太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

夕立の有難さの分る大人

2024-07-31 07:16:36 | 日記

 昨日も35度を超える猛暑だった。しかし珍しく夕方豪雨に近い夕立が30分くらいあった。そのお蔭で気温が3度くらい急激に下がった。豪雨被害の東北地方には申し訳ないが何と涼しいことか。夕立をありがたいと思ったのは生まれて初めてである。夜も随分しのぎ安い日となった。

今日は残念ながら猛暑が戻ってくるようだが夕立もありそうだ。子供の頃の夏休み遊びの定番といえば草野球だった。夕方涼しくなって始めるのだが夕立に会うことはよくあった。ガキ大将が号令をかけて雷が危ないから一時中断となる。折角交えて貰ったのに雨くらいで止めるのは惜しかった。一番年下の自分のポジションはライトとセンターの間で誰も守らない(球も飛んでこない)場所である。体よく言えば外野を抜けた球をだれより早く拾いに行くポジションである。それでも一人前になった気がして嬉しかった。打席に立つと味方から、もっとしゃがめ、バットを振るなと声がかかる。身長くらいのバットを握っているのだから満足に振れないのだが。釣りはもっとも長く親しんでいる遊びだ。子供の頃は連れて行って貰えるのが嬉しくて、今は一人で出来る遊びとして。釣りに行って夕立に会ったことがある。大将は傘を持っておりこっちに入れと言う。端っこに入ってしゃがんで釣りを見る。結構濡れる。大将がずぶ濡れになったなあと言うので、今日は風呂に入らなくていいと言うと面白いことを言うなあと笑った。冗談抜きで本当にそう思っていたのだが。

今日で子供らが最も自由を感じる夏休みの7月が終わる。8月になると終わりへのカウントダウン。ざまあみろ、冗談です。宿題は最後の1週間で何とかなる。兎に角遊び溜めだ。昭和の夏休みはそんなもんである。


結果他人に迷惑をかけない

2024-07-30 06:37:14 | 日記

  昨日は関東各地で最高気温が40℃を超える地点が続出した。熱中症になった人も多かった。今日も猛暑は続くとのこと。気になるのは熱中症だ。ブログにも書いたが恥ずかしながら自分もこの夏熱中症(多分)にかかった。砂浜で餌ガニを掘っていたとき眩暈がして前のめりに転んだ。4つん這いになって力が入らず立ち上がれない。やっと立ち上がってもフラフラしてまともに歩けない。持っていたスコップを杖代わりにして車まで辿り着いて冷房全開で事なきを得た。あの時は確か体に熱が溜まっていく感覚があった。汗もあまり出ていなかったと思う。それからは少しでもそういう感覚になると直ぐ休憩するようにした。

これもブログに書いたと思うが酒でも似たようなことがあった。若い頃酒はあまり飲まなかったのだが限界を超えて吐いたことは何度もある。しかし世の中断れない酒もあり繰り返していると少しは強くなってきた。その内これ以上飲むと吐いてしまうという感覚が分り出した。断れない酒の典型はモンゴルでゲルを回って太陽光発電設備の点検をしたいた時である。各ゲルでは遠くから来てくれたと言う感謝を込めて酒が出る。地酒のアルフィーが振舞われる。時にはロシアから輸入した貴重なウォッカである。どちらも度数は40度くらい。チームの代表者として乾杯を断るわけには行かない。どのゲルでも同じような歓迎を受ける。何軒目かで腰が抜けた(実際力が入らず立っていられない)。その内猛烈な悪寒に襲われ全身が震えだした。モンゴル側もこれはいかんと毛布でグルグル巻きにして休憩となった。これが急性アルコール中毒か、死ぬかもしれないと思った。幸い2時間くらいで回復して今ここに居る。

異変を察知することは重要である。一度も経験したことが無ければ無理してしまう。熱中症も多くの人はまだ大丈夫と思ってしまうのだろう。発汗が少なくなってきた高齢者は尚更である。冷却能力が落ちていると思わなければならない。自分の限界を知るということは結果として人生で一番大事にしている他人に心配や迷惑を掛けないと言うことに繋がる。


雑学教室

2024-07-29 07:26:21 | 日記

 梅雨明け宣言はまだだが連日猛暑が続いている。大相撲名古屋場所は照ノ富士の優勝で終わったが若手の台頭で見応えのある取り組みが多かった。パリオリンピックはこれから佳境に入る。大谷選手は連日調子が良い。夏の甲子園はこれから始まる。スポーツ観戦は高齢者にとって楽しみの一つである。菅野の久し振りの完封勝利?記事はデカい。

昨日の市民講座は「狩野山雪の奇想を楽しむ」がテーマで講師は美大の現役教授だった。通常市民大学とか「リカレント教育(社会人の学び直し)」は特定のテーマで時間をかけて深掘りするものが多い。しかし市民講座では毎回テーマが変わる。普段は社会、経済、外交、安全保障など時宜にかなったテーマが中心だが時々文化・芸術の分野が選ばれる。先日は三味線奏者による江戸の音曲について弾き語りによる講義があった。平均年齢70を超えた聴講生には何かを専門的に極めるという時間はない。アラカルト的なテーマ選定は広く浅くで言わば雑学教育のようなものである。それだけに高齢者に人気があるのだろう。100人くらいの聴講生に1割くらいご婦人が混じる。忙しい中、勉強しようという気持ちだけでも素晴らしい。

狩野派の祖は室町幕府の御用絵師として活動した狩野正信に始まり以降江戸末期まで約400年間常に画壇の中心であった。日本絵画史上最大の画派である。狩野山雪は江戸時代初期の狩野派の絵師であるが講師は奇想の画家として何故山雪に注目したか。「奇想」をWikiで調べると「普通には思いつかない変わった考え、奇抜な着想」とある。しかし紹介される画を見ると龍や虎、獅子、枯山水、梅や松、小禽類など他の狩野派の画とさして変わらない。1枚の梅の古木を例にとって、このうねりは梅そのものの写実ではないこれこそ奇想の構図と言えるとのこと。画家はデフォルメして絵を描くことはままあるがそれを芸術と見分けるのは素人には困難である。結局講師のような芸術家でないと芸術は見分けられないのか。有名なピカソの絵だって現実離れしている、しかしそこに何かの新しい発見があるからこそ芸術性があると言う。どんどん説明が個人的になっていると思うのは凡人故にだろうか。それでもひと時暑さを忘れる浮世離れの世界は一服の清涼剤にはなった。


何故故障者が多い

2024-07-28 06:53:21 | 日記

 パリオリンピックが始まり各局録画やLIVEが入り乱れている。チャンエルを変える度にこんな競技も始まっていたのかと見逃してしまうところだ。余ほどのファンでない限り番組表とにらめっこでTVをみることはない。こうなれば最後に総集編でも良いのかと。それにしても脇役であるべきMCやゲストが前に出過ぎている。ヒーローヒロインあるいは美談を作りたがっているようだ。各競技で世界の有望選手を取り上げるのも良い。以前の世界陸上のように。世界のレベルを知りたいのもオリンピックである。

MLBをTV中継で楽しんでいるが日本人選手を含めて何故あれほど故障者(ケガ)が多いのだろう。健康管理には日本以上に気を配っておりフォローの体制も整っているだろうに。ただ選手自身が全力でプレーしているようには思う。大飛球をフェンス際まで追いかける姿や一塁ランナーがヒットでホームまで全力疾走する姿は見ていて必死さが伝わる。MLBは作戦が大雑把でNPBは細やかなどと評論家は言うが選手個人の取り組みはどうだろう。NPBのTV中継は多いが必死さが伝わるの は観客の応援だけである(勿論個人的感想だが)。高校野球と比べれば良く分る。こう書くと徳光さんから日本のNPBがだらけているというのかとお叱りを受けるだろうが高校野球とNPBでは緊張感が違うと感じる。大型選手ぞろいのMLBではその必死さが怪我を生み出しているのではないだろうか。

必死に振舞うということは常に糸が張ったような精神状態ということだ。しかし張りつめた糸は切れやすい、余裕がないからだ。例えば、仕事人間だった人が、定年退職を迎えると、それまで張っていた緊張感が途切れてしまうことで体調を崩す人も珍しくない。必死でプレーすることはプロとして当然であるが常に緊張を強いられるというのは張り詰めた糸の状態である。何かの拍子に切れることはあり得る。MLBで導入されているピッチクロック(投手が打者に投球するまでに使える秒数を制限すること)は多分投手に相当な緊張感を齎すだろう。張り過ぎた三味線の糸は素晴らしい音も出すが切れやすい。先日の市民講座で実演とともに教えられた。

禍福は糾える縄の如しと言われるが緊張も弛緩も適度に入り混じるべきなのだろう。塩梅は結構難しい。


新たな事実を踏まえて

2024-07-27 07:38:51 | 日記

 昨日はクロダイ釣りに出掛けた。今年は未だ釣れていない。1時間ほど粘ったとき大きなクロダイが掛かった。久し振りなので慎重にと思い波で左右に強烈に引っ張られる中タモ網を差し向ける時ハリスがプツンと切れてしまった。背びれの立派なトゲトゲからして40㎝くらいあったと思う。明日になれば50㎝くらいはあったと思うかも知れないが。クロダイは掛ってからが勝負である。慎重過ぎても強引でも駄目だ。分かっているが何度この悔しさを味わったことか。その後はアタリもなかった。また今度があると思いながら納竿。

原子力規制委員会が敦賀原発2号機は原子炉などが入る建屋の真下を断層が走っているため、この断層が将来動く可能性があるとして再稼働を認めなかった。この断層が別の活断層に引きずられて動く可能性があるとのこと。能登半島では活断層が連動して大規模地震が起こった。この事実を前に慎重な判断は已もう得ないところだ。今後ITの普及により電力供給が逼迫するとかコメントしている大新聞はどうかしている。安全性の審査であり電力の需給を問題にしている審査ではない。原発は技術云々の話ではない。福島や能登の経験から日本は原発立地に不向きな地形であると言わざるを得ない。地震や津波から逃れることはできない。未だに豪雨で堤防が決壊し大洪水に見舞われている国である。

何とも皮肉な話である。百貨店が土用の丑の日に販売した鰻の蒲焼、うなぎ弁当で複数の客から、嘔吐(おうと)や下痢など健康被害の申し出があったと発表した。スタミナをつけようと奮発して買った客は何とも気の毒。来年はきっと懲りるだろう。うなぎがこれほど貴重な食材になるとは思っていなかった。子供の頃近くに大きなため池があり近所のオジサンがウナギ釣りをしていた。二本の竹の浮きの間に糸を張りその糸に何本もの釣針をぶら下げる。丁度延縄のような釣りだ。餌はドジョウをぶつ切りにしたもの。オジサンは仕掛ける時、引き上げる時、行くかと言って自転車の後ろに乗せて連れて行ってくれた。随分可愛がられていたのだろう。ドジョウの頭の部分のブツ切りを見た時、こんな恐ろし気なものを食べるのだろうかと不思議に思った。釣れたときはうなぎが地面をのたうち回る。とても魚とは思えなかったし食べるなど想像もつかなかった。田舎は海には遠かったが鮒や鯉、大型の鯰など沢山獲れた。しかしそれを食べた記憶はない。多くは黒こげに焼いて砕いて鶏の餌になっていた。ウナギが高級食材と知ったのは大人になってからである。蒲焼という最高の調理法を知ってからである。ある商社マンから昼飯前に呼ばれることがよくあった。昼食を一緒にと近くの鰻屋に何度も行った。鰻が2層に配置され肉厚が1㎝くらいもあり柔らかくて超美味だった。当時でも5千円くらいの鰻重で商社マンは客と一緒じゃなくては食べられないと言っていた。北海道の名家の出の超ボンボンであったがやり口が強引なことと口の悪さで業界でも有名だった。何故か私のことを先生と呼び親しく思っていたようだ。こちらはてっきり向うが大先輩と思っていた。後に分ったが学部は違うが大学の同級生だった。大手商社をリタイアしてアフリカに移住した商社マンも居た。鰻ではなく現地で焼き鳥屋を開いた。時々電話してきて食べにおいでよ、超美味のタレを開発してから飛ぶように売れている。鳥はその辺でタダで幾らも獲れると。炎熱商人のモデルでもあった。焼き鳥を食べにアフリカには行けない。現地の交通事故で亡くなった時は日本の新聞にも載った。仕事柄商社マンとの付き合いは多かったが皆個性的で組織というより個人商店に近かった。多士済々ぶりは1冊の本にもできそうである。