太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

蝉の鳴かない夏

2016-07-29 08:05:12 | 思い出話

夏休みに入ったが子供の減ったい我が年老いた街は静かそのものである。ここに住んで30年近くになるがどんどん静かになって行く。夏休みに入ると、公園や庭の木々に蝉がやって来て鳴き競う声を聞くと、ああ夏休みに入ったと感じたものだった。今ではその木々が立派に枝葉を伸ばし、いっぱしの木となっているが蝉はやって来ない。昔は周りに田んぼも残っており、蝉やトンボが育つ環境があったが 今では殆ど住宅地になっている。それでも少し離れると木が茂った小山や田んぼもあるのだが蝉はやって来ない。

子供の頃は瀬戸内海から丘一つ隔てた田舎で育ったから自然が遊び相手だった。夏休みは何と言っても蝉とりである。蝉の王様はクマゼミで、その鳴き声から「シャッシャ」と呼んでいた。どう聞いてもシャッシャッシャ、シャアシャッシャと聞こえた。これは枝の高いところに止まるので中々捕まらず貴重だった。アブラゼミは「ガンガラ」と呼ぶ。これも鳴き声が「ガンガラ、ガンガラ」と聞こえた。夏休み終盤ではホーインツク、ホーインツクと鳴くので「ホーインツク」と呼んでいたツクツクボウシを捕まえる。クマゼミの小型のようで透明な翅を持つ。蝉を捕まえると言っても網などという高級なものは存在しない。竹竿の先に針金を丸くしたものを取り付ける。ここに黒と黄色の模様のある蜘蛛の巣をクルクルと巻き取る。粘り気がある蜘蛛の巣の見分け方はガキ大将直伝である。これを蝉にそっと被せる。蝉が蜘蛛の巣にくっつく。これもガキ大将譲りの歯抜けになった竹ひごでできた虫かごに入れて持ちかえる。母親に見せると「お前が一人でとったんか」と少しビックリして少し喜ぶ。小学校に上がる前後の思い出である。

夏と蝉はセットである。今はこんな思い出を語る相手など居ない。本邦初公開である。


世の中似たりよったりか

2016-07-28 08:09:39 | 社会観察

2日前にNHKの番組でロッキード事件を取り上げていたことを書いたが今朝の新聞のTV欄に放送評論家と称する人が力作であると長いコメント(評論?)を書いていた。内容はブログとほぼ同じであった。また、何日か前、南シナ海に太陽光発電所を実効支配として建設したらイザという時躊躇なく破壊できるかという趣旨のことを平和のシンボルである鳩を車で轢いてしまった経験になぞらえて揶揄した。これも今朝の新聞で実際太陽光発電所が建設されていることを知った。

数少ない私のブログの読者から数カ月前、ある会社の破綻について「次はどうなる?」と聞かれたことがある。ブログで次に起こるであろうことを書いていたら比較的的を射ていたからである。しかし、これらは予測や予言ではなく、多くの人がこう考えるだろうと思う事を書いていた。太陽電池の歴史を読んでも素晴らしい発明や発見の前後には必ずと言って良いほど同じ様な実験や成果が得られていることに気付く。たまたま有名になった人が少しだけ頭抜けていたりラッキーだったと思われる。この人達は素養として同時代の知見を身につけており、これが基礎となって偉大な発明や発見をしたのである。この意味では決して他の場所、他の時代で為せることではない。

我々は知らず知らず共通の認識を基準とし、あるいは教科書として学んでおり、自らの行動を決めている。ブログに書くことも決してオリジナリティがあるわけではない。多分世の中こう考えるだろうという“常識”を慮って(おもんぱかって)書いている。それは自分が世の中からはずれまいとする悪アガキかも知れない。全ての人は時代や場所によって支えられている。たった一人で為せることは殆どない。ボクシングの世界戦で勝者がインタビューを受ける時、必ずと言って良いほど「支えてくれたジムやトレーナー、家族そして応援してくれたファンのおかげです。」と優等生のコメントをするが本音だと思う。決して「おれはこの拳一つで勝ち取った。」とは言わない。ヒーローインタビューではその周りの教育的環境まで見えてしまう。

世の中似たりよったりの考えに支えられて生きている。俺が俺がという人を見る度に“それは違うだろ”と思う。太陽電池の業界でも知る限り3名は居る。ボクシングの勝者がトイレの個室で拳を眺めて呟くなら良いが、この人達は公衆の面前で“俺が俺が”とさりげなくあるいは声高に叫ぶ。太陽電池の歴史本を学ぶと良い。

 


何かが狂い始めている

2016-07-27 10:11:31 | 社会観察

相模原市の障害者施設で悲惨な事件が起こった。死傷者の数は一クラス分くらいに相当する。しかも凶器はナイフのようであり個々に襲いかかって凶行に及んだとは思えない人数である。回復の望みを託し、あるいは生きている限り愛おしいと思って施設に肉親を預けていたであろう家族の悲しみは計り知れない。

最近の悲惨な事件を見るとナイや包丁で刺す、切りつけるといった尋常では考えられないものがやたら多い。それは人の痛みを何とも思わない者が現れているとしか考えられない。私の子供の頃、男の子はポケットに肥後の守というナイフを大概持っていて竹トンボや弓矢、釣竿などを作るのに使っていた。良く指先を誤って切ってしまって痛みと鮮血に驚いたことを覚えている。ちょっと切っても痛いのに、これで他人を傷つけるなど想像しただけでも怖かった。勿論小学校に上がるかどうかの年齢で小刀を持つことが良いとは思わないが、少なくとも“痛み”の恐怖は身に付いた。

今はどうだろう。ゲームで派手な殺し合いをやっても殺される方も、自分がやられるときも痛みなど感じるわけがない。それどころか達成感とか充実感とかをバーチャル世界のできごとから得ているのではないだろうか。そこには他人の痛みなど入り込む余地はない。こういう世代の大人達が増えてきていることは確実であろう。

表現は正しくないかも知れないが、多くの事件で犯人に通常とは異なる精神(疾患)状態を感じる。知人へのインタビューでは、普通に真面目で大人しい人と言われた者が異常な事件を引き起こす。どこかで歯車が狂い始めたのだろう。また薬物事件ではストレスの存在も否定できない。決して昔が良かったとは思わないが、社会が豊かになるに従い精神は逆に脆くなっていくような気がする。統計があるかどうか知らないが、生きるために必死に働く途上国の人達と成熟した社会の人達で精神疾患の罹患率を調べたら多分後者が多いだろう。

先日、ウルグアイの元大統領ムヒカ氏が来日し、富とか幸福について彼の生き方と照らして紹介され話題を呼んだ。世界で最も貧しい大統領と言われた氏は少なからず日本社会に強烈な印象を残した。一方、我々が希求する豊かな社会、一億総活躍社会とはどのようなものなのか。cal.を摂るのではなく摂らない食事、休日なのにファッション雑誌から抜け出たような衣装で、日当たりの良い大きな窓のある家に住み、ガレージには外車、傍には美人の奥さんと小奇麗な可愛い子供が遊び、庭では何十万もする子犬が戯れる。そのような生活ができる社会なのか。

少し違うような気がする。勤めていた会社の社是に「物心両面の幸せを追求する」というのがあった。本当の幸せは物だけが満ち足りていれば適うのではなく精神的な幸せも必要であるということであった。何かが狂い始めた(成熟社会)日本も決して一方に偏るのではなく物心両面の重要性に気付く時である。

何だか尤もらしい新聞のコラムのようになってしまったが、自分に当てはめると5:5であるべき物心が8:2くらいの割で心が少ない。心は未だ彷徨い安らぎの場など見つかっていない。見つけようとしていないのかも知れない。

 


最後の給油

2016-07-26 09:34:44 | 日記

30年来同じGSで給油してきた。先代の社長も今の社長もそれなりに親しかった。特に今の社長は同い年ということもあり行くと雑談を交わしていた。中東からタンカーで運んで来たガソリンがリッター当たりコンビニの水より安いんですよどう思います?とか。輸入原油の価格が値上がりすると即GSの価格に反映させるのはおかしいでしょう、私には地下タンクの底の方の安い時のガソリンを入れてくれと言うと、流通の早さを知らないでしょう、安い分は全て売ってしまいましたと返されたり。隣のマックとの境界の壁に穴開けて給油待ちの人がマックで食べながら待てば両方メリットが出るのに、と言ったら、消防法や安全基準があって無理、とか。

数年前同じ国道沿いの1kmも離れていないGSが元売りの合併により同じブランドになったときは、「嫌になりますよ同じブランドで価格競争ですから」と。私が3年程前ハイブリッド車に乗り換えたら、「勘弁して下さいよ以前は同じペースでも倍買ってくれたじゃないですか」と。都度電卓で私の車の燃費を計算する。確かに燃費は倍になったのでガソリンの購入量は半分になっている。何が一番厳しいかと言うと業界内の価格競争であり、それもブランド間ではなく店どうしの競争だとのこと。「裏で価格協定があるのではないの、せめて最低価格設定とか」、と言うと「即座にとんでもない、1リットルで数円の利益を削ってでも売らなければお客は直ぐ離れて行きますよ、砂漠の中のGSではなくそこら中にGSはありますから。しかも同じカードが使えるGSがこれほど増えるとお客は高ければ少し走って他のGSに行きますよ、」と。

GS商売の難しさなど散々愚痴を聞かされたが、最後になった昨日は「地下タンクの撤去など多少補助はあるが、それでも更地にするには1000万くらいに費用がかかる。」と嘆いていた。国道沿いの交差点の角地であり、「何か別の商売をするとか土地を貸し出すの」と聞いたら「親父の代から58年GSをやって来たが土地を売らないと借金だけが残る。」と国道を眺めながら独り言のように呟いた。

同い年だから「永遠に続く商売などない、サラリーマンの定年と同じだと思えば」と慰めともならない言葉を掛けたが家族とバイトで経営していたから家族ともども失職となる。大変だろうと思いながら言葉を継げなかったが、帰り際は元気な声で「長い間ありがとうございました」と記念のティッシュの箱を渡された。ムッン、30年来の分かれとお礼がティッシュ一箱、さあ良く知らないセルフ給油を覚えなければ。


見応えのあったロッキード事件

2016-07-25 09:28:46 | 社会観察

NHKがロッキード事件の真相に迫る番組を放映した。40年も前の民間航空機、対潜哨戒機P3Cの導入を巡る日米、政財界を巡る攻防を史実に基づき検証する。当時は明らかにされなかった資料や生き残っている数少ない当事者の証言などを交えて真相に迫る。田中角栄逮捕、商社の重役連中の逮捕に至るという当時は大注目をあびた事件である。ドキュメンタリー仕立ての番組とは言え、NHKのスタッフも相当当時の資料を読み下したことが窺える。やればできるではないか。多くの資料がアメリカ側の公開によって明らかになって行く様はどんなに隠しても、口をつぐんでも何れ明らかになることを政財界の人達に警告しているとも言える。子や孫が汚名を着せられることのないよう気をつけなければ。軍備、原子力、TPP交渉などアメリカが絡んでいる交渉は何れ白日に曝されると思った方が良い。

番組では全日空のトライスター機導入に絡む裏金スキャンダルが端緒となった事件は実はP3Cの売り込みという流れの一部であったことを明らかにした。国家間の大スキャンダルになる直前にアメリカ政府側が何としても民間企業の契約問題に止め、事件の収束を図ったところまでで番組は終わる。壮大なスケールの小説のような事件であったが政財界の“闇”を明らかにするところまでは迫れなかった制作側は結論し、多くの関係者の証言でも抗いようの無い“闇”の存在があったとのこと。

スキャンダルもここまで大きくなると現実離れをして行く。我々が身近に怒りを覚えたり、一言物申すのは精々、前都知事のスキャンダルくらいまでだろうか。NHKは取り上げないだろうが。

変えることのできない史実(事実)であるが、この史実が未来を変える。この番組を多くの為政者、財界の人も見ていたと思う。何を教訓としただろう。