太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ここまで来るとちょっと重たい

2020-09-30 08:50:15 | 日記
 釣りに出掛けた。このところ釣れていないクロダイにリベンジである、薄曇りでちょっと寒く波は結構荒い。相変わらず大勢のサーファーがいる。皆サーフィンは上手だから常連だろう。平日なのにこの人達はどうやって生活しているのだろうと要らぬ心配もしてしまう。やっぱりアタリはないが粘る。一人の同年配の人がやって来て観てもいいですかというので釣れる場面を見せられたらいいのだけど簡単には釣れないよと言うと、自分も色んな魚を釣ってきたがクロダイはやったことが無いので参考にと言う。そこから竿は何mだとか、餌ガニはどうやってとるのとか仕掛けの細かいことを聞いてくる。少々煩いと思ったがあまりに熱心なの無碍にもできない。暫く話すと隣で釣っている人のところに行って喋り出した。多分同じようなことを聞いているのだろう。また戻ってきて隣は今日40㎝くらいのを1枚上げていると報告する。その時糸が縺れて解そうとすると横から手を出して自分がやりましょうと言う。相当粘って無事解してくれた。ここまで来ると相手をせざるを得ない。その内自分の生活のことまで喋り出した。割と家が近いことが分るとどの道を通ってここまでくるのか、自分はどの道だとかカーナビ並みに詳しく説明を始る。農家の生まれだけどサラリーマンだったのでもう百姓には戻れない。近くに住宅団地が出来て土地を少し売ったから金には困らないが子供がいないので弟の子供を養子にしたかったけど上手く行かなかった。金を残してもしょうがないので定年後は海外を含めて旅行は随分行ったとのこと。もう4年もブラブラしているけど人間何時死ぬかわからないからあくせくするのは止めてこれで良いと思っているとのこと。ここまで来ると世間話もちょっと重たい。釣り場の会話は互いに深入りしない気楽さが良い所だが相槌だけになる。
 今は釣りがちょっと面白いというので随分良い身分ではないですかと言うと、そうです気楽なもんですと言う。もうすぐ紅葉が始まるのでそれだけは見に行こうと思っている、後何回観れるか分かりませんからと今度は自分が行った紅葉ベストスポットの話を始める。相槌だけに気付いたのだろうか夕方少し寒くなってきたこともあり帰るという。ちょっとほっとしたが今度は何処の釣り道具屋に行っていると尋ねる。帰りにクロダイ用の竿と仕掛けを買うつもりとのこと。また此処で会いましょう、その時は釣り方を教えて下さいと言うので釣りはまぐれですよ。魚さえ居れば釣れるし、居なければ名人でも釣れないと返しておいた。きっと又顔を合わすことになるだろう。
 奥さんと二人で家の会話も尽きているのだろう。初対面であれ程喋る人は珍しい。勿論会話と言うよりモノローグに近いのだがそういう性分だろう。こちらは話し相手が居なくても何時間でも黙っていることはちっとも苦にならない性分だ。釣り場には定年後の同じような境遇の人が随分多いが寂しさを紛らわす方法は様々である。少年っぽい好奇心だけは羨ましいと思った。

今年は少し物足りない

2020-09-29 08:31:41 | 日記
 コロナ禍の影響で今年は市民講座の開講が遅れ、おまけにカリキュラムの内容が大幅に変更された。それでも事務局の開講への苦労を思い参加しているのだが今年の講座(講師)は少し物足りない。3回目の前回は有名私大の医学部を出てハーバードの研究員を経て私大の小児外科の教授まで務め、現在は某総合病院の小児外科医として活躍されている人が講師だった。ところが講義はキャリアと関係のない美術史についてであった。医学関係で知り合った人達の中に日本の美術史の研究をしていた人に触発されたようである。内容は日本で撮られた写真に写った人達が誰であるかを顔認証ソフトを使って特定するという単純なものであった。趣味興味が高じてその道のプロのようになる人も居るが、蕎麦打ちをいくらやってもやはりプロ並みには行かないだろう。確かに推理小説の謎解きのような点がちょっとだけあったが、だからどうなんだという点が分らない。講師の方の著書は医学書が沢山あるが美術関連では論文が数篇あるだけである。多分講義はその論文が元になっているようだが興味の範囲を超えていない。何故医学の道を歩みながら全く別の美術史に興味を持つようになった経緯を話された方がある分野をリタイアした人が集まっている市民講座の場では参考になると思うが。
 TVのコメンテーターなどで専門外ですがと逃げを打って話をする人を良く見掛けるがこれは頂けない。公の場ではそれなりに勉強をして発言に責任を持つべきである。昔会長から聞かされた話がある。「有名なな宮大工の方と対談する機会があった。その方の話で神社仏閣の北面には山の北斜面に生えている木を使う。それは北面に耐えうる育ち方をしているからですと言われた。深い理由は分からないがなるほどと思いました。その対談では幅広いテーマが話題となりましたが棟梁の話はどれも意味深く含蓄があるものでした。『一芸は道に通ずる』と言う諺があります。どのような芸でも、つきつめていけば単なる技術を超えた普遍的な「道」に到達するという意味です。棟梁と対談して感じたことです。皆さんも単なる専門家を超えて一流にならなければなりません。専門家というのはある程度時間を費やせば成れます。しかし一流というのは専門を極めた上でしかなれません。皆さんは是非一流の人間になって欲しいと思います。」と。
 果たして成し遂げられたか。否。確かに一時期専門分野では後輩から「歩く生き字引ですね。」などと煽てられて「いやいや歩く生き地獄ですよ。」と余裕をかましていたら仕事を離れた今は一流どころか普通のオジサンになってしまった。専門を極めた訳でもなく、さらに精進努力して一流を目指していたかとなるとこれも否。遅いかも知れないが講師の方もこの辺りをテーマにしてくれていれば反省すべき点がハッキリしたかも知れない。せめて1.5流くらいは今からでも目指せるかも知れないが蕎麦打ちでは無理である。

恐るべし百均

2020-09-28 07:31:22 | 日記
 家の近くに百均の店があり時々文具などを買いに行く。昔は瞬間接着剤何とかαなど相当高く貴重だったが金属用、ゴム、プラスチック、木材用など沢山種類があり釣り具の修理など相当役に立っている。先日はもしやと思い靴の滑り止めを探しに行った。相当前誕生日か何かで貰ったサンダルで大変気に入っている。足へのフィット感が頗る良く、上の部分の傷みは殆どない。ところが底の部分は凹凸が無くなりスリッパの裏のようになってしまった。ちょっとした水溜まりや苔の生えているところで滑って危うく転びそうになったことが何度かある。いよいよ寿命かと思っていたがもしかして後付けで貼りつけるような滑り止めがあるかと思い行ってみたら有った。買って貼りつけたら新品同様に滑りはなくなった。玄関前の道路で苔が生えているところで試したらアイゼンでも付けたように滑らない。次に思い出したのは運動靴である。これもキャラバンシューズのような上の部分は破れもなく新品同様であるが靴裏が擦り減ってこれもスリッパの裏のようになっている。先日釣りで法面の石で滑って危うく転んで大けがをするところだった。探したら踵の部分に貼りつけるものがあった。さらに足裏前部にはサンダルに貼りつけたものと同じものを貼ってみた。勿論これも石垣で効果を試したらピタリと止まる。捨てようと思ったサンダルと靴が合計300円で蘇った。何万円もするスニーカーがある時代、何だか物凄く得をしたような気分になった。
 百均の品揃え恐るべしである。生活分野ごとにコーナーは分かれているが品揃えはノウハウがあるのだろう、こちらが庶民生活を送っていることもあるがもしかしてと思うものは大概揃っている。形や用途は分かっているが名前を知らないという道具はまず100均で探せば見つかる。大企業のマーケティング部門でも出来ないことである。昔社長が100円の使い捨てライターを見せて、君たちにこれが100円で作れるか、複雑な金型だって要るし多分原価は30円くらいだろう。ありふれた物に大変な工夫が詰まっていると言っていた。幸之助さんは、10%のコストダウンで喧々諤々議論しているのを聞いて、あきまへんなあ、半値にするにはどうしたら良いかから始めよと言ったそうだ。半値なら発想の転換が必要だという逸話である。滑り止めは剥がれたところでいよいよ寿命と思えば良い。貼り直すかも知れないが。
 部屋を見渡せば100均商品が相当ある。韓国ドラマに出て来る部屋とかタワマンの最上階ではこんなことは無いだろう。生活臭のない部屋に憧れながら生活雑貨に囲まれて生活を送っている。買って後悔したことがないのも百均商品である。そもそも後悔するほどの値段ではない。家や車ならちょっとしたことで後悔するものだが100均は妙なところで満足感を与える。言っておくが殆どの物は買おうと思えば買える、貧乏でもケチでもない、ただ贅沢品は買わない。それを上回るのは修理が大好きなのである。もしこのブログ、将来読み返すことがあったら何歳の時に書いたものと思うだろうか。絶対に高齢者になってからとは思えない。内容が実に若々しくおまけに稚拙である。残りの人生、100均の継ぎ足しでなんとかなりそうな気もしている。

お薦めすることは出来ないが

2020-09-27 07:56:51 | 日記
両親が長く入院生活で苦しんだこともあり基本的に病院嫌いである。あの独特な雰囲気と消毒薬の匂いを嗅ぐだけで気が滅入る。余程のことが無い限り医者にかかることは避けてきたが何度かはこれは諦めて医者に行こうと思ったこともある。最近では肩の関節付近の痛みである。最初は左肩が痛くて腕が上がらなくなった。昔なら四十肩とか言われた症状だろうか。吊革も持てないし、座席に座っていて腕を組んだりしていると重力で肩が下に引っ張られる感じで痛いから時々だらりと腕を伸ばしたりしなければならない。寝るときも仰向けだとやはり肩が下方に押されるようで痛いから横向きで痛い方の肩を上にしなければならに。TVでは同じような症状に対してグルコサミンとかコンドロイチンの摂取とか肩の体操を薦める。湯ぶねマッサージなどもしてみたが改善しない。そのうち間接内の腱が切れていれば手術とか加齢による筋肉の衰えで神経が圧迫されているとかどんどん情報は重症化していく。さらに手の指先がしびれるようになりいよいよ医者かと思っていた頃症状が改善されてきた。何の治療もしていない、よかれという肩周りの運動もすっかり止めていた頃である。どんどん治っていき以前と変わらぬ状態になってきた。
 一安心していたら今度は右肩が同じような症状になってきた。左肩は1年くらいで元に戻ったので待っていると半年くらいでほぼ元の状態に戻った。勿論これはあくまで個人的な経験で誰にも薦めることはできないが自然に治るものもあるのだ。多くの情報の発信元は医療関係者だろう、放っておいて大丈夫ですというのはあまりない。重症にならない内に早めに専門医へというものが圧倒的に多い。歯医者が虫歯にならないための歯磨きのやり方を教えるような裏の裏をつい考えてしまう。
 病気によっては症状が進行して決して自然治癒などあり得ないものが殆どであることは分かっている。早期発見早期治療が鉄則なのも分かる。ただ会社の定期健康診断では病気のデパートのようにあらゆる項目で入れ替わり立ち代わり「要精密検査」となっていたが特段の治療もなしに元の状態に戻った項目も山ほどある。今は「ものが美味しく食べられて食欲があるうちは大丈夫」という馬鹿の何とか覚えみたいな信念を持っている。
 何事でも「そのままでも大丈夫ですよ」と言ってくれる人が居たらどんなに心強いことか。クロダイ釣りを教えてくれた人が「その内釣れますよ」と言ったが本当にそうなった。諦めないことも大事である。人生のどんなに辛い時期でも「努力しなくてもその内状況は勝手に変わって行きますよ」とアドバイスしてくれる人が居たら逆にうんと努力しただろう。ただコロナだけはそうは行かない。他人に移してしまうリスクである。昨日は全国で643人、東京で270人と再び首都圏では増加気配だ。経済活動のシンボルでもあるGoToキャンペーンも本格化する。コロナで根拠なき安心感を持つことは油断である。ヨーロッパの油断が第3波の到来を予言している。補償が膨れ上がり国債乱発となると今の経済では無くとも将来の経済を確実に破壊する。望みがあるとしたら団塊世代を中心とした高齢者が全員亡くなり年金支出は減り、医療関係保障も極端に少なくなることだ。これは待てば自然にそうなる。

とんでもないニュースが

2020-09-26 07:51:49 | 仕事に関すること
飛び込んできた。国際エネルギー機関(IEA)が日本を含む加盟国から報告された電源別の発電量の速報値を集計した。国内の総発電量に占める再生可能エネルギーの割合が2020年上半期(1~6月)に23・1%に達していたことが分った。政府は30年度に再生エネの比率を「22~24%」にする目標を掲げているのだがそれを既に達成してしまった形である。再エネの中でも変動再エネと呼ばれる太陽光や風力は一定以上容量になると送配電系統の制御が困難になると出力抑制をしなければならないとか、場合によっては周波数調整ができなくなり大停電に繋がる恐れがあるとかネガティブキャンペーンばかりが目立っていた。
 このニュースのとんでもなさは1~6月の間に誰もそれに気づかなかったということである。出力抑制が大規模に行われたとか、大停電が発生したというのは聞いたことがない。この期間はコロナで消費電力が減ったから比率はあてにならないと言うかも知れない。しかし総発電量は前年同期比で僅か5・4%の減少である。再生エネの発電量が前年同期より18・6%も増えた。太陽光発電が14・3%伸びたほか、風力は18・5%増、バイオマスも22・7%増と、それぞれ大幅に拡大。降水量が多く、水力発電も21・8%増だった。燃料費がかかる天然ガスや石油などによる発電が抑えられ、再稼働していた原発も安全対策などで一部が止まった。その結果、再生エネの比率が19年の18・6%から一気に高まった、とのこと。
 バイオマスを除き燃料の不要な再エネは一旦設置されると使わなければ「損」である。政府の30年度目標値の再生エネ比率「22~24%」はもっと上げられるのではという議論は当然出て来る。一体長期エネ見通しを審議した先生方は何を議論してこの数値を決めたのか(必要総発電量-稼働希望原発発電量→他の電源の割り振り)で決まったのは容易に想像できるが。原発推進、返す刀で再エネ叩きの急先鋒だった我が大手購読紙もここ1か月くらい「原発も再エネも」という論調を小出しにしている。IEAの速報値を察知して、我が名言「蛇の寝返り」で気づかないように鞍替えを試みているのかも知れない。繰り返すが誰も気づかないうちに再エネ比率が23・1%になったことが凄い。いやこれ以上は無理と言いたいだろうが、30年目標は蓄電との組み合わせで必ず上げることができる。野心的な目標値と言われたものが誰も知らない内に実現する?こんな事は過去無かった。