太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

カナリア諸島にて

2019-10-31 09:35:24 | 仕事に関すること

ポルトガル領のマデイラ島に行ったことがある。太陽電池の国際規格を審議する小委員会が開催され参加したものだ。大西洋の真珠とも呼ばれる美しい島である。首都フンシャルに降り立つと平地が少ないのか街並みは入り組んで清潔そうだがゴチャゴチャしている。観光地のようだが委員会はホテルに缶詰め状態で3日間くらいあれやこれやと議論して合間に少し観光が混じる。小委員会のメンバーはヨーロッパの人が多く、各地で何回も開催しているので皆家族のように仲良しである。こちらは一見の客のようで簡単には溶け込めない。誰が開催地を決めるのか知らないが大抵は風光明媚な観光地に設定される。各委員は公費を使って参加するが態々大西洋の小島まで来る必要があるのかと不思議に思った。もっとアクセスの便利な都会の会議室でやれば費用だって少なくて済むのに何となく私利私欲が働いているようでもあり良い気はしなかった。さらに驚くのは会議のアジェンダを無視して話があちこちに飛んでしまう。項目ごとに結論を出して進むという雰囲気ではない。議事録を纏めるのは大変だと思ったが帰国後間もなく立派な議事録が届いた。ますます仲良しグループの出来レースのような気分になった。

間に挟まれた観光は山裾にオレンジ色の屋根と白壁で統一されて家並みは美しかった。バナナが名産とか言っていた。海岸は殆ど断崖絶壁でスティーブマックイーンの映画パピヨンに出て来る場面のようである。さらに小島にヨットで行ったときはクルーがサングラスなど掛けて日本にいれば俳優になるようなカッコいい奴ばかりである。小島で気象観測所に設置された小さな太陽電池を見学して帰ってきた。最近ネットで見るとクリスチアーノ・ロナウドがマデイラ出身だと知った。フンシャルの小さな広場でボールを蹴っていた少年に10歳くらいのロナウドが居たのかも知れない。リタイアして海外旅行に行く気にならないのは、例えばマデイラに行く?と聞かれたらとてもとても自腹ではとなる。ここ以外にも結構観光地には行っているが観光など余裕のない仕事ばかりで、今思えば海外旅行潰しの出張だったと思う。折角の機会に残念だったと今は多少の後悔はある。大瀧詠一の歌ではないがカナリア諸島にも同じような思い出がある。


国語に関する世論調査

2019-10-30 08:23:59 | 社会観察

文化庁が国語に関する世論調査を行った。内閣支持率などと違ってなるほどと思える結果である。慣用表現が本来の意味と違って異なる意味で使われているとのこと。

「『憮然』とした様子で立っている男には、上司の叱責の言葉があるだけでも『御の字』としなければならなにのに『砂をかむような』表情からは無視される辛さを理解しているとは思えない。」

これは100%本来の意味からズレていることになる。誤用と本来の意味をならべると、

「腹をたてた様子で立っている男には、上司の叱責の言葉があるだけでも一応納得すべきであるが、悔しそうな表情からは無視される辛さを理解しているとは思えない。」

「失望してぼんやりと立っている男には、上司の叱責の言葉があるだけでも大いに有難く思わなければならないのに、つまらなさそうな表情からは無視される辛さ理解しているとは思えない。」

どちらも何となく理解できるからややこしい。文章を書くときには可能な限り本来の意味から外れないよう注意している。ここで迷う言葉を使う時は一応調べるが、厄介なのは本来の意味を間違って覚えている時である。勿論それが正しい用法だと思っているから調べなおすこともない。言語学者が、最近のクイズ番組などで漢字や熟語が問題になることが正しい用法に役立っていると言っていた。何と下らない問題だろう、これを知っているからと言ってインテリ芸人と呼べるかなどと小馬鹿にしていたが番組にこんな効能があることなど露知らなかった。知っているからインテリでは無いが広く国民に向けての教育番組と思えば一見易しい問題も必要である。

市民大学の修了式で聴講生代表で謝辞を述べることになった。なるべく役が当たらないように目立たないことを心掛けていたのだが、毎回講師に質問するので覚えられてしまったようだ。同じような年代で100人くらいのクラスで、海外駐在の商社マンや銀行マン、あるいは世界を放浪した人など多士済々で皆重みのある人生を送ってきた人達である。自分で良いのかと思うが、断ると次の人を探すという事務局の苦労を知っているだけにできない。区切りの機会として御の字に思わなければならないのだろう。

 


この罰当たりが

2019-10-29 08:10:44 | 日記

先日の豪雨で珍しい人から何人か見舞いのメールを貰った。しょっちゅうメールをやりとりしている人では無いのに心配してくれている有難いことである。こちらはリタイアしている身、むこうはまだ現役で奮闘中の人達である。自宅にも生活にも全く被害が無かったのに申し訳ないような気持ちになる。新聞でヘリの空撮写真やらTVで浸水映像が流れたので心配していたとのこと。マスコミに取り上げられるような市ではないので、あああの市にはあの人が住んでいるという市代表になってしまった。結構市も広いのだが長嶋が育った市といより今や私が住んでいる市である。

人に心配をかけた直後だったが、ちょっと嬉しく思いつつまだ水も引け切らない昨日、天気も良かったので釣りに出掛けてしまった。寝る前に何時もあの強烈な引きを思い出しながら寝るのだが、先日43cmのクロダイを上げた場所である。柳の下ならぬ石垣ブロックの下である。ところが結構波が高く、糸は流され何本も根がかりで仕掛けは切れ、ボウズである。能天気に人の情けも顧みず遊びに行った罰であろうか。帰りにコンビニに寄ったら大抵はハズレなのに珍しく籤で缶ビールが半ダース当たった。罰が当たったが籤も当たった。しかし好い気になってはいけない。何時ものセイゴを釣る河口に寄ったら案の定元棟梁と自衛隊の二人が居た。酒好きは知っている。久し振りです、陣中見舞いですと缶ビールを渡した。丁寧に礼を言われたが、やはり海で釣れなくてこちらにやって来たとのこと。直後に驚くような入れ食いになり、40cmくらいのセイゴを10匹も上げた。もうすぐ90の棟梁は大喜びで、久し振りに刺身が食べられる、貰った缶ビールで二人で祝杯を上げると上機嫌だった。ビールが当たった喜びよりも彼らが喜ぶ姿の方が気分が良い。やっぱり善行はしておかないと。特に来年も釣りをやっているかどうか分からない爺さんが爆釣になったのは良かった。2,3匹持って帰りなよと言うが遠慮した。ボウズの日だったが帰りは爽やかだった。


柿の木

2019-10-28 09:21:38 | 日記

昨日は柿の木の剪定を行った。渋柿だが大人の拳くらい大きな実をつける。今年は数は少なかったが早く熟れる実が混じっていた。真っ赤に熟した柿は小鳥が啄ばみに来る。めじろやハトよりやや小ぶりの鳥が入れ替わり飛び代わりやってくる。勿論まだ固い実は見向きもしない。目で見て食べられることを識別しているのだろうか。鳥は直接熟れた柿の枝には止まらない。近くの枝にまず止まってから啄ばみに来る。熟れた柿は落ちてしまうので洗濯ものに当たる。いっそ剪定して全部採ってしまうほうが安心だ。勿論昔教えられた鳥が食べる分だけは残しておいた。悪いことに最後の枝切で親指を鋸でひいてしまった。鮮血が噴き出したがこんな時はオロナインである。よく効く。ただ風呂は右手1本だったので苦労した。

渋抜きは去年はうまく行ったので再度チャレンジした。今日は潮も良さそうで釣りに出る。夏のミニトマトや紫蘇、ネギ、胡瓜、ピーマンもそうだがリタイアしてから農漁業も仕事になった。失敗もある。狭い庭なのにイチジクを植えたら想像を超える葉っぱの大きさで他の作物の影となって何種類かの野菜は育たなかった。近い内に邪魔なイチジクは大胆に剪定してやろうと思っている。野菜を育てるなどとサラリーマンの頃には想像もしていなかった。何か月も経ってやっと収穫できるような悠長なことなどやってられない。スーパーに行けばプロが作った立派な野菜がなんでもあるのにと。しかし、今3ヵ月や半年はあっと言う間である。それも日々新しい芽や葉が出るのを眺めているとどんどん変化していくのも結構楽しみである。アマチュアだから楽しいのであってプロになるとそうは行くまい。最近の台風や洪水で農作物の被害を見るとプロの落胆は察して余りある。きっと生活の為と言うより育てて来た楽しみが一気に失われることだ。どんな仕事でもそうだが、携わっている(仕)事には金勘定ではない別の愛情が必ず湧くものである。その感情のやっかいなところはいざ離れた時に尾をひくことである。世界はもう変わっているのにである。


地縁は続く

2019-10-27 08:18:47 | 日記

久し振りというか初めて我が町の写真が全国紙夕刊1面に載った。昨日朝、ヘリが飛んで空撮したものである。新聞に載る場合は有難いことで載ることは先ずない。豪雨被害による道路冠水の写真である。午前中に自転車で下見をしたバイパスである。完全に周辺は巨大な湖と化している。用水路の越水というより堤防の決壊のようだ。浸水地域の水を抜くのは容易ではない。そもそも高低差のあまりない用水路は流れは殆どなく何処かへ水をはくことができない。決壊箇所を修復して水を用水路に戻しても次に低い箇所で越水するかも知れない。稲刈りが終わった田圃には水を導入する必要性はない。ここは一つ、田植えの時期は散々利用した用水である。各田は不要でも引水で恩返しをしたらどうだ。新興の住宅地は多少嵩上げしてるから浸水は免れている。それでも近くまで水が来て折角買ったマイホームは心配だったろう。晴天と乾燥が続き蒸発を祈るしかないか。

昨日は市民大学の日だったがもう1本のバイパスを通って出掛けた。巨大沼化した中を通っている。最近の道なので流石に嵩上げしてあり浸水はしていなかったが普段なら10分くらいで通り抜けるのだが大渋滞で30分くらいかかった。巨大な沼の中に軽トラや乗用車が傾いて10台くらい水に浸かっていた。畦道に止めていたのが帰れなくなったのだろう。死傷者は居ないので逃げることは出来たのだろう。午後からの市民大学の講演テーマは「ひとり空間、都市はソフトなコミュニティを創れるか」だった。ネットカフェや一人カラオケ、カプセルホテル、一人焼き肉やラーメン店など最近の都市型一人空間を例に挙げながら最近の風潮を語るだけであって学術的分析とか新しいコンセプトのようなものは見当たらずあまり勉強にはならなかった。

少しイジワルな質問で、ニーズとして選択権のあるひとり空間と選択肢はなく仕方なしのひとり空間があるのではないでしょうか。またカプセルホテルが例に挙がっていましたが、これは出張手当との差額で安い宿を求めるサラリーマンのニーズと都会の不動産価格から建築費を抑える供給側の思惑が一致した結果であって一人空間を求めるニーズとは無縁と思います。砂漠にカプセルホテルは作らないでしょう。さらに農村型コミュニティと都市型コミュニティとありましたが、この辺り、いや全国でもその中間の郊外型コミュニティに暮す人が多いと思います。今日の聴講生も殆どリタイアして仕方なしお一人様空間で暮らし、しかも郊外に住んでいるのでニーズではないと思います。都会の一部の若者文化のような感じがして、今日の話は少し違和感があります。

答えは、確かに私の話は都市型ひとり空間についてでした。都市から農村へのグラディエーションにも目を向けて論じるべきだったかも知れませんと素直に詫びた。専門は社会学、都市・建築論、都市情報論で本当は難しい話だが面白可笑しくすることに力点を置き過ぎたのだろう。ちょっと質問が厳しすぎたので場を和ます必要があった。経歴から生まれを見ると同郷だったので、大阪出身だけど大阪弁は一切出ず、あまりにスマートで冗談も出ず同郷とは思えませんと言うと、父親の年齢のような方への講演で緊張していますとのこと。因みに妹さんは私と同じ高校で彼自身はアメリカやイギリスの大学へも留学しており優秀であることには間違いない。ただ40歳という若さで某私大の准教授ではあるがオヤジの年代を唸らせるには経験不足は否めない。この前の東大院女性教授は小学校の同級生の妹だったし、遠く離れたこの地で地縁者とよく出会う。日本も狭い。ラグビーW杯の準決勝でニュージーランドがイングランドに敗れた。NZが異次元の強さで優勝すると予想したが外れた。素人の予想などこんなものである。何処まで行っても上には上が居るもんだ。サラリーマン、上見て暮らすな、下見て安心するな、あくまで前を向いて生きろ。これは昔作った金言。お前はいつも斜め上みてると言ったのは辛口の先輩。