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『孟子』巻第十萬章章句下 百三十八節

2018-12-03 10:20:20 | 四書解読
百三十八節

萬章は尋ねた。
「あえてお尋ねいたしますが、先生が進んで諸侯にお目にかからないのはどうしてでございますか。」
孟子は答えた。
「主君に仕えずに都に住んでいる者を市井の臣と言い、農村に住む者を草莽の臣と言うが、どちらも仕えていないのだから庶民である。庶民は人を通じて礼物を献上して臣下にならない限り、進んで諸侯に見えないのが礼義である。」
萬章は言った。
「庶民は、君主が招集して労役を課せば、自ら出向いて従事しますが、君主が会いたいと思って召し出しても、出向いて会わないのはどうしてでございますか。」
「勞役に服するのは当然の義務であるが、君主に謁見するのは義務ではない。それに君主が会いたいと思われるのは、何の為だろうか。」
「その人が博識であり、賢者であるからです。」
「博識なら師として学ぶつもりなのだろうが、師という者は天子でさえ呼びつけたりはしないものだ。諸侯ならなおさらのことだ。賢者だからというのなら、これに会いたいからと言って、呼びつけるということを、私は未だ聞いたことがない。昔、魯の繆公はしばしば子思と会い、『昔、千乘の国を保つ身でありながら、一介の士を友としたという話があるが、どう思うか。』と尋ねた。子思は繆公の態度を快く思わず、『古の人の言葉に、賢者ならたとえ士であろうと師事するとは申しておりますが、どうしてそれを友とするなどと申せましょうか。』と答えた。子思が快く思わなかったのは、身分から言えば、あなたは君で私は臣下です、どうして友となることが出来ましょうか。徳から言えば、あなたは私に師事すべき方ですので、私を友とすべきではありません、と言う気持ちからではなかろうか。千乘の兵車を持つ大国の君主でも、それは出来ないことだ。まして呼びつけるなど出来る事ではない。齊の景公が、狩りをされたとき、狩場の役人を旌を使って差し招いたが、役人は差し招く旌が決まりと違っていたので側に行かなかった。公は怒って役人を殺そうとした。この話を聞いた孔子はその役人を称え、『志士は道の為なら、谷間に尸をさらすことも覚悟のうえだし、勇士は戰に於いては首を失うことも覚悟しているものだ。』と言った。孔子は役人の何を称えたのか。その招き方が正しくなければ、死を賭しても行かないという点である。」
「それではあえてお尋ねしますが、狩場の役人を招き寄せるには何を使えばよいのですか。」
「皮の冠を用いるのだ。庶民を呼ぶには赤旗を用い、役人を呼ぶには龍を描いた竿先に鈴をつけた旗を用い、大夫には羽毛を付けた旗を用いる。大夫を招く旗を使って狩場役人を招けば、狩場役人は死んでも行こうとはしないし、役人を招く旗を使って庶民を招いたら、庶民はどうしていくことが出来るか。このように卑しい身分の者でも、正しい招き方で無ければ応じないものを、不賢者を招く方法で賢者を招くなどもってのほかである。賢者に会いたいと望みながら、それにふさわしい道を取らないのは、まるで人が屋敷に入って來るのを望みながら、その門を閉ざしているようなものだ。たとえて言えば義は路で、礼は門であり、ただ君子だけがこの路を通り、この門を出入りすることが出来るのだ。『詩経』にも、『周の道は砥石の如く平らかで、矢の如く真直ぐである。君子はその道を踏み、小人はこれに則る。』と言っている。」
萬章は言った。
「孔子は主君のお召しが有ると、車の用意も待たずに出かけて行ったとのことですが、それなら孔子は間違っていたのでございますか。」
「孔子は仕官して官職についていた。その官職上のことでお召しが有ったのだから、出かけていくのは当然である。」

萬章曰、敢問不見諸侯、何義也。孟子曰、在國曰市井之臣、在野曰草莽之臣。皆謂庶人。庶人不傳質為臣、不敢見於諸侯、禮也。萬章曰、庶人、召之役、則往役。君欲見之、召之、則不往見之、何也。曰、往役義也。往見不義也。且君之欲見之也、何為也哉。曰、為其多聞也、為其賢也。曰、為其多聞也、則天子不召師。而況諸侯乎。為其賢也、則吾未聞欲見賢而召之也。繆公亟見於子思、曰、古千乘之國以友士、何如。子思不悅、曰、古之人有言。曰、事之云乎、豈曰友之云乎。子思之不悅也、豈不曰、以位、則子君也。我臣也。何敢與君友也。以德、則子事我者也。奚可以與我友。千乘之君求與之友、而不可得也。而況可召與。齊景公田、招虞人以旌。不至。將殺之。志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元。孔子奚取焉。取非其招不往也。曰、敢問招虞人何以。曰、以皮冠。庶人以旃、士以旂、大夫以旌。以大夫之招招虞人、虞人死不敢往。以士之招招庶人、庶人豈敢往哉。況乎以不賢人之招招賢人乎。欲見賢人而不以其道、猶欲其入而閉之門也。夫義路也。禮門也。惟君子能由是路、出入是門也。詩云、周道如砥、其直如矢。君子所履、小人所視。萬章曰、孔子、君命召、不俟駕而行。然則孔子非與。曰、孔子當仕有官職、而以其官召之也。

萬章曰く、「敢て問う、諸侯に見えざるは、何の義ぞや。」孟子曰く、「國に在るを市井の臣と曰い、野に在るを草莽の臣と曰う。皆庶人を謂う。庶人は質を傳えて臣と為らざれば、敢て諸侯に見えざるは、禮なり。」萬章曰く、「庶人は、之を召して役せしむれば、則ち往きて役す。君、之を見んと欲して之を召せば、則ち往きて之に見えざるは、何ぞや。」曰く、「往きて役するは、義なり。往きて見ゆるは不義なり。且つ君の之に見えんと欲するは、何の為ぞや。」曰く、「其の多聞なるが為なり、其の賢なるが為なり。」曰く、「其の多聞なるが為ならば、則ち天子も師を召さず。而るを況んや諸侯をや。其の賢なるが為ならば、則ち吾未だ賢を見んと欲して之を召すを聞かざるなり。繆公は亟々子思を見て曰く、『古、千乘の國、以て士を友とすること、何如。』子思悅ばず。曰く、『古の人、言えること有り。曰く、之に事うと云わんか、と。豈に之を友とすと云うと曰わんや。』子思の悅ばざるや、豈に曰ずや、『位を以てすれば、則ち子は君なり、我は臣なり。何ぞ敢て君と友たらん。德を以てすれば、則ち子は我に事うる者なり。奚ぞ以て我と友たる可けんや。』千乘の君も之と友たることを求むれども、得可からざるなり。而るを況んや召す可けんや。齊の景公、田し、虞人を招くに旌を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。『志士は溝壑(ガク)に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うを忘れず。』孔子奚をか取れる。其の招きに非ざれば、往かざるを取れるなり。」曰く、「敢て問う、虞人を招くには何を以てするか。」曰く、「皮冠を以てす。庶人は旃を以てし、士は旂を以てし、大夫は旌を以てす。大夫の招きを以て虞人を招けば、虞人死すとも敢て往かず。士の招きを以て庶人を招けば、庶人豈に敢て往かんや。況んや不賢人の招きを以て賢人を招くをや。賢人を見んと欲して、其の道を以てせざるは、猶ほ其の入ることを欲して、之が門を閉づるがごときなり。夫れ義は路なり。禮は門なり。惟だ君子は能く是の路に由り、是の門を出入す。詩に云う、『周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し。君子の履む所、小人の視る所。』」萬章曰く、「孔子は、君命じて召せば、駕するを俟たずして行けり。然らば則ち孔子は非なるか。」曰く、「孔子は仕うるに當りて官職有り。而して其の官を以て之を召せばなり。」

<語釈>
○「古之人有言~」、趙注:古人曰く、「賢人を見れば、當に之に事うべし、豈に之を友とすと云わんや。」孟子云う、子思の悦ばざる所以の者は、豈に臣は君を友とす可からず、弟子は師を友とす可からざるを謂わざらんや。○「溝壑」、谷間。○「旃・旂・旌」、「旃」(セン)は無地の赤旗、「旂」(キ)は二匹の龍を交差して描き、竿頭に鈴をつけた旗、「旌」(セイ)は鳥の羽を竿先に付けた旌。○「庶人・士」、朱注:庶人は未だ仕えざるの臣、士は已に仕うる者を謂う。○「詩」、『詩経』小雅谷風之什大東篇。

<解説>
この節は諸侯に対する孟子の矜持の表れであろう。人を招くにはその人の尊卑賢不賢などによりそれぞれの招き方があるもので、礼に適った招きで無ければ、たとえ死を賭しても行かないものだと述べている。

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