市の公益財団法人が主催する市民大学の開校式と第1回講義があった。生涯学習の一環であるが、講義テーマが毎回変わるので面白そうなので申し込みしていた。大学といっても講演会を聞きに行くようなもので普通の大学とは異なる。全22回あり幅広いテーマであり一般教養が多少身に付かくと考えてである。昨日はその第1回であったが、些か期待外れである。まず、事務局、総務、学生部などのスタッフ20人くらいの紹介があった。殆どはボランティアスタッフだが全員70歳前後のお年寄り。多分定年後の人達だろう。お年のせいか説明の言葉がどの部門の人も遅い。早口の老人がいないように、多分年齢によるものであろう。どちらかというと早口の自分はイライラして人の言葉を先回りして待ってしまう。次に100名を超える聴講生も多分平均年齢は70歳くらいだろうか。小さな市で良くこれだけ集まったと思うが、私もそうだが皆、定年後で時間もありちょっと教養を身に着けようかと考えている人達である。それぞれ別のキャリアを積んだ人達だがここでは昔の名前に関係なく横並びで学生、あるいは町内会のようなものである。
教室は初対面の人達で静まりかえっているかと思っていたら何やらあちこちで楽し気な話声が聞こえる。初めてなのに何であんなに親し気かと思ったら市民大学の常連さんらしい。この市民大学も30年続いており中には5年連続参加している人も居り旧知の関係があるとのこと。横並びと思っていたが大違いである。そういえば案内の時に、懇親の場も提供していると言っていた。今回初めて市民大学に参加する人は半分以下とのこと。一見の客が常連の店に入っていったようなアウェー感がある。旧知の連中では自然にボス的な存在も居るようで班別に分かれた時仕切る男が居る。町内会のボス的存在だろうか。新参者は居場所に困り多少の疎外感もある。こちらは知り合いを増やすとか懇親は期待していない。知らなかったことが一つでも身に付けばと思っているので居辛さは我慢してなるべく出席するつもりではある。開会式には先日初当選した市長まで挨拶に立ったがこちらも新参者の部類だから緊張して祝辞を読んでいた。何れ市のボスにはなるのだろうが。
その講義第1回が「オイルピークと次世代エネルギー」だったので期待していた。外れである。講師の先生は原子力の専門家で東電の後に電中研で働いていた人で著書も何冊かある。しかしこれはという話は無かった。簡単に言えば福島原発事故以前に原子力村で働いていた人の域を一切出ていない。講義に使用している資料も皆古い。未だに核燃サイクルの図が出て来る。エネルギーの将来予測もIEA資料でシェルシナリオほどの斬新さはない。何より引っかかったのは各種エネルギー比較でEPR(Energy Profit Ratio=出力エネルギー/入力エネルギーでエネルギー収支と呼ぶ)を用いていることである。これによると原子力は17.4で太陽光発電は5.24~10.48であり勿論大きい方が電源として価値があるというである。これは電中研がよく用いていた指標で計算のやり方によっては恣意的に結果が出せる。式のエネルギーを一次エネルギーか二次エネルギーに統一して計算すればEPR=想定寿命/EPT(Energy Payback Time)という関係になるがその説明は無い。
最後に質問時間があり1番に手を上げて、あまり細かいことを言うとクレーマーになってしまうから、少し話を逸らして、「可採年数のところで、確認埋蔵量が出てきましたがこれは経済的に価値があるものの埋蔵量だと思います。さらに2050年までのエネルギー予測で石油、石炭、天然ガスといった化石燃料が主流を続けるというグラフもあります。しかし、これら化石燃料は最終的にはCO2として大気中に放出されますが、今世紀末までにはCO2排出ネットゼロを目指すならその多くは座礁資産にならないですか。経済的価値のある確認埋蔵量は今後変化しませんか」と聞いた。「初っ端から難しい質問ですね。生活の質は落とせないという面もありますから…」と答えたが答えになっていない。経済的価値がある埋蔵量は新しい概念で測る必要もありますねと答えたらこちらもグーの音も出なかったのだが。私の質問に続いたのは原発事故処理、廃炉、核のゴミの始末、プルトニウムも大量保有など過激な質問が続いた。講師は定年後の人達の言いたい放題パワーを見誤ったとしか思えない。社会的縛りの無くなったプチインテリオジサン達は留まるところを知らない。これからも講師は大変である。
「仕切り屋」と言われた過去を捨てて目立たないよう大人しく勉強しようと思って来たのだが、クラス分けされ、班長、副班長、編集委員の役を決めなければならないことになった。ウダウダして決まらないのでさっさと手を上げて役の一つを受け持った。気持ちどおり言葉が抑えられるかどうか心配ではある。