太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

国会質問時間の攻防

2017-10-31 07:57:24 | 社会観察

知らなかったらから言える事、出来る事は結構あってそれが罷り通ることすらある。退職後勤めていた会社が太陽電池に関して可也基本的な特許を取得して、これでロイヤリティーが他社からとれるとか、場合によっては製造中止に訴えることもできると得意満面になっていると耳に入ってきた。ライバル会社の人からも心配でどうしようという相談すらあった。後輩に内容を聞くと確かに基本的であり、何でこれを特許にしなかったのだろう、ラッキーですと答えてきた。しかし、それは1980年代初頭に既に米国の某有名メーカーからカタログにすら記載されているものであり、公知のものであった。太陽電池は80年代初頭はありとあらゆるアイデアが検討され研究された。当時各社の技術動向を調べることも仕事だったから当然その技術は知っていたしカタログ類は長く保存していた。それが30年くらいの間に忘れ去られ、新しく担当したものは全く新しい技術と思いこみ勇んで特許申請したのが通ってしまったようだ。公知のものでありながら特許審査の不備であり、ライバル各社も異議申請の機会を逃したミスもある。思いついた担当を責めるわけでは無いが勉強不足は否めない。その後この特許の扱いをどうしたかは知らない。

国会質問の時間配分がちょっとしたニュースになっている。与党自民党が選挙で大勝の勢いを借りて、現在の与(2):野(8)から与(7):野(3)に変更すべきだと提案しており野党側の猛反発を食らっている。ワイドショーのコメンテーターが言っていたが、質問時間配分にルールは無く現在の野党側への8割の配分は自民党が野党だった時に要求があってこうなったと言う。

朝刊にこのニュースが載った。麻生政権時代は与(4):野(6)だったが民主党政権が譲って現在の2:8になったという。「譲って」と言うからには野党自民党から要求があったのだろうが決してそうは書かないところがこの新聞らしさである。確かにコメンテーターの言うように質問時間配分は時の情勢による交渉毎、例えば臨時や特別国会の会期決定とバーターするとかだそうである。

ああそういうものかと思わないでも無いが、問題は魔の2回生ら若手中心に国民の付託を受けて大勝した、国民は与党の質問も期待している、官房長官までもが議員数に比例してという記者質問に、そういう民意があって当然ですと答えている。それでは自民党が野党時代に野党8割となったのはどういう民意だったのか不思議に思う。

若手は特許のように昔を知らない、経緯を勉強していないのではないだろうか。勢いだけで辻褄の合わないことを言うと後で恥をかく。配分が交渉毎であるならば、少なくとも過半数以上は野党側に配分するという最低限ルールくらいは必要ではないだろうか。いや与党は国会で質問する前に党内で確認する事ができるから質問はそれが出来ない野党側に多く配分されて当たり前、ヨイショの忖度質問は要らないというのも頷ける。過半数を野党側にというのは落とし所としてあるように思うし、官房長官は分かっていて発言している可能性はある。それでも現在の2:8よりはマシである。交渉毎とはこういうものか。祭りの勢子のように騒ぐだけの若手は誰。


夕陽の丘

2017-10-30 08:57:17 | 日記

生まれたのは瀬戸内海から丘陵地帯を隔てた穏やかな村である。両親の訳あってその地に住んだとのことだが子供にとっては自然に囲まれた絶好の遊び場であった。春夏秋冬季節に合わせた遊びの思い出は尽きない。小学3年まで過ごしたからもう殆ど野生児であった。勉強などという言葉はついぞ聞いた事がない時期でもあった。山裾にそって家々が並び向かいの丘陵地帯との間にその家々を縫うように道が1本通っていた。山といっても丘より少し高いくらいでかなり上の方まで良く手入れされた畑になっており、ブドウ畑や春には濃いピンクの梅の花で染まった。村の中を走る道が映画の撮影に使われたと聞いたのは村を出てかなり経ってからである。映画のタイトルは確か「夕陽の丘」であった。石原裕次郎と浅岡ルリ子が主演した映画である。実際に映画を見る機会は無かったがスチール写真を見ると微かにここかなと思う場所はあるが確かではない。それより気に入ったのはまだ細面の若い裕次郎と初々しい浅岡ルリ子が歌う主題歌である。どうしてこんな歌詞を思いついたのだろうと言う箇所が何度か出て来る。甘いソフトな裕次郎の声と素直で透き通った声の浅岡ルリ子のデュエットである。

・・・かえらぬ人の面影を 遠い他国で忘れたさ・・・・真菰のあしは 風に揺れ・・・落ち葉くるくる 水に舞う・・・・かいなき命 あるかぎり・・・ひとの子ゆえに恋ゆえに 落ちる夕陽が瞳に痛い・・・・・村を抜ける白い一本道から向かいの丘に沈む夕陽を見た事は今でも思い出す。

歌謡曲の歌詞とは思えない、詩としても立派に成り立つだろうと思うものは幾つかある。美空ひばりの「みだれ髪」に出て来る・・・・・春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋・・・・残念ながら記憶と結びつかないが歌詞の発想は尋常技ではない。

全編がもうこれは詩として独立してもおかしくないと思うのは村下孝蔵の「初恋」だろう。 五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は・・・・放課後の校庭を走る君がいた 遠くで僕はいつも君を探してた 浅い夢だから 胸を離れない・・・好きだよと言えず初恋は 振り子細工の心・・・・これは多分誰でも中学生の頃の思い出と重なるだろう。「踊り子」もそうだが村下孝蔵の作詞は詩集にしても良いだろう。勿論歌声はそれ以上人の心に入り込んで来るが。

大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」詞は松本隆だが、・・・君の手紙読み終えて切手を見た スタンプにはロシア語の小さな文字・・・・独りで決めた別れを 責める言葉捜して 不意に北の空を追う 伝えておくれ 十二月の旅人よ いちいつまでも待っていると・・・雪に迷うトナカイの哀しい瞳・・・・・どんな経験をしたら、どこまで想像力があったらこんな言葉を思いつくのか。ただこの歌を聞くとモンゴルの大雪原を走る列車の風景を思い出す。中国からやって来てモンゴルを経てシベリア鉄道へとと続く。雪原を走る長い連結の列車を見て、ああこの先があのシベリア鉄道かと思っていたが、時を経て「さらばシベリア鉄道」とむすび着いてしまった。

久保田早紀の「異邦人」、・・・・・空と大地がふれあう彼方 過去からの旅人を呼んでる道 あなたにとって私はただの通りすがり ちょっと振り向いただけの異邦人・・・祈りの声ひずめの音歌うようなざわめき 私を置き去りにして過ぎゆく白い朝・・・・これはもう何度も出掛けた新疆の思い出だ。ポプラ並木で出会ったロバで荷車を引くお爺さん、すれ違いざまにちらりと見た目は異邦人への珍しさと警戒、火焔山近く、楼欄とトルファンの間の千仏堂から見る砂漠に沈む夕日、ウルムチの雑踏で見る青い瞳の中国人、仕事で色んな国に出掛けたが異邦人という言葉を最も強く感じた所である。

評論家ではないが歌詞と経験はその後先に関係なく結構結びついている。記憶の中の一瞬の風景を写真に切り取ったものが歌詞と重なっている気がする。多くは記憶に留めよと感激した風景ではなく偶然見掛けた自然の風景である。


また台風がやってくる

2017-10-29 08:24:10 | 日記

丁度1週間、先週に引き続きまた台風が接近している。10月末となるとあまり記憶が無いがやって来る。我が街は今夜最接近とのこと。天災でも地震と異なり予測可能である程度対策も立てられるから最近は大きな被害も少ないように思う。ただ、あまりデーターの揃っていない地滑りとか土石流は予測は難しく対策は十分とは言えない。川の氾濫については降雨量と地形の関係からある程度予測は可能である。災害のパターンが類型化されていれば予測も対策も時間的余裕があるが、多分昔は台風すら突然の災害であっただろう。海の近くに住んでいれば漁師達が海のあれ具合で事前に察知していたかも知れないが進路までは想像できない。今紀伊半島沖だから明日夜は江戸に来るとは予測しなかたろう。

予測可能な自然災害は被害を最小限に食い止めることは出来るだろうが、自然が加速度的に変化し始めたらもう手に負えないだろう。例えば、海水は低温ほどGHGである二酸化炭素を多く溶解する。温度が上がればその分空気中からの吸収量は減り、場合によっては溶解していたものを空中の放出する。温室効果はますます進み気温は上昇する。また海水温が上昇する。恒常的変化のみ捉えてまだ大丈夫とか温暖化は進行しないと思っても加速度がついてからでは遅い。もし、温暖化を全面否定するなら大本の二酸化炭素は温暖化ガスではないという証明がなされない限り安心できない。

一昔前の天気予報は気圧配置だけから進路予測をしていたように思うが、最近は海水温から今後の発達予測、気圧配置、偏西風から進路予測が相当精確になっているが気象衛星による観測、コンピューターシミュレーションの発展がそれを支えている。気になるのは北朝鮮のミサイルの進路予測である。気圧は空気抵抗により速度に影響を与えるのでは、偏西風の蛇行は高速のロケットと雖も多少は流されるのではないだろうか。北朝鮮は気象のシミュレーションをどこまでやっているのだろうか。もし、それも見込んで進路を想定していたとしても緊急事態ともなれば気象の安定など待つことはできない。空軍力はあまり聞かないから戦闘爆撃機から標的に投下も可能性は小さい。そうなると潜水艦で標的まで近づき発射か。台風から要らぬ想像をしてしまう。

ネットニュースでトランプ大統領の訪日を前に北朝鮮が「米国の手先となり、軽率に振舞えば日本の領土は丸ごと海に葬られる。」と威嚇したとのこと。それにしても相変わらずこれ以上の表現はないと言うほど無慈悲な威嚇である。本当にそうするならもうちょっと秘密裏に作戦を遂行するだろうから口先だけだと侮ってはいけない。我々はトランプ台風を迎えるのである。決して平和の使者ではない。有名な国際政治学者がNHKのインタビューに答えて、アメリカは日本のことをそれほど考えてはいない。ミサイルが米本土に到達する能力を持てばアメリカの脅威だが既に射程内に日本があってもそれほど脅威とは思わない。何より米国とともにTPP交渉を戦ってきたのにいの一番に脱退したことから一心同体でないことに気付くべきである、と警鐘を鳴らした。この政治学者は各地の紛争を予測しあてて来た事で有名らしい。

問題は訪日で何を言うかであるが、多分今後起こるであろう対北朝鮮に対する米国のあらゆる行動に対して理解と協力をお願いしたいと言うだろう。決して北朝鮮に対して核ミサイル開発放棄と拉致被害者の返還が軍事行動を起こさせない唯一の道であるとは言ってくれないだろう。日本とアメリカは一心同体と言われ理解と協力を求められたら流石の安倍さんでも相当悩んでしまう。政治のプロなら空手のように寸止めがあるのかも知れないが素人の庶民は尺止めくらい無いと拳があたる不安は付き纏う。進路予測不能なトランプ台風は11月にやってくる。

 

 


誇大広告

2017-10-28 09:36:50 | グルメ

今年もはやおせち料理の3段重の折り込みチラシが入るようになった。正月まではまだ2カ月ばかりある。昨年もブログに書いて警鐘を鳴らしたが相変わらずである。海老は殆ど半身を重から乗り出しているし、タイの塩焼きなどは6割方重の高さを越えている。数の子はコーナーから飛び出し、多分重をかさねると半分辺りからポキリと折れるだろう。各食材は自分の桝目に納まっているものは無い。もし、この各段を真横から断面写真を撮ったら3~4割は高さ制限を越えてしまう。

勿論豪華で美味しそうに見せる写真のテクニックだろうが、結構高い商品である(高いものは3~5万円もする。もし、広告に高さ制限を越え無い事、桝目からはみ出さない事という制限を加えたらきっとシャワーの後の髪の毛のように貧相なものになってしまう。所々は敷き詰められない底の地肌だって見えてしまう。正月くらいという財布のひもが緩むのを狙った誇大広告と言わざるを得ない。こんなことを毎年繰り返していたら消費者からは写真と実物の違いに呆れてしまい、見合いは破談になる。

世の中小さな嘘の塊と書いたことがあるが、一流メーカーの検査データ改竄や規則破りの検査で大問題になっているが、おせち料理のトリックは内部告発者が居ないから表沙汰の問題に成り難い。消費者の判断に委ねるしかないが、早晩気付くことは間違いない。

驚くべき小さくて大きなニュースがあった。国会の質問時間は慣習で従来与党2、野党8の時間配分を与党7、野党3にする案が浮上しているとのこと。勿論正式に決まった話では無いが与党側からは選挙結果の民意からして当然である。国民は与党の話も聞きたがっているはずとのこと。とんでもない話である。閑にあかせて国会中継は相当見て来たが、与党側(一部の野党も)の質問は殆どが政策への美辞礼賛であり、中には演歌歌手を紹介する名司会者の前フリのように演説のイントロだけのものもある。国会質疑では質問に答えるというのが本来与党の役割であり、野党は国民が疑問に思っている事をぶつけるべきである。勿論野党の追及にも今それを言って何になるというものも結構多いが、それでも演説会ではないのだから与野党のやりとりがあってナンボである。これは国会の歴史を変えるようなもので、本気で言った与党議員が居たらそれこそ驕りである。どうしても国会で演説しきれないものがあるなら新聞の広告面などで活字にして国民に訴求すれば良いではないか。一方通行は新聞の得意とするところである。新聞広告はバカ高いが党費をふんだんに持っている特権である。

勝手に自分達で質疑配分を決めるのでは無く、言われる通り選挙結果が重要な要素であるなら堂々と与野党の議員数に比例して質疑時間を決めるというルールを提案して世論に問えば良いではないか。野党内の配分だって一度どういうルールで行われているのか一度白日に曝しておいた方が良い。


悲喜こもごも

2017-10-27 08:08:33 | 日記

プロ野球のドラフト会議があった。選手にとっては不安な待ち時間であり結果は悲喜こもごもであろう。大学や社会人からプロに行く選手と違い高校野球からプロならまだ18歳である。野球以外のことは殆ど知らず、ましてやどの球団がどうこうというより子供の頃から好きだった球団に指名されるかどうかが悲喜の違いであろう。しかし、一昔前のように何が何でも巨人という時代は終わっている。ここ何年かの戦績を見れば分かるように各球団の実力が拮抗しており、パリーグだってファン獲得の努力も実り人気が出て来た。歴史にあぐらをかくことができるほど実力社会は甘くない。どの球団にも優勝のチャンスがあるため、意中の球団に指名されなくてもそれほど落胆の色が見えないのは幸いである。18歳でもそう思えるようになったのはプロ野球の進歩と言って良い。振り返って18歳の頃思っていた社会と今思う社会はまるで違う。判断せよと言う方が無理である。

野球は極稀な個人を除いてチームとしてはプロアマの実力差が大きい方である。叱られるかも知れないが差が少ないのは女子プロゴルフだと思う。個人プレーでしかも試合毎の短期決戦だからアマチュアが日本一になっても不思議は無いかも知れないが。しかし、たまに試合を見ているとパットで流石プロだなあと思うほど凄いパットは見受けられない。あんなに外すならアマでもできるだろうと思ってしまう。賞金女王が話題になるが18や20歳で稼ぐ対価には思えない。あくまで個人の感想だから女子ゴルフがつまらいと言っているわけではない。要はプロとアマの実力差が大きいスポーツほど好きなわけである。

先日歯医者に行ったら実に見事な治療だった。近所に開業した直後から通う所だから何十年もの顔見知りの先生である。といっても親子ほど歳は離れているが。実は家から歩いて1分のところにも歯医者がある。最初はそこに行ったが中年の女医だった。旦那も違う駅前で開業していると聞いていた。言わば支店のようなものか。人通り視た後、何でこんなになるまで放っておいたの、どうしましょうこれと言う。ちょっと待て、こうなる事が分かっていたら来ていたし、こうなってしまったから歯医者に来たのではないかと思ったがその日は大人しく帰った。次に行った時、あちこち全体の歯を弄って、挙句またどうしましょうと考え込んでしまう。この時点でこいつは駄目だと思って今の歯医者に変わった。

開業真近の患者(客)だったので若い先生も丁寧である。治療も本当に歯に触っているか分からないくらいソフトである。治療後は今回××の治療をしたので若しかしたらこうこう言う症状がでるかも知れませんが心配要りませんと予後例を幾つか上げて説明してくれる。それ以来の付き合いである。先日も治療があまり上手かったので、流石器用なものですねえ、と軽口を言ったら歳も行ってきたのに昔の青年医師の頃のようにハニカミながら、仕事ですからと返ってきた。

実はこれが仕事ですからとか、これで飯食ってますからとか、プロですからという言葉が大好きなのである。以前ブログに書いたことがあるが、決して有名大学を出たエリートでは無かったが営業マンとして大変優秀な男が居た。ある出来事で褒めたら、何を言っているんですか私は根っから営業マンですよ、当たり前じゃないですかと返って来た。その後彼は本当に凄い営業マンになって行った。18の君も将来、当たり前じゃないですかプロですからと胸を張って言えるようになって貰いたい。