太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ヴァーチャル(仮想)がリアル(現実)に

2020-07-31 08:43:42 | 日記

昨日はまたコロナ感染者が全国で1301人、東京367人と有難くない最多記録を更新した。新たな日常とか新しい生活様式と言われるが簡単には馴染めない。一方でこうも長く感染拡大が続くと何れ感染拡大は終わって元の状態に戻るだろうという楽観論は次第に薄れて行く。先の見通しが立たない中、帰るべき元の状態が霞んで行っているのである。今の姿は仮だと思いつつ一体何処に戻るべきなのかが分らなくなってきたのが正直なところだ。リモート学習ではりんごの映像を見てAppleと習う。しかしそれはりんごの映像であってりんごではない。勤めていた頃東京駅と新橋駅を良く使った。朝夕のラッシュに出くわすと、よくもまあこんなに大勢の人が机上、パソコン上と言うべきか、で物一つ生産しないで暮らして行けるものだと感心していた。物を作って触っての現場が長かったせいかも知れない。ビットコインが出て来た時、必ずしも具体的に物に触らなくても成り立つ世界があるものだと感心した。東京や新橋のあの大勢の人達はヴァーチャルで食っていけるのだと納得せざるを得ない。新たな日常とか生活様式はどんどんヴァーチャル化して行くのだろう。ワクチンの開発は2年くらいかかると言われている。もしこの先2年、今のように感染の波状攻撃に曝され続ければ多分ヴァーチャル世界はもっと広がる。東京や新橋のサラリーマンは素早くリモートワークに馴染んでいけるだろう。コロナが無くてもヴァーチャルのリアル化は進んでいくが感染が長引く程拍車がかかるのは明らかである。

ヴァーチャルで思い出すのは分散設置された太陽光発電所を一括りにしてあたかも巨大な一つの発電所のように運用するVPP(Virtual Power Plant)というコンセプトである。実物ではないが機能として巨大発電所を作り出すからVirtual Realityと呼ぶべきかも知れないが、個々の発電所を入り切りすれば負荷変動にかなり追随できる。また故障のリスク分散にもなる。これはかなり近い将来実現すると思うが希望の技術である。今世界全体が「仮の姿」の中にあるが仮想はやがて現実となる。新しい日常は意識して作るものと社会の進化の象徴が混然となってやってくる。バァナァナと教えられてもそれが高級果物だった時代を知る人は少なくなってきた。時代について行こうとやっとホームセンターの無人レジが使えるようになった。しかし未だに電子決済は馴染めない。ポイントが貯まろうが多分利用しないまま終わるだろう。リアル化するヴァーチャルを取捨選択せざるを得ない年代になってしまった。


それは不謹慎というもの

2020-07-30 07:10:33 | 社会観察

昨日のコロナ感染者数は全国で1264人と過去最多であった。どれくらい感染したかとある種興味を持って数字を見る。不謹慎と言われても仕方がない興味である。上がりも下がりも自分には直接関係のない株価を見る興味と同じかも知れない。勿論株価は上がる方が、感染者数は下がる方がよいに決まっているが。ただ数字を眺めているだけで見えてくるものがある。地方への感染拡大である。

人生何度か引っ越しをしたが幸いにも大災害に見舞われたことはない。しかしながら今回ばかりは避けられないかも知れない。わが市もコロナ感染者が少しづつ増えてきた。絶海の孤島の要塞ではないから単なる行政境界である市町村では必ず人の往来はある。これほど強い感染力があればちょっとした隘路があればウィルスは伝ってくる。ここ一年くらいは人に会うことも、電車に乗ることも遠出することも殆ど無い生活を送って来た。意識してというよりそういう生活パターンに入った。手洗い、マスク着用も励行し結構気を付けているつもりだ。もし自分が感染するようなことが有れば日本人の殆どは感染するだろうと思われる生活である。世界の首長では自分は感染しないと思っていたり、感染しても大したことにはならないと豪語している人達は、もし自分が感染して他人に移ることを何とも思わないのだろうか。自分が今一番恐れるのは他人に移しはしないかということである。

コロナ感染は指定感染症となり類型は二類でSARS,NARS,H5N1鳥インフル、H7N9鳥インフルなどと措置は同じである。感染が確認されたら入院や隔離されなければならない。これは法律である。ところが感染症法の解説を読んでみても、自覚症状の無い人をどうするかまでは書いていない。魔女狩りのように怪しげなものを片っ端から捕まえることなどできない。症状がなくても保菌者は感染力があると言われているから残されたのは徹底的に検査をして感染者を洗い出し隔離することである。

何処かの首長のリーダーシップが素晴らしいとか駄目だとか言うのは早計である。今後地方に感染が広がってどこも同じような状況になる可能性もある。勿論日本の場合何処の首長も感染防止に躍起である。苦渋の決断を迫られるというのはこういう時に使われるのだろう。観光立地なのに来訪は控えてとか言わざるを得ないのは売れ筋商品だがもう買ってくれるな、もう作らないと社長が言っているようなものである。コロナに関して首長を評価するのはメディ、特にTVである。首長はそんなこと気にする余裕などない筈である。どの対策が功を奏したか否かもっと先に検証評価すべきである。持ち上げたり腐したり特にワイドショーは罪深い。


しぶといコロナ

2020-07-29 06:46:55 | 社会観察

今日も雨模様、このままでは農作物が日照不足で不作になるだろう。コロナの地方への感染拡大が止まらない。昨日は全国で981人で過去最高レベル。最近では東京の約2倍が全国の数だったが昨日は東京266人で3.69倍である。行政も何か手を打たないと3密を避けてとか不要不急の外出は控えてとか個人の責任だけではこの流れは止められそうもない。止めるどころかGOTOとか逆行しているのは経済との両立を目指しているのだが生ぬるい。まず止血だろう。血が止まらないのに幾ら栄養補給をしても症状は長引くばかりである。今一度感染拡大が落ち着いてから経済のことを考えるべきだ。

2波どころか3波もあり得るだろうから何度も原点に立ち返って対策を打つ事を覚悟しなければならない。残されているのは法的拘束力を持った自粛を求める緊急事態宣言の発出だ。政治家や官僚は過去やったことを決して間違っていたとは言わない。しかしコロナ対応は別である。緊急事態宣言を再発出したら野党もマスコミも解除自体が間違いだったと迫るのは明らかだが躊躇している場合ではない。マスクの再配布だってその一環と思えば納得できる。感染状況の先の見通しなどできない時に責任ある政治家なら打つ手に迷いなど無い筈だが。症状が長引いている間に今度は九州に続いて東北地方で洪水被害が出ている。災害は容赦なしである。政治にできることはまだまだあると思うが永田町からの声は聞こえてこない。GOTOではないがどんなに素晴らしい内容の政策もタイミングがずれただけでとんでもない愚策になる。しぶといコロナに対してブログはしぶとく続く。


一呼吸置いてから検索

2020-07-28 07:43:01 | 日記

リフォームのついでに網戸まで貼り替えそうな勢いになってきた。何枚かあるうちの1枚が破れているという。30年も使ってきたのだから仕方がない気もしたが素人でも貼り替えができると聞いたのでネットで調べてみた。ドンピシャのタイトルで懇切丁寧な手順が示されていた。準備するものも書いてあったので早速ホームセンターで購入、網とそれを固定するゴムチューブ、チューブを溝に嵌め込むための簡単なローラー治具、3点で500円にも満たない。早速貼り替え作業をやって見ると網はピンと張れたし新品同様になった。意外と簡単で唯一網を弛みなく張る方法が書かれていなかったが、チューブを溝枠に押し込む(治具で)自然に弛みは無くなった。今朝の朝刊折込で襖や網戸の貼り替え広告が入っていた。昨日の作業だと2500円である。ちょっと得した気分だが工賃を入れるとそうなるだろう。

検索では何でこんなことまで載っているのだろうと驚くことは良く有る。パソコンのトラブルやネット詐欺、籤の当選葉書や怪しい電話など慌てて対応するより一呼吸置いて検索で調べてから行動をおこすべきである。殆どドンピシャの解決策があるから不思議だ。こんな記事を載せて誰が得するのかと思うがありがたい。

立ったり座ったりで結構網戸の貼り替えは疲れたがそれでも仕上がりに満足していたらそれじゃあ他の網戸もと言い出したので、破れていなければ洗えば済むと拒否した。リフォームでは使っても居ないガラクタが随分出た。引き出物の茶碗が入っていた木箱は釣りの餌箱に返信した。ニスまで塗って吊り下げ紐は100均で調達。仕上がりに満足はしたがこれも釣り道具屋で500円くらいだった。リフォーム工事で職人さんの仕事を偶に見物したが手を抜かない。細部の仕上げにも拘りやたら時間をかける。性格にもよるが作業の満足は顧客よりまず自分という厳しさがあった。ちょっと床シートの気になる所があったので指摘すると営業はあれこれ言い訳するが後日職人さんが貼り替えにやってきた。自分の仕事が許せなかったのだろう。

子供の頃から物を作るのも、作るのを見るのも大好きだった。特に大工さんが家を建てているのを見ると大型のプラモデルを作っているようで羨ましく思った。木組みのときなど日々形が出来上がってくるのはやった事が形になる楽しみもあっただろう。人生前半は物を作る仕事だったが結果を予測して実験の繰り返しである。少しずつ成果が目に見えるというのではなく成果は0か1である。殆どは目的の結果は得られなかったが何度かは予想外の結果があったことはラッキーである。殆どこれといった成果もなく一生を研究で終わる人もあるだろうから。当時はネット検索などなく、殆どのヒント情報は論文に頼るしかなかった。今なら100倍のスピードで仕事ができたのではないかと思う。


普及曲線どおりに

2020-07-27 07:51:11 | 日記

4連休は雨の連続だったが明けて今日は青空ものぞいている。外出自粛には雨も効果があっただろうし、学校や職場に行かなければならない今日はこの天気である。天の配剤と言うべきだろうか。首都圏で感染拡大したコロナは地方へと広がりを見せている。昨日は全国で835人、特に地方都市大阪141、福岡90、愛知80と東京の239人についでいる。それ以外でも地方都市の増加は顕著である。工業製品が大量生産により大都市から普及し始め徐々に地方へと拡散していく普及曲線に似ている。水面に落ちた水滴が同心円の波紋を広げていくようなものでこれがアベノミクスの成果であればどんなに良かっただろう。人口の密集度合いと人の往来頻度に強い相関を持っていることは明らかだ。たとえ東京が収束に向かっても地方が減少に向かわない限りコロナは収束に向かっているとは言えないだろう。どれだけ地方での拡散が防げるかが今後の課題である。

太陽電池は工業製品だが普及の形は異なっていた。大都市で使い慣れたものが僻地に向かって拡散していくのではなく、送配電網の未整備な僻地と完備された都市の双方向からほぼ同時に普及がスタートした。前者は独立型で後者は系統連系型である。両端からスタートした普及は郊外で出くわす。この場合送電もは届いていないがディーゼル発電機などで電気の供給はできる地域が郊外である。太陽電池か発電機か送電線の延伸か判断の迷う地域ともいえる。昔この普及の様子を絵にしてプレゼンなどで使ったが結構受けは良かった。

まさかコロナで大都市が収束に向かっても再び地方を震源として都市に攻め込むことはないだろうが不気味な感染拡大である。都市と地方の間はまだ対策も講じられるがもし海外からの持ち込みがあると3体問題となり動きは全く読めなくなる。こんな時に支持率5%にも満たない政党同士が合流協議で、しかも党名で揉めているなどというニュースを見ると呆れかえる。今世紀中に政権交代可能な巨大野党など夢のまた夢。全員一度自民党に合流して保守分裂で2大政党を目指すくらいの大胆な方針転換はないのだろうか。未だに緊張感のためには捻じれてこそ国会を信奉する超少数国民がここに居る。