発出来なかった。新街鎮からカーブが続く道を1時間ほど進む。途中の村落近くには棚田が見えてきた。通り過ぎた幾つかの村々にも、宿屋の看板があり宿の心配はなさそうで、一安心した。

新街鎮から多依樹行きバス

車内

途中生村で買い物休憩
ここが多依樹と言われ降りようとすると、何か口々に言って居るが分からない。兎に角目的地なので降りてみた。家の立ち並ぶ方に行くと、あちこちに宿屋が林立して居た。その半数が建築中か最近建てた物の様だ。世界遺産に成って、観光客目当てに雨後のタケノコの様に出来たらしい。目に付いた宿に泊まれるか聞くと、OKだった。入ってみると現在まだ一部内装中の宿だった。一泊100元(\2000)と少し高めだが、その位はするだろうと思っていたので泊まることにした。

多依樹


哈尼の家と言う宿

屋上からの眺め
飲まず食わずで来たので、食事とビールを注文して一息ついた。食後眼下に棚田が見えるので、展望台に行ってみた。しかし展望台は有料なので、脇から水牛の通り道を降り棚田を一望できる場所に行った。今稲の時期ではないが、眺めを良くする為に水が張ってある。正に絶景。田植えした時の景色はそれは素晴らしいだろう

宿で飯を作って貰う

宿から棚田が見えた

多依樹の村

バス停


展望台ゲート


世界遺産の哈尼族の棚田