岩木山の北麓、鰺ヶ沢町の山田野地区に菜の花畑があり、見学者が訪れる
ようになった。
山田野は戦後の開拓地である。
戦後開拓は、食糧増産、外地からの引揚者を収容するなど重要な政策
だった。
当初の開拓地では、主要な畑作物の一つが菜種で、春、菜の花畑が
いたるところで見られた。
農政は変遷し、畑作物は輸入で賄われ、開田が大々的に行われた。
開拓政策は昭和45年に廃止され、同時に減反政策がスタートした。
経済成長が都市労働者の需要を増大させて、開拓地は離農が相次いだ。
菜の花 畜舎などの廃屋が目につく。
山手にある和開開拓地。10余戸住んでいる。 水田で稲作はされず
この田んぼではアスパラガスが作付されていた。
これから厳しい食糧難の時代がくるかも知れない大災害。
これからは日本の農業をもっと活かしていかなければいけないのではないでしょうか?