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『呉子』圖國第一  第二章

2020-04-21 11:32:35 | 兵書
第二章
呉子は言う。道とは事物のあるべき筋道で人が拠り所とする所のものであり、その根本をふりかえり、その始めとなる所を行うことによって天理に近づくことである。義とは心の制約に基づいて行うべきことは行い、行うべきでないことは行わない。そうすることによって適切に事を行い功を立てさせるものである。謀とは害を避け利益を得る為に智慮を使い圖りごとを為すことである。要とは礼儀を守り慎ましくすることであり、それにより生業を保持し成果を保持することができるものである。もしも為政者の行いが道に外れており、その行動が義にそむくものであり、それでいて高い地位、貴い身分に安住していれば、必ずその身に禍が及ぶだろう。このような訳で聖人は道によって民を安んじ、義によって民を治め、礼によって民を動かし、仁によって民を慰撫する。君主がこの道・義・礼・仁の四徳を修めれば国家は繁栄し、これを捨て去れば国家は衰亡する。だから殷の湯王がこの四徳を顧みなかった桀王をを討伐したとき、夏の民は皆喜んだのである。周の武王が殷の紂王を征伐したとき、殷の民は誰もそれを非難しなかった。これらは皆天命と人心とに適っていたのである。だからこのような結果になったのである。

呉子曰、夫道者、所以反本復始。義者、所以行事立功。謀者、所以違害就利。要、所以保業守成。若行不合道、舉不合義、而處大居貴、患必及之。是以聖人綏之以道、理之以義、動之以禮、撫之以仁。此四德者、修之則興、廢之則衰。故成湯討桀而夏民喜悅、周武伐紂而殷人不非。舉順天人、故能然矣。

呉子曰く、「夫れ道とは、本に反り始に復る所以なり(注1)。義とは、事を行い功を立つる所以なり(注2)。謀とは、害を違け利に就く所以なり(注3)。要とは、業を保ち成を守る所以なり(注4)。若し行、道に合わず、舉、義に合わずして、大に處り貴に居れば、患必ず之に及ぶ。是を以て聖人之を綏んずるに道を以てし、之を理むるに義を以てし、之を動かすに禮を以てし、之を撫するに仁を以てす。此の四德は、之を修むれば則ち興り、之を廢すれば則ち衰う。故に成湯、桀を討ちて、夏の民喜悅し、周武、紂を伐ちて殷人非とせず。舉、天人に順う、故に能く然るなり。」

<語釈>
○注1、直解:道とは、事物當然の理にして、人の共に由る所なり、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の如き、是れなり、人能く居る所の位に即きて、事に随いて其の根本を反求し、其の始初、天より稟受の理に復還すれば、則ち道盡くさざること無し。○注2、直解:義とは心の制にして、事の宜しきに合うなり、其の當に為すべき所は、則ち之を行い、當に為すべからざる所は、則ち之を止む、惟其の心に裁制有りて、事皆宜しきに合うは、能く事を行い功を立つる所以にして、國を圖るの義を得たるなり。○注3、直解:謀とは、智慮籌度するなり、惟其の智慮有りて能く籌度するは、害を見れば則ち避け、利を見れば則ち趨る所以なり、夫れ國を圖るの謀は專ら其の利を得て害を遠ざけんと欲するなり。○注4、直解:要とは、之を約するに禮を以てするなり、孔子曰く、「約を以て之を失う者は鮮し。」惟能く禮を以て之を約するは能く業を保ち成を守る所以なり

<解説>
国の治め方について述べられているのであるが、第一章に引き続き、この章も君主による民への対処の仕方について説かれている。君主が道・義・礼・仁の四徳を修めて人民に接すれば、人民は君主の為に死を恐れずに戦ってくれる。その目指す所は第一章と同じである。

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