太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

難しい線引き

2020-01-31 09:11:33 | 社会観察

本当は凄い数だろう。新型コロナウィルスの感染者数である。武漢からチャーター機で帰国した人の新型コロナウィルス感染者の数に驚いた。多分普段の生活で住人と濃厚接触しているとも思えないが2%くらいの人が感染している。感染は確認されていないが症状だけなら5%くらいである。これを武漢の抜き取り検査だと仮定すると既に武漢人口からして何十万人という人が感染の疑いがあることになる。ワクチンの開発は世界を挙げて優先的に取り組まないと大変なことになる。1918年のスペイン風邪では世界で2000~5000万人が亡くなったという。当然感染者は億の単位だったろう。もし東京でパンデミックが起こったら武漢のように封鎖できるのだろうか。経済も壊滅状態になるだろう。前途有為な若い人が罹るくらいなら代わってあげたいがこればかりはどうにもならない。今朝の報道では感染者は世界で9000人を超えたとある。WHOも国際緊急事態宣言を発した。

ここにきて色々な問題が浮上している。武漢から政府のチャーター機で帰国した人の航空運賃をエコノミー並みの9万円とすると発表した途端重鎮議員から反対があり、世間からもそれはあんまりだとの声が上がった。普通に考えると緊急事態における邦人保護の観点から運賃徴収はおかしいとなるだろう。しかしもし武漢市以外の湖北省の邦人が危険だから帰国したいと言ったらどう選別するのだろう。日本もWHOも武漢を名指しにはしていない。何処までの人がタダで日本に帰国するかの線引きは相当難しい。北京在住の邦人が中国は危険だから帰国したいと言えば当然自腹で帰ってくるのだろう。要は邦人保護のためにどういう状況、条件で帰国させるかである。議論にならなかったが安保法制の時、邦人保護のため艦船を使って帰国させるというのがあった。誰が船に乗れて乗れないのかの選別基準までは示されなかった。エコノミークラスの運賃問題は線引きを議論せず話しても始まらない。

もう一つは帰国者が一時的にホテルに隔離されているが相部屋で感染者が出た話。隔離なのに相部屋はおかしいというのは筋が通る。しかしもし親子で子供が小さかったらとか、何らかの介護を必要とする家族だったらとか個別事情もあるかも知れない。マスコミはこぞって相部屋はおかしいとだけ伝えているが実態はどうなのだろう。いざと言う時、法はどの程度整備されているのか、武漢と同じくらいの人口を抱える東京が封鎖されたらどうなるのか、当然シミュレーションはなされているとは思うが。新たなウィルスとの戦いは繰り返すだろうしそれは常に自衛戦となる。万能ワクチンなど無い。コンピュータウィルス同様モグラ叩きは今後何世紀も続く。デマの拡散もあるようだ。マスコミはより真実に近づける努力をしなければならない。SNSとかこが違うというところを見せて欲しい。


何もかも端境期

2020-01-30 09:37:42 | 日記

昨日も今日も春を思わせるような温かさである。このまま冬が終わるのかというとそうでもないだろう。多分2月に猛烈な寒波がやってきて帳消しになる。TV、新聞、ネットでこれと言ったニュースはなく国会中継を見た。興味を引くようなものは無かった。政治もスポーツも芸能も端境期だろうか。コロナウィルスが唯一のホットスポットであるが感染の拡大以外はあまり報じられない。丁度確定申告作成があり暇を持て余すことはないのが幸いである。

端境期と言えば気温の変化や不順な天候で健康に気を付けてなどと言われるが体調だけでなく不思議な経験もある。太陽電池を作っていた頃、必ずと言って良いほど春と秋は歩留まりが落ちるなどの工程が乱れた。原因を追究するがこれと言ったものが見つからない。当時は石英チューブを使ってガス拡散をしていたが、取り敢えずチューブを洗ってみようとなる。多少効果はあるが完全には復活しない。部屋の温湿度は年中一定制御されているので工程が季節変化することは考えられない。ところが実際に毎年同じような事が起こり原因が分からないまま自然に元に戻るという繰り返しだった。多分掴み切っていない条件があったのだろう。

人生においても節目、端境期はあるだろう。今その渦中に居るような気がしている。弊ブログ2015.5.19の「ちょっと真面目な話」で書いた人生V.S.O.Pで言えば2巡目のS(Speciality)に入った。1順目では確かに太陽電池のことが少しわかって専門性に目覚めた時期だと思う。しかしながら2巡目となると何を専門として身につけるか未だに定まらない。正月に初詣に行った時厄年のお祓いをしてもらっているひとが居たがこちらは厄年年表からも見放されている。節目が無いのである。もしかしたら今は端境期というより次の時代に入る前の英語の省略記号ピリオドだろうか。VとSの間、日本語なら読点「、」息継ぎの時である。工程のように不安定ではあるがこれを超えないとSには入れない。


労働力メリットオーダー

2020-01-29 10:41:25 | 仕事に関すること

昨日は業界団体の新春交流会(賀詞交歓会)に参加した。リタイアして5年になるが有難いことに毎年案内をくれる。経団連関連の交歓会にも何度か参加したことはあるが雰囲気は全く異なる。財界の交歓会はTVなどでよく報じられるがウィスキー片手に金魚のウンコのように高級役人に群がったり、一流企業のトップと嬉しそうに名刺交換する哀れなサラリーマンの姿はお馴染みである。さらに企業TOP達に、今年の景気はとインタビューするた殆どは上向くと答える。ところが賃上げはと聞くと殆どが否定的な答えをする。景気が上向いて利益を増やすが賃上げはしないよという宣言だろうか。

業界団体交歓会は最前線で働く部課長連中が多い。官庁の偉いさんが来ていても特に群がることはない。仕事で絡むことは一生無いだろうと踏んでいるのだろうか。慶弔の行事で集まった親戚でも、この場限り、今後一生接点はないだろうと思うと、愛想をふりまく必要もないと思うのと似ている。

それよりライバル会社に何か参考になるものは無いかとか、同じ悩みを聞いて安心するなどあくまで実用会話である。今年は明らかに昨年より参加者が多い。施策も普及にブレーキをかけるものばかりで明るいニュースはない。マスコミは相変わらず再エネにネガティブキャンペーンばかりで参加数増の理由が思い当たらないが、敢えて想像すると二つ原因がある。ここ3~5年の停滞に見切りをつけるための最後の確認。一つは市場が急拡大していた頃の現役が60歳定年となり再雇用で65歳まで働く人が増えたことだ。給与が半分以下でも元来好きな仕事、少しでも役に立てるならと働く人達である。現役の頃なら会社からどんなメリットがあるのかとか、遊びに行っているのかと陰口を叩かれたりしたが彼らには知恵もノウハウもある。遊ばしてもダメ元だという判断が会社にある。しかし60~70の再雇用組はある意味会社の財産なのだ。

発電所の運転でメリットオーダーというのがある。発電コストの安い電源を優先的に動かすという順序である。発電コストは限界コストと呼ばれ簡単には燃料コストである。1KWhを得るために太陽や風力を止めて火力を動かすことはコスト低減にならない。今全種類の電源を有する発電事業者が居たとすると太陽や風力を抑制して火力を動かすことはメリットオーダーに反する。発電の世界ではメリットオーダーにより石炭火力などの既存電源の稼働率が下がりさらにそれらの発電単価を押し上げるというデメリットもある。定年後の労働力は再エネにも似て給与(燃料費)は安く質的(経験やノウハウ)にも満足できるものである。だからと言って若者の職場を奪ってはならないジレンマもあり労働力界のメリットオーダーには工夫も必要である。しかしな何かを変えて行く原動力になりそうな気がした新春交流会であった。


社説ですら口を噤む

2020-01-28 08:14:23 | 社会観察

以下の一文は1月18日の弊ブログの一部である。
『朝刊の社説はまたかというものだった。「司法はどこまで判断するのか」というタイトルで裁判官が独自の判断で結論を導いている印象は拭えないとのこと。広島高裁の伊方原発3号機の運転差し止め仮処分決定に関してである。社説は以前も、規制委の専門家が安全と言っているものを何故素人の裁判官が安全でないと言えるのかと疑問を呈していた。それなら差し止めが却下された事例でも同じように素人がと言うべきである。』

今回伊方原発が点検中の相次ぐトラブルで仮処分決定への異議申し立てを暫く見送るという決定をした。報じられているのは誤って制御棒を引っこ抜いたとか一時的に全電源停止状態になったとかの重大なトラブルである。息まいていた件の社説は沈黙を通している。それにしても原発というのは運転中も点検中も難しいものだ。シーケンス制御(あらかじめ定められた順序または手続きに従って制御の各段階を逐次進めていく制御)では各工程に信頼度があり100%にはならない。それが重なって行くから長い工程では最終では相当信頼度は落ちる。勿論バイパスによって安全ルートはあるがそれでも確実に最終に辿り着くとは限らない。予定通りの結果が良ければ途中工程も正しかったと検証できるがやはり原発の制御は難しいのだろう。新たな安全対策は新たな問題を引き起こす可能性もある。社説が独自の判断で書かれるのはある程度仕方ないが(素人だから)シーケンスのズレが起こった時には素直には発言を修正するのも役割である。相当多くの人が社説は正しいと思っている(特定の年代だが)。昔ある大手商社の営業マンと海外売り込みの仕事をしたことがある。営業の極意は?と聞いたとき、客先に嘘を言っちゃダメ、でも都合の悪い事は口を噤む、と。それでは一流営業マンは?と聞いたら、客先で出されたものは何でも食べる。猿燻や鰐ブツ(切り)は当たり前とインディジョーンズの世界だった。今日は東京に出る予定。


何故だかほっこり

2020-01-27 09:33:54 | 日記

大阪国際女子マラソンを見た。青春時代を過ごした大阪も高層ビルが立ち並び様変わりしておりTVに映る風景に懐かしさは微塵もない。レースは松田選手がオリンピック標準記録を突破し後は名古屋で彼女を上回る記録が出なければオリンピック出場決定である。何よりも贅肉が一切ない鍛え上げた肉体は練習の賜物であろう。おめでとうと言いたい。それにしても今回の中継は煩いと思っていた女子解説者がオールスター出演である。互いが違いを見せつけようと思っているのか普段の倍煩い。勿論音量を小さくして聞いてはいなかったがかっての名選手必ずしも名解説者ではない。スポーツキャスターがタレント気取りなのはどうだろう。男子マラソンではあまり気になったことはないが女子だけは別である。

似た者と言えば駅伝の襷中継所でやたら臨場感を盛り上げようと絶叫する男子アナウンサーもいただけない。救われたのは一人の女性ランナーである。苦しそうな顔とか平静を装うランナーが多い中、比較的序盤から口を逆台形に開いて走る選手である。苦しいのだろうが決して普段は見せてはいけない形相と思うが真剣さと滑稽さが同時に伝わり思わずこちらが綻んでしまう。可愛さとかブサイクを遥かに超越した素敵な苦悶の表情である。大相撲は幕尻徳勝龍が優勝した。何時も相撲では負けた力士の敗因ばかり結果論でもっともらしく解説するMが「徳勝龍ひとりの力とは思えない、何か見えない力が働いたんじゃないか、それぐらいの奇跡」とか言っていたが失礼千万ではないか。本人が言うなら謙遜にもなるが他人が言うと「お前の力で勝ったのではない。」と言うに等しい。思っても言ってはだめだ。青汁は頭には効かないのか。

徳勝龍の出身奈良には10年くらい住んだが相撲が盛んなところではないから驚いた。徳勝龍は顔をみるだけで幸せになれる。凛々しいとか精悍とかの反対だが人を穏やかにさせる何かがある。彼と仕切りで向き合えば決して闘志満々にはなれないだろう。太ったお公家さんに見えなくもない。優勝インタビューで「自分なんかが優勝していいんでしょうか。」も人柄が出て微笑ましい。負けた貴景勝も「情けない。大関を名のる資格はない。」も潔いコメントである。サッカーで下位チームがゴールをした時天下を取ったようにパフォーマンスをする選手、私なんかがゴールしてもよいのでしょうかなどと言う輩は居ない。それにしても武漢の新型コロナウィルスによる肺炎の流行は不気味である。TVニュースで病院の映像など見ると実体はもっと深刻なのではと思う。感染覚悟で病院に駆け付けた人だけでも公表感染者の数を上回っていそうだ。ワクチン開発も急がれているのだろうがそのニュースは余りない。