10連休明け、それぞれの日常が始まった。TVのニュースで街角インタビューをしていたが4割の人が長すぎると感じていたようである。金欠になったという人も居たが大方はどう過ごせば良いのか分からなかったようだ。私だったら10連休を分散して3連休が多くなる方が良かったと思うだろうが、要は休み方、遊び方が良く分からないのである。もし毎年5月に10連休があるとしたら計画を立てて有意義に過ごすこともできるだろうが、突然今年は10連休と言われてもどう過ごすか。サラリーマンの何人かは早く仕事に復帰したいと答えていた。少なくとも仕事をしていれば無駄な連休を過ごすより、何かの役に立っているという最低保証にはなるのだろう。日本人は恐らく世界で最も遊びに慣れていない民族ではないだろうか。
欧米のように個人主義が発達していない村社会ではのは、我が家は先に田植えが終わったので家族サービスで旅行でもと出掛けるには相当勇気が要る。隣が見える社会では同じように過ごすことが最優先である。長期連休が国民生活に馴染むには今少し時間がかかるように思う。田植えと言えば代掻きが始まり、早いところでは苗も植わっている。代掻きは田植えを容易にするためと思っていたが、土が細かくなり表面が平らになると苗の育ちにムラが無くなるとか、雑草の種が土中に埋まり育ちにくくなるとかの意味もあるようだ。今でもちょっと車で出掛けると田園地帯が広がる。蛙が鳴いたりして子供の頃の原風景がある。子供の頃田植えの後に大雨が降ったりして田んぼがまるで池のようになることがあった。農業用水の貯水池が溢れ用水路にフナやナマズがやってくる時もある。田んぼに来るとやがて水が引き大きなフナの背中が見えてバシャバシャ暴れるのが見える。ガキ大将は怒られるのを覚悟して網で掬いに田んぼに入る。こちらは小さいので入れてくれない。見張り役である。田植えの後で苗を荒らされては困る。遠くにお百姓さんの姿が見えると大声で知らせる役目だ。
実証研究でマイクロハイドロ(水力発電)の装置を水路に設置したことがある。田植えの時期は大変だった。水流が豊富にあると思ってたが上流で田んぼに水を引くため逆に減ってしまう。この頃は農家の人も水路の点検でしょっちゅう見回りがあり、発電機のところにゴミが集まり水が流れにくくなると大目玉を食らった。水利権の難しさも覚えた。貯水池で用水ポンプの実験をしたこともある。大型の貯水池だったがソーラーポンプ(太陽電池とインバータだけの簡単な組み合わせで当時はアフリカで普及していた)を設置したことがある。ポンプは順調に稼働したが設置したアレイの地盤が一部緩く、長いアレイの列がクノ字に曲がってしまった。地耐力など今ほど真剣に測定しなかった時代である。村からは何れ崩れるから早く修理せよと矢のような催促、予算を取るのに大いに苦労した。同じようなアレイはヨーロッパでも見かけた。丘陵地帯に木製の架台でアレイを組み立てた珍しいものである。一部架台が壊れたのか地盤が弱かったのかクノ字アレイが並んでいた。修理費は膨大だったろう。
直ぐに梅雨の季節である。