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『孟子』巻第七離婁章句上 六十三節

2017-08-21 10:03:38 | 四書解読
六十三節

孟子は言った。
「コンパスと定規とは方形と円とを描くための最高の道具である。聖人は人倫を窮めた最高の人間である。立派な君主になろうと思えば、君主としての道を尽くさねばならず、立派な臣下になろうと思えば、臣下としての道を尽くさねばならぬが、それは俱に堯・舜を手本とすればよい。舜が堯に仕えたのと同じような心で自分の主君に仕えない者は、自分の主君を敬わない者だ。堯が人民を治めたのと同じような心で人民を治めない者は、その人民をそこなう者だ。孔子は、『道は二つである。仁と不仁とのみ。』と言われた。民を虐げることが甚だしければ、やがては我が身は殺され国は亡ぶことになる。そこまで甚だしくない場合でも、我が身は危険にさらされ、国はは他国に削り取られれて細っていく。このような君主は幽とか厲という謚をつけられる。一旦そのように謚が定まってしまえば、たとえ後世に先祖思いの子孫が現れても、永久に改めることはできない。『詩経』(大雅蕩之什蕩篇)に、『殷にとって教戒とすべき鑑は遠い昔を見るまでもなく、近くに在る夏王朝の桀王の時代に在る。』とあるのは、このことを言っているのだ。」

孟子曰、規矩方員之至也。聖人人倫之至也。欲為君盡君道、欲為臣盡臣道。二者皆法堯舜而已矣。不以舜之所以事堯事君、不敬其君者也。不以堯之所以治民治民、賊其民者也。孔子曰、道二、仁與不仁而已矣。暴其民甚、則身弒國亡。不甚、則身危國削。名之曰幽厲,雖孝子慈孫、百世不能改也。詩云、殷鑒不遠、在夏后之世。此之謂也。

孟子曰く、「規矩は方員の至りなり。聖人は人倫の至りなり。君為らんと欲せば君の道を盡くし、臣為らんと欲せば臣の道を盡くす。二者皆堯舜に法るのみ。舜の堯に事うる所以を以て君に事えざるは、其の君を敬せざる者なり。堯の民を治むる所以を以て民を治めざるは、其の民を賊する者なり。孔子曰く、『道は二つ、仁と不仁とのみ。』其の民を暴すること甚だしければ、則ち身弒せられ國亡ぶ。甚だしからざれば、則ち身危うく國削らる。之を名づけて幽厲と曰う。孝子慈孫と雖も、百世改むること能わざるなり。詩に云う、『殷鑒遠からず、夏后の世に在り。』此を之れ謂うなり。」

<語釈>
○「名之曰幽厲」、趙注:「名之」とは、之に謚するを謂う、謚するに幽厲を以てするは、以て其の惡を章らかにし、百世之を傳う。幽は暗、厲は虐の意。○「殷鑒不遠」、殷にとっての教戒とすべき鑑は近くに在る。

<解説>
前節では道具の重要性が説かれていたが、この節では君主の道、臣下の道を目指す為の道具は堯舜の道であると述べられている。更に謚の重要性についても述べられている。一度謚を定められたら、永久に改めることはできない。幽や厲のような恥づべき謚をつけられることは、この時代の人間にとって、非常な恥辱であった。それ故に「君為らんと欲せば君の道を盡くせ」ということであり、その為には堯舜の道という道具に法らねばならないのである。

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