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『孟子』巻第十四盡心章句下 二百三十三節、二百三十四節、二百三十五節、二百三十六節

2019-09-04 10:20:39 | 四書解読
二百三十三節
孟子は言った。
「真に名誉を願う人は、その為なら兵車千台を有するような国でも譲ることが出来る。苟くもそうでない人は、一わんの食べ物や一杯の汁物という粗末な食べ物でも争い、利欲の心をむき出しにするものである。」

孟子曰、好名之人、能讓千乘之國。苟非其人、簞食豆羹見於色。

孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」

<語釈>
○「好名之人~」、趙注:不朽の名を好む者は、千乘を輕んず、子臧・季札の儔(たぐい)、是れなり、誠に名を好む者に非ざれば、簞食豆羹を争い、色を變じ、之を訟い禍を致す、鄭の子公、指を黿(本来別字であるが、義は同じでスッポンのこと)羹に染むるの類、是れなり。他説もあるが、趙注に従って解釈をする。

<解説>
ここで言われている「好名」とは、単なる目立ちたがり屋の名誉ではない。この時代「名」というのは非常に重く大切なものである。「好名」の根底には「行道」があると思う。故に道の為なら、千乘の国も讓ると解釈してもよいだろう。


二百三十四節
孟子は言った。
「仁者や賢者を信じて用いなければ、国は人材がおらず、人がいないのも同然となる。国に礼義が無ければ、上下の関係が乱れてしまう。政治政策が正しくなければ、無理な税の取り立てや浪費で、国の財政は足らなくなる。」

孟子曰、不信仁賢、則國空虚。無禮義、則上下亂。無政事、則財用不足。

孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」

<解説>
国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。

二百三十五節
孟子は言った。
「不仁であっても、たまたま国を得て諸侯になった者はいてるが、不仁であって、天下を得て天子になった者は、いまだかってないのである。」

孟子曰、不仁而得國者、有之矣。不仁而得天下、未之有也。

孟子曰く、「不仁にして、國を得る者、之れ有り。不仁にして天下を得るものは、未だ之れ有らざるなり。」

<解説>
孟子及び儒家の理想論であろう。服部宇之吉氏云う、「不仁なりとも天子の親なれば、天子之を封じて諸侯と為せる例あり、然れども天子の子なりとも不仁なれば天子の位に居る能わず、民服せず、天許さざればなり。」又趙岐の章指にも云う、「王は、天に當(かなう)い、然る後之に處る、桀・紂・幽・厲は、得ると雖も猶ほ失う、善を以て終えずして、世々祀ること能わざるは、得ると為さざるなり。」

二百三十六節
孟子は言った。
「国にとって、人民は最も貴い者であり、次いで社稷であり、君主は一番軽いものだ。だから人民の心を得て認められた者が天子になり、天子に認められた者が諸侯になり、諸侯に認められた者が大夫になる。諸侯が無道で社稷を危うくするようであれば、その諸侯を変えればよい。社稷に供える犠牲もととのい、穀類も清らかに供えられ、時期を誤らずに祭祀しているのに、干ばつや洪水がおこるようであれば、それは社稷の責任であるから、その社稷を取り壊して、新たに作り替えればよい。」

孟子曰、民為貴、社稷次之、君為輕。是故得乎丘民而為天子、得乎天子為諸侯、得乎諸侯為大夫。諸侯危社稷、則變置。犧牲既成、粢盛既潔、祭祀以時。然而旱乾水溢、則變置社稷。

孟子曰く、「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を輕しと為す。是の故に丘民に得られて天子と為り、天子に得られて諸侯と為り、諸侯に得られて大夫と為る。諸侯、社稷を危うくすれば、則ち變置す。犧牲既に成り、粢盛既に潔く、祭祀時を以てす。然り而して旱乾水溢あれば、則ち社稷を變置す。」

<語釈>
○「丘民」、趙注に、丘は十六井なり、とあり、行政単位のようなものなので、丘民は、天下の民ぐらいに解釈するのが良いと思う。

<解説>
君主が無道で社稷を危うくすれば、それは君主の責任であり、祭祀をきちんと行っているのに、災害などが起こるのは、社稷の責任であると言い、神の責任を問うているのが面白い。

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