太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

革新技術で環境貢献

2015-11-29 12:20:40 | 社会観察

日曜の朝、我が家の猫の額ほどもない庭の生け垣の木を切ることになった。20数年経つのに、ちっとも葉が茂らず垣根の役目を果たさないのだが、一応不要に伸びる。貴重な緑であり、妻は伐採して手間の要らないアルミのフェンスにしたがるが私は少しでも緑がある方が例え雑木であろうが気持ちが落ち着くと言って残してきた生け垣である。作業の最中最近引っ越してきた隣の奥さんがチリトリと箒を持ってでてきた。話をしたことは無かったがヒジャーブを被っておりモスリムの人と分かる。日本語は分からないと聞いていたが一応、日本語か英語が分かりますかと聞いたらNoの返事が返ってきた。それでも一応、どこの国の方ですかと聞いたらガボンと聞こえたのでへぇーと思ったがそのあと聞き取れるアフガニスタンと言われた。カブゥール(首都)の発音をガボンと聞き間違えた自分の英語力も恥ずかしいが、それでも懲りずに「私が働いていたソーラーセンターにアブドラ外相(カルザイ大統領の右腕と言われた男)が日本に援助のお礼に来た帰りに寄られたことがあり、二人で写真も撮りました。」と言うと残念ながら外相のことは通じたがそれ以外は通じなかった。

新聞を広げると一面トップに「COP21革新技術で環境貢献」と首相の演説案が載せられていた。 余談だが、昔首相の演説原稿に目を通す機会があった。太陽光発電に触れた部分に間違いがないかの確認を役人から聞かれた時のことである。驚いたのは平易な漢字を含めて全てにフリガナが打ってあることだった。漢字の読み方を間違えて覚えていて時々失笑を買う首相だったが、流石に国際舞台での間違いは不味いと思ったのだろう。役人も大変である。

COP21の演説案は新聞でしか知らないが水素貯蔵や蓄電に触れている。「水素エネルギー(の活用)は天候に左右される再エネの課題を解決するだけでなく、排出削減を実現しつつエネルギーを「世界中に安定的に供給できるようにしたい」と訴えるという。このことは来春までに「エネルギー・環境イノベーション戦略」を策定し盛り込む予定とのこと。

再エネにより水素を作り貯蔵し、水素を色んなものに利用する、というのは40年前から太陽光発電に携わる多くの学者、企業が描いてきた未来である。やっと本流に流れ込みそうな雰囲気となってきた。ポイントは国内のみならず日本の革新的技術により水素の生産・貯蔵・輸送技術を進化させ世界のエネルギーと環境に貢献しながら経済成長も同時に遂げようとする所である。原発の輸出はセキュリティ上かなり障壁がありそうだが、これならどこの反対も起こらないだろう。COPという環境から発したものだが、エネルギー、経済(成長)も同時に取りこむこの方針を崩さず世界の範となる尊敬される国、日本の実現を目指して欲しい


頭脳王と芸能人

2015-11-28 11:00:41 | 日記

昨晩頭脳王(難解なクイズ番組)の番組が放映された。昨年のチャンピオン東大医学部のM君が連覇となったが、その天才ぶりにただただ驚嘆するばかり。コメンテーターに芸能人が参加していたが、芸能人と言えばQ何とかという番組が幾度も放映され超簡単な問題に正解して大喜びする姿が度々放映される。一度同じスタジオで同時並行収録すると面白い。勿論問題は別々とする(同じ問題にしたら芸能人はぼろ負けし、単純に喜ぶ姿が見れないから)。

これは芸能人を小馬鹿にしてのことでは無い。テロップにはそれぞれ現在の年収の総額を流し、知名度を数値化する。一方は大学生であり収入は知れているし、学内や一部ネット上では知名度はあっても芸能人ほどでは無い。その差は既に社会人として芸という分野でそれなりの実績を持ち、社会に影響(貢献)を及ぼしてきた人達とまだ社会の緒に就いたばかりの学生との差である。同じクイズで一喜一憂する必要が無いことが視聴者に分かれば十分である。

頭脳王と言えば有名付属甲から東大に進み、一流商社に就職した男とある海外ミッションで一緒になったことがあり、身近にいるもんだなと思った。人の良いまろやかな性格の彼だったが、ピラミッドに行った時、地元の怪しげなモノ売りに絡まれ困ったことがある。その時、やんちゃなメーカーから来た男がすかさず脅しでモノ売りを退散させた。秀才とやんちゃも場面が違えば強さも変わる。やんちゃはその後職場を転々とし、多くの事業の後始末やリスクの高い仕事に携わった。エリート商社マンは中東に駐在したとこまでは知っているが多分本社で偉くなっているだろう。

東大卒と言えばノーベル受賞が出ない不思議がある。受賞者は一部の天才を除き、大多数は偏執狂とも言うべき努力家で、それぞれの分屋で世界に貢献した結果の受章である。最高に輝くポイントに辿りつく時間に差があるように思う。高校の同級生でやはり東大に行き、後に弁護士となって過労死110番を創設した男がおり、その兄貴は東大医学部を出て「街の赤ひげ先生」と有名になった。多分どちらも東大は通過点で社会で何を為すべきかの方に目標があったのだろう。何にどのくらい時間を割けば良いのか。

君たちはどう生きるかを教えてくれる著作は沢山あるが、何を為すべきか、到達点は、といったものまでは教えてくれない。生きた結果の到達点はひとそれぞれに任せられている。頭脳王が数分で答える問題を一生かけてやっと解ける場合だってある。162kmの剛速球でも毎日振っていれば一生に一回くらい当たるかも知れない。瞬時に打ち返す報奨が年棒であり一方の生涯年収にあたる。

頭脳王に出た人達の才能は我々の財産、ダイヤの原石である。これから何を為すかの期待は大きい。是非とも立派な実績を積んで行って欲しい。私を含めた多くの凡人は瞬発力には欠けるが「時間」はを味方にできる。人類の歴史からすれば瞬時と一生の差は無視できる差(頭脳王なら3秒くらいで数値化するだろうが)と思う。


些細なことで切れる大人

2015-11-25 08:49:05 | 社会観察

朝食時TVを点けたら些細な事出来れる大人の事件を報じていた。一つは投票所で70代の管理委員(?)が40代の投票者に「ご苦労さん」と声を掛けた事に「それは目上が目下にいうことだろう」と切れて暴行に及んだという。些細な事としてうっちゃって置けば良かったのだが「虫の居所」が悪かったのか。もし自分だったらどうだろう。暴力沙汰には至らないだろうが、確かに間違った使い方で、それが自分より可也年上なら許されるか、明らかに言葉を知らない若者ならその場をパスしただろうが、微妙な年齢差である。多分心の中で「いい歳して言葉使いも知らないのか」と侮蔑の舌打ちをして過ぎることになるだろう。「常識からして当然そうである」という強い思い込みが裏切られ時に切れると思う。自分自身も思い込みが強い方だからこれから気をつけないと。

感覚おかしいなと思われるかも知れないが、選挙の時、選挙カーの窓から候補者本人でも無い人が手を振るのも何か上から目線のように変だと思う。応援演説で有名な人が壇上から手を振るのはまだしも、バイトか親戚か知らないが通り過ぎる窓から手を振られたら「何様、まだ当選もしていないのに」と感じるのは自分だけか。

切れる大人が増えたのではなく、団塊世代中心に会社や家族、社会などの呪縛からある程度解き放たれた連中(一員だが)の母数が増えた、言わば自然増である。彼ら(私達と言うべきか)は体力は日増しに落ちて行くが、それを補う口数は寧ろ増える。手に負えない、始末に困ると嘆く必要は無い。30年後には大半は無口になる。

ついでに、国の委員会答申や企業の(不始末)記者会見でやたらと言葉の語尾に「・・・・・ございます。」と付けて丁寧語にする輩、多くの場合、TOPではなくその下の連中(会社なら常務か部長で上を気にする連中)だが信用してはならない。日常業務で使い慣れていて本当に美しく、けれんみ無く使える人が本偶に居るが、多くは本文に自信が無いから語尾で誤魔化し飾っている。多分自分は一生、・・・・ございます、という言葉は使えない。

 


無為徒食の日々

2015-11-21 09:15:26 | 日記

無為徒食の日々の中、久し振りに東京に出た。現役時代は週に3~4回のペースで出掛けていたが、電車も雑踏を歩くことも人に会うことにも何の違和感も感じなかったが何だか意味不明の疲労感が少々残った。そう言えば昔大先輩から「潜在意識に入ってしまえば全ては楽になる。人間は右足を出して次に左と思って歩く人は居ない。車の運転だってまるで体の一部であるかのように操作できるようになる。慣れるということはその所作が潜在意識に入ることだ。仕事が辛いとかしんどいと言うこともやがて当たり前のように潜在意識がやるようになり、そこから素晴らしい成果も生まれる。」と教わったことがある。何となく納得できたが意識的に潜在意識に放り込むことができないのも事実でありルーチン化には詮索しない継続した時間が要るのも事実のようである。

少々の疲労感の中には立ち寄った大先輩の雑談も原因であると思う。主旨は先輩の人生後半のライフワークの集大成ともいえる太陽光発電の歴史書に関してである。1000頁にもならんとするその著は歴史書に深い洞察と分析を加えた全く新しい分野の仕事のように思えた。それは数字をかき集めたデータベースのようなものでも、パワーポイントによるコンセプトペーパーでも政策論でも技術白書でもない。かき集めた太陽光発電に関するあらゆる分野の歴史的「事実」から「本当のとかろは一体何だ、これからどうなる、どうすべきか」と言うことを、とことん突き詰めて行く作業のようにも思えた。もうすぐ完成(本人はこれでよしという満足感は無いようだが)とのこと。こちらは読書感想文すら書けそうにないが一人の老人(失礼)がどこまで出来るかを目の当たりにする日も近い。

執筆中の大作の内容も重いが、雑談の度に生き方とか人生論が混じるがこれが実に示唆に富んで重い。本人は昔叔父さんから有名な小説にまでなっている生き方(某カリスマ経営者の著作を指してはいない、青少年向けの秀作)を学んだが、当時はまだ中学生である。叔父さんの言う意味をどこまで理解していたかは知らないがこちらはもう反省しきりの年代である。雑談の一言も聞き洩らさないと思うと自然と疲れは残る。それでも多分歳の差から言えば似たような関係であろうし、小説中の少年の名前が偶然私の本名と同じであることは何かの縁。小説中の少年は叔父さんに口ごたえすることは無いが私は時々異論を挟んでしまう。私も世間的には高齢者に属した少年でありオジさんであると大目に見てほしい。関係者がこの大作を目にするようになれば相当視野が広がると確信する。もし、このブログなど読むつもりなら、それより前に自身の「あとがき」の執筆を優先して欲しいと願っている。


蛸が自分の足を食う

2015-11-18 10:48:47 | 仕事に関すること

経営危機に陥っている会社が自社製品を社員に買って貰うという策に出て来た。社会人としてスタートを切った会社であり仕事というものを教えてくれたことへの感謝は今でもあるだけに残念である。40年前にも社員に特売するという策はあった。私も1万円でステレオを買った記憶がある。値段の割には立派なモノであった。今のように経営危機と言うより市場で売れない在庫品の一掃セールだった。しかし、自社製品に欲しいモノがあった当時と今では社員の購買意欲も当然異なる。社内販売は何処の会社もやることがあるが、経営状態改善に少しでも貢献すればとの思いだろう。

しかし、社内販売というのは丁度蛸が自分の足を食うようなものであって、食べて居る間は生きながらえるが生えてくる足は当然元の足より細くなる。もし生活用品全てを作っている会社があったなら、そこの社員が自社製品だけ買って生きながらえるか、Noである。給与≦販売価格であるから買えないという結論になる。蛸は自分の足より烏賊の足を狙わなければならない。在庫金利が嵩み、一掃することでカンフル剤としてやるなら別だが、放漫経営というより傲慢経営が今の危機(負債)の根本にあるとも聞く。やるなら特売セールで給料をもっと沢山貰っている人を一般市場で探すのが先で、それも尽きたならいよいよである。

経営危機と言われながら次々と新製品の発表も続けているある意味凄い会社でもある。この策を打ったら会社はこうなる、やらなければこうなると言った正直な説明が社員に為されているのかどうか。全社員が身を切る改革が自覚出来ているのか、もう諦めてただただ従うという状態なのか。社内販売が一般社員から発案されたのか、伏魔殿で決定されたものかで結果は大きく異なる。自主と義務の違いがこの会社の命運を握る。

元居た会社は太陽電池をやるものにとってはブランドであり誇りであった。最低3社は頑張らないと業界たりえない。偉そうに評論家ぶっている自分も最近愚妻がネット通販でSONYの液晶TVを2台も買ってしまった。もっ申し訳ない・・・という気持ちだけはある。