確かに年がいくと年が過ぎ去るのが早い。理由は一つ、無為徒食の日々で記憶に残る日々が無いからである。今が去年の今としても違和感はない。問題はどうしてこのようになったかである。仕事は定年まで勤め上げたが、実は無事定年まで過ごせるとは思っていなかった。両親が早く亡くなり、姉妹も若くして大病を患った。自分一人だけが健康で長生きする筈が無いと何時も思っていた。幸いにも定年まで辿りつくと無事への感謝しかなく、一応やり切ったという満足感もあった。
定年の頃幾つか次の仕事の声も掛ったが全てお断りした。ここまでは来れたが、今後何か責任ある仕事を引き受けても途中で投げ出さなければならない事態になると申し訳ないという思いだった。何か社会の役に立つならパートやアルバイトのような時間で働く仕事かなと思っていた矢先同年輩の友人が病で亡くなり、年金など殆ど貰わず働き詰めだった人生を思うと虚しく、可愛がっていた部下が亡くなった知らせが入った。その後も周りの何人かが亡くなる場面がありつくづく人生は分からないものだと思った。決して遊びたいとか楽したいという意味で無為徒食になった訳ではない。何かを為すということは必ず責任を伴う。責任を果たす覚悟が無ければ引き受けるべきでないと思っていたことが最大の理由である。誰かが団塊世代の特徴を「人に助けを求められない」と言っていた。当たっている。それより前に多分「人に迷惑は掛けたくない」というのが来るだろう。年が行く恐怖はこの二つである。
4年目になろうとしている無為徒食の日々だがさらにいけない事はこれじゃ駄目だという気概が年々薄れていくことである。今度は残された時間がどんどん減っていっており、4年前よりさらに強く新しいことに手を付けられない。人に迷惑が掛らないような個人事業登記はしてあるが今頃になって大した才能は無いのに気付いた。勤めていた頃は相当会社という看板に助けられて居たのだとつくづく思う。決して個人技では無かったのだ。特に世間の信用と言う点では会社の看板は大きい。また、物を作ったり、書いたり、講演など沢山の種類の仕事をこなしていたが、会社の道具を使い、人を使い、業界の仲間に助けられやっていたのだ。選択肢はどんどん減って行っているが人に迷惑を掛けずにできることを一つでも見つけなくてはと思っている。まだ試していない才能は絵を描くことぐらいだろうか。実は物を書くことと同じくらい好きだったが受験戦争の武器にはならないので早く棄ててしまった。何時か試してみよう。
屁理屈オジさんのブログがこれでは締まらない。小言を一つ。こらTV番組、大晦日はやたら長時間番組が多過ぎる。生放送が多くて時間の区切りが出来ない場合もあるだろうが、やたら色んな番組をごった煮で詰め込むのは止めろ。録画ができないではないか。格闘技だけを見ようとしても録画できない。全編録画すると同時間の他番組が録画できない。長時間番組の中で目玉番組一つで全部見て貰おうという魂胆は近くのスーパーの目玉安売りで客を引き付けるのと同じだ。TV局は高給取りが多いのにスーパーと同じ戦略では情けないだろう。