太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

並行読書

2019-05-13 08:01:00 | 日記

朝刊の一面に「再エネ拡大 送電網増強」の大見出しがあった。経産省が北海道、東北エリアの電力を大消費地東京に送電する方針とのこと。背景には再エネ拡大のためや先日の厚真発電所トラブルによる北海道ブラックアウトがあるとのこと。再エネ拡大については6、7年前から業界団体で、再エネ拡大の為には地産地消ではなく産地直送が重要と提案し続けてきたがやっと重い腰が上がりそうである。一面に載せた新聞はアンチ再エネ、原発推進の急先鋒だったがこのところ文面のニュアンスが少し変わってきている。所謂蛇の寝返りというやつだ。一体どのタイミングで寝返ったのか読者には分からない。何れにせよ何時かは必要となる対策であり、膏薬的対策ではなく長期対策として始めても良い時期ではある。

B級読書で始めた3冊を同時並行で読んだ結果が出始めている。Aが飽きたらBへ、CへまたAへと進めるつもりだった。和、洋、中を一皿づつ注文してあっちこっち食べるようなものだ。B級読書だからどれが面白いか分からない。料理では和の後に洋、中と試し、また逆回りなどすると新鮮な味になることが考えられる。読書でも何か相乗作用が生まれるかと思っていたがそれはない。途中で止めるのは勿体ないから最後まで読む習慣だから並行しようがシリーズで繋ごうが時間的にも同じである。結果、全体の半分くらい進んだところで面白いものを先行してしまい1冊だけが早く終わった。馬鹿なことをしてB級読書のランクを下げてC級にしてしまった。TVのインタビューなどで背後に物凄い数の本が並んだ棚が映ることがある。この人はこれを全部読んだのかと不思議に思う。小説であっても三国志などは相当時間がかかる。山岡荘八の徳川家康などは一生ものである(いずれ読もうと思っているが)。大学の教授などは洋書がずらりと並んでいる。羨ましい限りの物凄い読書能力である。日本語でも知らない単語が出てきたら調べているのに洋書となると読む時間より調べる時間の方が長くなりそうでとても手が出せない。精々論文くらいの長さが限界だろう。

読むことと書くことは似たような作業である。新入社員の1年次研修で、社会人になったことを実感した時というテーマの作文があった。一応査読する役目だったが、大抵の社員は仕事に対する責任を感じた経験を書いていた。一人、ネクタイを締めて会社に行く時、と書いた者がいた。学生時代の服装はどうだったとか色々書いてあり異色の作文で採点に困った。彼はその後仕事のスキル、特にCADを導入した時など誰より早く習得し、仕事の勘どころも良かった。残念なことに若くして病死してしまったが多分若いころあまり本などは読んだ経験が無かったのだろう。もう一人、凡そ本など読みそうもないタイプの男が居たが、こちらは取説を読むのは大好きだった。OA機器の取説など隈なく読むのでそれはそれで重宝されていた。周りからは取説も読書ですよねと皮肉を言われてはいたが。

先日の本屋での老婆の立ち読みを目にした時とか、古本屋で籠一杯の本を買っていた長靴姿で野良着のお年寄りに会った時など、意味のない小さな感動を覚える。多分皺の数や深さや日焼けの外観に関係なく、未だに若いころの感性を持っているのだなあという感動だと思う。