太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

他府県民だけど

2016-08-31 14:51:54 | 社会観察

台風10号による北海道、東北の被害が刻々と分かってきた。特に川の氾濫による被害だ。1年前の今頃、義務的に北海道旅行をしたが今回被害の大きかった南富良野にも出掛けた。森と美しい川に囲まれた本当に自然豊かなところである。川は澄んだ水が流れており流石に北海道だと感心したものである。まさかその川が氾濫して洪水を引き起こすとは。今回の台風では異常な雨が予測され、地域もかなり特定されていたと思う。ところが、かって洪水とかに見舞われた経験の無い所では切迫度がどれほど伝わっていたのか。想像を超えた災害であったのだろうが、想像できることには災害は起こらない、超えたところが災害であるという教訓を齎した。

一方でワイドショーは築地市場の豊洲への移転問題について小池知事が移転延期の決断をした記者会見を伝えている。前の知事なら何事も無かったように移転作業は進められていたはずなのに。あるワイドショーで訳知り顔の政治評論家(他の番組ではレギュラーとしてコメントもしている)が、「法律的には問題ないのに水質モニタリングの最終結果がでていないから延期するというのはおかしい。延期には反対である。」とコメントした。対して若狭(知事のブレーンの議員)氏が、「移転は農水省の管轄で、その審議会が水質モニタリング調査をすべきと結論し、都はそれに従っている。安全は何より優先される。」と反論した。何故モニタリング結果前に移転するのかという疑問に対し、両氏ともオリンピックのための環状道路を築地の跡地を走らせる必要があり、その工期が優先されたとは一致している。

中学の修学旅行が東京で前の東京オリンピックの直前であり、いたる所で今の首都高の工事が行われておりバスから見える景色は工事だらけだった記憶がある。大人になった今思えば、利権と無理押し、ごり押し工事の塊だったことは容易に想像がつく。本四架橋の工事でひと儲けした親戚の鉄工所から聞いた話では「値段は幾らでも構わない、兎に角オープニングに間に合わせなければならないという話に乗っかりひと儲けした。道路工事というのは開所が決まっており、それに間に合わせるためには相当無理をしなければならないのは今も昔も同じようである。

とは云え、法律に反しなけれれば良いというのは筋が通らない。この訳知り顔の評論家は当然、前都知事の政治資金の使途問題の時も「法律に反している訳でも無いのだから」と擁護すべきだったのでは。ワイドショーは番組自体よりも出て来る評論家の話を聞きながら品定めをするのが最も面白い。本物と偽物は直ぐ分かる。太陽電池業界のように、審議会、研究会の結論を法律以上に重く受け止めるのもどうかと思うが・・・・。

我が県の知事はスポーツイベントと農産物フェアの時は必ずと言って良いほど握り拳と笑顔でポーズをとって登場する。良い所は大凡悪い事はしないだろうと思われる万年青年であるところ。新潟の知事が次の選挙には出ないと言った理由が良く分からない。ちょっと面白い人だと思っていたのに。やっぱり、小池知事は言う事、為す事、劇場型の俳優らしく面白い。自民党は金太郎飴みたいに誰もが同じ事を言う。小池知事のような人が出て来ないと政治から興味を無くしブログのネタが無くなる。築地市場の傍を良く通ったが、老朽化は明らか。移転せざるを得ないとは思うが、都民税を払っている人達はそのプロセスは注視しなければならない。もし、我が県のことだったら握り拳を振り上げて文句を言う場面満載。


良く当たる天気予報

2016-08-30 08:41:51 | 日記

台風10号が日本列島に接近中である。今夕には観測史上初めて東北地方に上陸する予定で、TV各局は警戒情報を流している。多くの人が感じていることだが、台風が南太平洋にある間は進路が定まらないが、日本近海に来ると俄然進路や時間帯の予測精度が上がる。台風の進路が偏西風やその時の気圧配置によって決まることは昔から分かっていたのだろうが、衛星を含めた各種観測装置、コンピュータ解析の進歩によって格段に精度が上がってきた。特に風や雲の流れのシミュレーションは見事である

この予測により、進路にあたる地域では事前の備えを行う。防災と言う点では天気予報の精度が上がることは多大な貢献をしている。防災はハードの備えが注目されがちだが、それを効率よく行うのは予測技術である。出来そうで出来ないのが日射予測である。やろうと思えば可也ピンポイント(メッシュ)で可能なのかも知れないが多分予測のニーズが高く無いのも原因だろう。もし人間が1日に浴びなければならない日射量の最低値があったとしたら予測技術は向上し、人々は日射を求めて移動する。もし二酸化炭素の量がある閾値を超えると特定の生物が即死滅するとなると削減には必死となる。

太陽光発電にとって日射予測は喫緊の課題(ニーズ)である。もし、明日の日射のパターンが予測できるなら晴れている今日蓄電池に充電しておいて明日使おうとか、さらにインターバルの小さい予測がピンポイントで予測可能ならA地点の太陽電池が出力抑制に入ろうとする時、B地点の日射不足(発電不足)が起こるから抑制のタイミングはこうしようとか広範囲に制御が可能となり効率的な運用ができる。勿論スタンバイが必要な補完電源(調整電源)の発停制御も安定して可能となる。日射(変動)予測のニーズが他の分野でもあるならばもうちょっと予測確立は早まるのだろうが。

もし、こういう技術インフラができればこういう事が可能なのだが、という検討も面白い。日射パターンについては20年以上前、太陽電池の発電を一定のパターンでプログラムしておき予測日射パターンを重ね合わせて過不足分を蓄電池の充放電で補えば太陽電池は常に一定のパターンで発電しながら、しかも蓄電池の最適容量が決められるというアイデアを出したことがある。広範囲のエリアにある太陽電池や蓄電池をうまく制御すれば安定化に貢献すると思ったのだが残念ながらニーズが無かった。洗濯屋が天日干しするときは雨が降ったら取り込むとかの人出を掛けずに電動で屋外に出し入れする物干しを作り、予測日射パターンを入力しておいて物干しの出し入れを自動で行うというアイデアはもっとニーズが無かった。天気予報を見て明日の遠足をワクワクして待つ子供のようなニーズは無いだろうか。明日は晴れるぞ、と誰が期待するのか。太陽光発電も仲間を作らなければ。


再び沈黙もんじゅ

2016-08-29 09:08:26 | 社会観察

ネット上の新聞記事の受け売りだが、もんじゅを運転させるためには今後10年間で国費6,000億円(廃炉なら3,000億円)が必要とあった。もんじゅは言うまでもなく、国も電力会社も核燃サイクルの中心としてこれまで位置づけてきた。今までに投じられた国費は1兆2,000億円とある。足すと1兆8,000億円となる。

もんじゅについては昨年11月14日に「もんじゅに沈黙」と題してブログを書いたが、内容は今でも訂正することは無い。今日は1兆8,000億円について。

現在編集作業に携わっている「太陽電池の歴史」本編(概要編はこの6月にJPEAより公開済み)によると、1974年のサンシャイン計画から2015年までに太陽電池関連に投じられてきた国費は約1兆8,000億円となる。これには研究開発や補助金など所謂国費(原資は税)で賄われたもので、偶然だがもんじゅの数字と同じである。数字を横並びにする意味は無いと思われるだろうが、「太陽光発電は今まで幾ら金をつぎ込んできたか!」という叱責にたいしては規模感としては伝えられる。もんじゅはまだ稼働実績(成果を出す)は無いが、太陽光発電はサンシャイン計画以来、小さいながらも都度成果を市場に示してきた。

だからもんじゅより太陽光発電をと言う気はさらさらない。それぞれが別の目的によって国費が投じられて来たわけだから。問題はこのような記事が出ながらも、これまでの推進論者(電力会社や国あるいは経済団体)から「国費の追加をしてでも、もんじゅは必要である。」という積極的意見が聞こえてこない(報道されない)ことである。再び沈黙してしまうと諦めたと思われてしまう。核燃サイクルの夢の続きは見れないのだろうか。


不器用なエイリアン

2016-08-27 16:06:16 | 日記

地球から僅か(?)4光年しか離れていない惑星の表面に液体の水が存在する可能性があるとイギリスの大学チームが発表した。地球に似ており生物が存在するかも知れない。エイリアンか。それにしても映画に登場するエイリアンはどれもこれ怪獣まがいで現実感は無い。特に高度な機能の宇宙船に乗っていながら、どうみてもその厳つい手では操作パネルが操れるとは思えない。脱出装置の噴火ボタンと自爆ボタンが隣あっていたらきっと両方押してしまう。百歩譲って念力のようなもので操作するとしよう。じゃあ、その繊細で洗練された機体は誰がどうやって作ったか。これも部下にもうちょっと人間に似た構造の器用な生物が居たとしよう。その部下が船体を作ったとしたら何故画面に登場させないのか、何故怪獣の命令に従わずに自分達の器用さと頭脳で文明を築かないのか。

別の映画では何千万年もの昔、宇宙大戦争が起こり子孫を逃がして生き延びようとしたエイリアンが巨大な宇宙船(カプセル)を人類が生まれる前の地球に送りこんだ。何千万年もの時を経てそのカプセルからエイリアンが甦るというもの。これはあるかも知れない。我々が時を測るのは自転や公転、あるいは人間の一生という単位が基本となるが、もしかしたらエイリアンの時間は百万年単位かも知れない。そもそも一生という概念すら無いかも知れない。

最近鮫のある種類は寿命が400年もあるという発表があった。もし、一世代30年とすると、この鮫を飼うには10世代以上面倒を見続けなければならない。江戸幕府が開かれた時から今日まで餌をやり続ける勘定である。こうなるとどちらが飼われているのか釈然としない。時間軸はそれぞれである。

もし、今後エイリアンの映画を作るなら如何にもこの高度な武器と宇宙船を作ったであろうと想像できる生物にして欲しい。アメリカ映画に言っても無駄か。日本のゴジラだって口から火を噴く?それは科学的に可能である。昔アモルファス太陽電池を作っていたころ、ボンベからシランガスガスが漏れた途端に空気中の酸素と激しく反応して火を噴く経験は何度もあった。もしゴジラが体内でシランを合成(SiH4だからありきたりの元素からできている)したら勢いよく口から吹き出すと当然火炎放射器のようになる。日本人の作る怪獣は科学的である。


コンセプトで終わらせるなVPP

2016-08-26 10:41:31 | 仕事に関すること

朝刊に国がバーチャルパワープラント(VPP)の促進に支援を行うという記事が出た。VPPについては過去ブログを書いたことがあるので、めったに過去を振り返らないのだが遡ってみた。5月15日に「今太陽光発電で想うこと」6月8日「描く未来が似て来た太陽光発電」という二つが出て来た。

繰り返しになるが、VPPこそ小規模分散電源、変動電源の究極のポジショニング、位置付け、収まり所である。そこにはあらゆる技術開発要素、知恵の限りの制度設計、そして新しいビジネスチャンスが包含される。さらに広義には既存の大型電源までも含む可能性がある。

問題はVPPコンセプトは一気に全体が、しかも意識して現実化出来るもので無いことである。過去多くの素晴らしいコンセプトが提案されてきたが、それを実現する当事者が出て来なかった。簡単に言えばビジネスと捉えるにはあまりに巨大で、煩雑でリターンが曖昧、国策でやるには時間と金がかかり過ぎるところが問題であった。

コンセプトもそうだが、研究開発成果、国による制度設計、規制緩和、どれをとっても一番難しいのは最近はやりの言葉で「社会実装」の段階である。

VPPが過去にあったコンセプトの反省に立つならば、実現のアプローチを変えなければならない。VPPを実現しようとは誰も思わない、もっと小規模の範囲(地域的、技術的)でビジネスチャンスが見つかる、ただ、風が吹けば桶屋が儲かるというような小規模だが理屈を連ねて行けばVPPにも繋がるという筋立てを外してはならない。HEMSやBEMS、V2H,V2G,出力抑制すらやり方によってはVPPへの屁理屈は成り立つ。制度設計しかりであり、補助金も規制もロードtoVPPに繋がるようにする。

VPPは進化発展のプロセスを辿って、初めて皆がこれに繋がったのかと気付く。