太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

これが中弛みというものか

2019-05-04 08:15:05 | 仕事に関すること

政治小ネタもなく気になるニュースも殆どない。連休中の観光地もあまりニュースにならなくなってきた。こうも長いとネタ切れなのだろう。勤めていた頃はそれこそ何十年と毎日何某かの新しいことが起こり、嬉しいことも悩ましいこともあったが飽きるとか中弛みという時は1日も無かった。勤務地が家から車で10分くらいだったので休日も殆ど会社に出ていた。会社といっても生産現場はなく研究所と設計事務所を兼ねたような所だったが事務所に入ると仕事モードがONになり、何かしらやることはある。家でも出来ないことではないが、やはり周りの環境を整えないと仕事にならない。テレワークなどできない古いタイプの人間である。休日出てやることは普段できない原稿書きやプレゼン資料の作成、読もうと思って集めていた論文の読破である。こう書くと如何にも仕事人間のように見えるが、気晴らしは4千坪の敷地に設置された太陽光発電システムの実機を見回り、塗装や配線のチェックなどもする。さらに裏側にも4千坪の空き地があり、フィールドの草刈りだけでも8千坪あるから機械を使っても簡単には終わらない。普段業者や若い人を使って草刈りなどしたら経費と時間の無駄だ。

だだっ広い事務所をわが事務所のように使っていいた。敷地全体は赤外線が張り巡らされ、侵入者があれば警報が鳴りSECOMと連動している。時々ブザーが鳴ってSECOMから連絡が入る。一応はバットを持って敷地内を確認するのだが大抵は大型の野鳥(雉やペリカンのような大型の鳥がくることもあった)が赤外線を横切った時である。普段と同じようにプリンターやコピー機を使い、自販機の紙カップコーヒーを飲み、夏は冷房、冬は暖房をと快適である。たまに従業員が出て来ることがあったが何時も私が居るのであの人は仕事中毒とかの噂が広がった。何のことは無い一番リラックスできる場所に居ただけである。

良いことか悪いことか分からないが後半15年くらいは注意されたりする人は居なかったので本社勤務の同僚からは治外法権だとか、一国一城の主は羨ましいとか嫌味も言われた。失ったものと言えば本社勤務は名前を覚えられる機会も多く、上司の近くに居るとどうしても身近で仕事ぶりを見ている奴を引っ張り上げる避けようのない人情人事制度だ。しかし宮仕えのサラリーマンという感覚が無かったのはこの15年があったからだろう。大した出世もしなかったが自由に仕事をさせて貰ったことには感謝している。遊んでいたわけではない。この職場から世界に数千の独立型システムを供給し、国内では産業用の系統連系システムを最初に出荷し当初35年くらいはシェア70%は超えていただろう。惜しむらくは本社が仕事の内容を理解できない。何だか訳の分からないもので稼いでる、指導が分からないから腫物をさわるようなものだ。気の毒なのは部下もあまり社内では知られなかったことだ。精一杯アッピールして小さな組織と人を守っていたつもりだが、知られないことで昇格や昇給に影響したなら私の責任である。

社内で名前を知られるより業界で知られるようになったのもこの15年で、この間の他流試合で多少成長できたのは業界団体の活動に参加してからだと思う。もし外に出ていなかったら子供の頃憧れていた何時かはガキ大将にという狭い範囲で終わっただろう。外の世界にはとんでもなく優れている人とか中身が空っぽの肩書だけの人とか、仕事を離れても師と呼べる人とか本当に多くの人と出会うことができた。名刺は保存しているが多分千枚は超えるだろう。内外含めて色んな人と出会うチャンスを与えてくれたのは太陽光発電事業というだだっ広い世界のおかげである。1日たりとも飽きたことのないサラリーマン生活を送れたことは幸せ者と言えるだろう。