太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

リベートの源資はどこから

2021-11-30 08:55:51 | 日記
 某マンモス大学の理事長が脱税容疑で逮捕された。大学の附属病院への医療機器納入に際してリベートが流れたというのが事の発端である。当人は大学に損害は与えていないというがリベートが渡っていたとしたら当然納入業者はそれをONして機器納入をした、つまり大学側は高い買い物をしたことになる。こんなことは検察でなくとも容易に想像はつく。損害は与えていないというのは些か直截的である。
 それにしても理事長の風貌、押し出しは立派である。誰も喧嘩などふっかけられないオーラが漂っている。なろうと思ってもなれる外見ではない。このような容姿の小者がニュースに登場したことはない。多分多額の保釈金を払って出て来るだろうし裏金の流れを全部ぶちまけると言ったそうだがそれも無いだろう。腹立ち紛れにそんなことを言っても本人や大学に何の得にもならない。黙秘することの方が大物には相応しい。現ナマが1億円自宅にあったというのも如何にも常人離れしている。アメフトの時もいつの間にか世間は鎮まりこんなことが無ければ話題にもならなくなったが同じようになるのだろう。
 リベートというのは結構世間にはある。かって東南アジアで大型の太陽光発電プロジェクトの入札案件があった。香港のコンサルタント会社(一応中立という立場)が入札を仕切っていたが2社に対してヒアリングが行われることになった。営業マンから言われて1泊2日の超強行日程でアジア某国に出張した。ライバルはアモルファス太陽電池でこちらは結晶系である。ヒアリングでは技術的なことは完膚なきまで圧倒した。ところが結果は優先交渉権を相手に取られ入札価格でも僅差で敗れてしまった。聞けばこのコンサルはライバル会社から日本に招待され下にも置かぬもてなしを受けたとのことである。ホストは会長まで参加したとか。後日談だがアモルファスは所定の効率が得られず周辺の用地を買い足し相当大面積のものを設置しなければならなかった(多分赤字の案件になっただろう)。こちらは接待交際費など恥ずかしいような金額しか使えずとても日本への招待などできなかった。さらに後日談になるとライバル会社のプロジェクト責任者はかって私のところに居た部下であった。さらに後日談、彼に偶然会ったとき、大変なプロジェクトを任されてしまいました。相手が分かっていたら白旗を上げていたのですがと言う。いやあ完工できて良かったじゃないか。営業マンと言っているのだが10年経ったら観光旅行で現場を見に行くよと言って別れた。既に10年以上経過したが今現場はどうなっているのだろう。全て結晶系に置き換えたと噂があったが真実は知らない。
 接待交際費もリベートも本来はサプライ側のコストに含まれるが時には過当競争でコストに算入できず赤字になる場合もある。気を付けなければ。

冬近し

2021-11-29 08:44:33 | 日記
 列島各地から初雪の便りが聞かれるようになった。場所によっては既に豪雪になっているところもある。狭い様で結構日本列島も広い。寒いといっても子供の頃の思い出のように歯の根も合わず震えるというものではない。衣服や暖房のお蔭だろうか。ここで一句。
 「しょんべんの 近さで分かる 冬近し」
風物から季節を感じることは少ないが体は正直である。酷暑も厳冬もそういうことはないが毎年この時期はしょんべんが近くなる。年が行って膀胱の筋肉が固くなり容量が減っているのかも知れない。それでも昼間は20℃近くまで上がるので朝夕の寒さは我慢で過ぎる。腹が立つほど寒い経験はやはり極寒のモンゴル、2月だろう。マイナス30度は何度か経験した。何とか耐えられたのはホテルの部屋に帰れば、何れ日本にも帰るという確実な未来があったからだ。何処かで終わると思えば大抵のことは耐えて過ぎ去る。一番の問題は先の見えな不安に耐えることだろう。コロナ感染も下火になり様々な規制も解除されつつある中、街頭インタビューで若者が「オミクロン株で再び感染拡大があるかも知れない。今の内に飲み溜めします。」とのこと。勿論冗談のつもりであろうが本気になると大変である。世の中須らく刹那的になって良い事など一つもない。頂上より上は無いと耐える姿の方が美しく見えるのはこちらが高齢となった故か。何れにせよこの冬が最後の戦いになるのだろう。しょんべんも溜められのに飲み溜めなど有ろうはずがない。

どこまであるのかギリシア文字

2021-11-28 09:00:58 | 日記
 またコロナの新たな変異株である。南アで発生したというオミクロン株だ。まだ性質のはっきりしたことは分からないが感染力は過去のものより強い懸念があるとのこと。これにいち早く反応したのが株といっても株式市場である。再びの感染拡大を危惧し世界の景気の先行き不安を反映した形だ。株価は現下の景気判断の指標ではなく、将来の景気とか企業の業績予想に対する先行投資の意味があるという。しかも現在世界の株価は機関投資家が最も大きな影響を与えていると言われている。彼らはプロである。プロがオミクロン株の将来予測をしているとも言える。今日本ではコロナ感染が急激に減衰しているが理由が良く分っていない。医療のプロが分かっていないのだから逆の急拡大の理由も分からず第6波の襲来は避けようもない気がする。ここでプロの医療関係者でなく株の機関投資家に将来の感染拡大に対する予測を聞いてみたらどうだろう。無慈悲な将来予測が出たとしても投資家はあまり困らない。株価が下がっても空売りという儲ける手段も当然講じている。最大の被害者は一般の市民で、最も弱い所に顕著な結果が現れるのは世の常である。
 ギリシア文字の数だけに留まらない。次は小番号、孫番号をくっつけて幾らでも増やして行ける。ヨーロッパの例を見るとこの冬日本がどうなるかが正念場である。少なくとも第5波で露呈した対策の弱点は尽く潰しておかねばならない。それは政治や行政の責任に負うところが大きい。

今日は修了式

2021-11-27 07:58:20 | 日記
 今日は市民講座の修了式である。皆勤だったが3年目の今年は病院に行く都合で1回だけお休みをした。修了したからと言って何かある訳ではないが1年弱よく無事で行けたことに感謝しなければならない。今年も20数回の講義があったが残念ながら感動したとか役に立ったという回は思い出せない。毎年この時期は聴講生が1年を振り返って記憶に残る講義をレポートにして提出しなければならない。レポートと言ってもA4で1枚、字数制限もあり大著ではない。そのレポート集が前回配布されたが何気なく読んで驚いた。普段は質問もせず大人しく聴講している平均年齢70強の高齢者90名であり時間潰しの人が大半と思っていた。ところがレポートは印象に残った講義について自らの考察も加えて素晴らしいものばかりであった。1枚に纏めるには4,5枚書いて改稿を重ね要領よく所定のサイズに纏めていく必要があるがどれも明らかにその作業をやっている。中には文章を書くのはどうも苦手でと言う人も居たがとんでもない。こちらはあまり記憶に残っていない講義でも深い理解をしている人も沢山居る。レポートに仕上げる段階では多少の追加勉強もしている。さらに過去のキャリアをそれとなく挿入するところは技である。こんな田舎町の不特定多数の90人のレベルがこれほどまでとは驚いた。現役の皆さんが読んでも何歳くらいの人が書いたかは多分分からないだろう。今年は講師に感心するより聴講生に感心した。来年講師を予定の方々も予稿として読まれたら講義も緊張し充実するだろう。この深い読みと考察は残念ながら社会に活かす手立てがない。皆、庭や菜園を弄ったり、孫の面倒をみたり、ゴルフとか蕎麦打ちの趣味の生活に勤しむのだろう。年齢から言って明日どうなるか分からない身であるが如何にも勿体ない知恵が市井に溢れている。

高齢者の事故

2021-11-26 08:40:35 | 日記
 新聞を読んでいてまたかと思う事が二つある。一つは政治で、日米同盟の深化とか日米防衛協力の深化である。この「深化」という言葉は前々政権から屡々聞かれるようになり、何だまだ何か不備があるのかと記事を読むが良く分らない。耳にタコではないがあまり頻繁に使うといざという時を見失う。このまま「深化」を続けると地球の反対側に突き抜けてしまう。地球規模の防衛協力?それとも地球を突き抜けて宇宙まで?
 もう一つは高齢者の運転事故である。運転する高齢者自体の数が増えているという事もあるが年代別に統計をとってみても多分事故率は高いのだろう。ブレーキとアクセルの踏み間違いが原因となる場合が殆どのようである。通常運転していて踏み間違えることは殆ど考えられない。最初はちょっとしたトラブルが引き金になるのだろう。咄嗟の判断で通常運転に戻せるかどうかは年代によって差があるように思う。戻せない場合パニックになりペダルのありそうな辺りを踏み込み、間違えてさらに大事故に繋がってしまう。高齢者の免許更新で技能検査など各種試験はあるが長年運転していたら通常運転の技能では目立った欠陥はないだろう。想定外の事態でパニックに陥るかどうかは年代に関係なくあることだと思う。問題は元の状態に軌道修正する時間の問題である。長年運転しているとこういう場合はこうだと判断する経験は積んでいる。しかしながらパニックになるような事態はそう経験則にあるものではない。思い掛けない事故は経験という思い込みが招く結果とも言える。
 問題はもう自分は高齢で運転は危ないと自覚する人が少ないことだ。高齢者予備軍としてそこまでは分かっているつもりであるが今後、自分はもう危ないと思う瞬間に気付けるかどうかだ。歩いたり走ったりする能力は衰えに気付くが運転は手足の軽い動作と視力だけで何とかなるから気づき難い。何とか科学的にパニックから復帰する能力を試験として導入できないだろうか。客観的指標が欲しいものである。