マスコミで連日A社の基礎工事での杭打ちデータ流用問題が騒がれている。住人や施設利用者は生命と財産が脅かされ、突然判明した事実に右往左往する日々を御気の毒としか言いようが無い。何時も不思議に思っていたが、道路や橋、高層ビル、大型再開発など、かなり早い時期から「竣工日」が公表される。勿論不測の事態が起これば「竣工予定」であったと釈明されるだろうが大抵は予定通りのにこやかなテープカットとなる。本四連絡橋工事で凄まじい工期との戦い(工事費より工期優先)を聞いたことがあるが、現場では工期厳守は何よりの優先事項だ。いつまで経っても××年春完成予定と言って駅構内改装工事をやっているJR駅が近くにあるが「そんなに続くの!」と頭に来る場合もあるが、これは工期の長さというより構内のサイン計画がへたくそで乗換ホームが良く分からないというイライラによる。A社については当初特定の施工管理者の問題としていたが次々他例が出てきて辻褄が会わなくなったお粗末はあるが多分現場から上がって来る情報で「信じたいもの」を信じて発表したのだろう。大型工事で配置される現場代理人は船長のようなもので現場に関しては社長以上の権限と責任を与えられていると思うが、工期厳守の「社員」であることの限界がある。かって耐震偽装で問題となった一級建築士が騒がれたが、(杭打ちデータ偽装+免震ゴム偽装+耐振偽装)というビルがあったらどうなるんだろう。昔の原発事故の殆どが「人為的ミス」と報じられていたが、大規模工事になると「(個)人為的」では説明できない。かっての会社で「魔が指すということはあるだろうが、それをも防ぐには不正を生まない環境づくりが重要である。」と教えられた。しかし、偽装ができない法的整備は勿論だが、最後は「人の信頼関係」に頼る部分は残ることも考えてトップは経営しなければならない。A社の子会社で住宅用太陽電池を扱っている会社があるが、昨年営業所の研修ということで講演をしたことがある。その会社内で口コミで話が伝わり次々と各営業者から要望があり都合4回講演した。何れの場合も各営業所の3~40名が参加したが、前に立って喋ると参加者の意欲や興味が伝わって来るものだが、何れの回も各社員は嫌々研修参加というより自分の日々の仕事に何かヒントや役立つ話は無いだろうかと目が輝いていた。それは歳や男女に関係なく同様であり、質問時にも実に礼儀正しい。よく教育された会社だと感心したものだ。グループ企業Aを全て同じ目で見るのは気の毒である。そして問題を起こした会社はグループ全体に対する信頼を損なった代償をこれから払って行くことになる。不正や偽装は確実に目先の利益を得るが永遠にバレない保証は無い。それが白日に曝された時、人や会社の一生を変えてしまうことは過去の事例から明らかである。過去、数多の事例を見ながら自分だけは別と思うのもまた人間であろう。正直者は損をするという言い回しには、「正直者は短期的には損をするが、この世あの世を通じれば最低∓ゼロ、多くは+」とすべきだろう。あの世は関係無いと言われる方々、貴方が亡くなった後、悪事がばれて子や孫が名誉の代償を払うかも知れないことまで覚悟してるのかどうか。このブログを読もうが読むまいが同じ類は1年以内に必ず起こる。おっさんが評論家気どりでこんな事書いても社会的影響力ゼロは解っているが自らへの戒めとしてここに。
シンポジウムは一種の同窓会の場ともなる。先日のシンポジウムでも数多くの昔の仲間に会うことができた。仲間と言っても同じ会社のOBもあるが殆どは一時期ライバル会社としてやり合った人達である。上は85歳から70代の人達でやっと高齢者の仲間入りした私など小僧っ子扱い、この業界は落語協会のように年寄りが元気である。皆さん相変わらず太陽電池に何かしら関係しており、この技術の摩訶不思議な魔力に引き込まれている。私を除いて悠々自適に過ごそうと思えば出来る人達ばかりなのに。シンポに集まる中には元の会社を途中で辞めて新しい会社に移った人も居る。事情があって途中退職したにも関わらず相変わらず慕って声を掛けてきてくれるのは嬉しいものである(会社は恨まれても私は慕われていたんだとちょっとほくそ笑む)。途中で辞めて治工具メーカーに転職したM君は別人のように太って(いや貫禄がついて)執行役員となり世界を飛び回り、その分野では世界の70%シェアを持つようになったとのこと。新入社員で入ってきた頃は物事に動じない豪放磊落で年齢より10歳くらい老けて見えたことを覚えている。決して器用とは思えなかったが何処か親分肌のところがあり、職場を変わっても部下の信頼は厚かったようである。M君と同期で私の所に長く居たY君は一流大卒の多いグループの中にどちらかと言うとあまり知られていない地方大卒であった。最初の頃のコンパで挨拶した彼は「皆さんは太陽電池のことを良く知っていると思いますが、私は岡山県北部の蛇紋岩については誰より詳しいと思っています。」何の関係があるのかさっぱり分からなかったが面白い奴だとは思った。ところがビックリ、半年も経たない内に仕事を覚え、技術のブレーンストーミングでも次々新しい発想を繰り出し、その多くは今でも太陽電池製造に活かされているものがある。私も部下というより弟のように彼を可愛がったように思う。学校で発揮されない才能というものが確かにあるということを知った頃でもある。わけがあって私は部下を残し(見捨てたと思われるかも知れない)て新しい職場に移った。自分自身はやりたいことがあり勝手に移ってしまった負い目はずっと尾を引いた。私が新しい職場に転勤し何年か経った頃、Y君が奥さん同伴で遠いのに自宅を訪ねて来た。会社を辞めてベンチャーの新しい会社に行きたいという。偶然そのベンチャーの会社の社長は私の知り合いだったが米国流の実力主義の厳しい会社だった。私は折角今の会社で実績を残してきたのだからもう少し粘ってみたらと諭し、その後何年かは頑張ったが終に退職してしまった。この時は相談も無くY君の名前を知ったのは彼が元同僚と太陽電池関連の会社をやっているとのこと。まだ太陽電池だけで食える時代では無く何にでも手を出すような会社だった。その後Y君から直接電話があり、「私今中小企業診断士として講演や執筆で会社を助けています。太陽電池で先生にはなれなかったけど今先生とよばれています。」とのこと。大凡専門外で資格も難しいと聞くがネットで探すと沢山本も書き、講演活動も活発に行っていた。ところが数年前このY君が難病に罹り闘病生活をしていると聞いた。昨年の展示会で偶然Y君と一緒に仕事をしている人に会いその様子を聞くことになった。私にできることなど無かったが、「もしY君と会う事があったら、こんなことでへこたれるY君ではない。必ず復活する。私の部下だった頃どんなに叱って必ず起き上ってきたではないか。タフさは私が一番良くしっている。」と伝えて欲しい・・と言ってあったのにM君が言うには昨年亡くなったとの事。私より一回りも下なのに、きゃんきゃんの嫁さんを貰ったのに、特異な才能で太陽電池の会社を助けていたのに、有名大卒より遥かに凄い才能があった君を一時期でも部下に持てた事を今でも誇りに思う。
またまた生意気なコメントだが。パネルディスカッションについて。業界外の人には分かり難いが相当豪華なメンバーである。それぞれ一流の経験と実績を持った方がたである。その意味で期待も大きいが、残念ながら進行(全体構成と言っても良いが)に問題があった。それは無難に纏めようとするあまり議論、討論とは程遠くパネラーがテーマに対して一方的に意見を述べるだけのマルチスピーカ講演とも言える。このやり方は今に始まったことでは無く、我々世代が基礎を作った責任もある。著名な先生あるいは担当部局の官僚をパネラーとして迎える事が多く、まず第一は彼らに失礼のないように進行する、パネラーの考えは一丸で業界は纏まっていると聴衆にアッピールすることが優先され、無難な進行を心掛けた。少しヒートアップするため聴衆を討論に参加させる試みもやったが、クレーマーまがいの人がマイクを離さず進行が妨げられる事も経験し、再び元の鞘に収まったのが今である。或る先輩から『同じ穴のむじなが集まっては同類相哀れむではじでディスカッションにならない。異論を加えてこそ真実が浮かび上がるのではないか。』とアドバイスを貰ったこともあり、その通りだと思ったがそこまでの冒険は出来なかった。今聴衆側に立って見るとパネラーの意見、考えが似すぎていると自分の疑問や要望が入り込む余地(代弁者)がない。世の中が立場(為政、業、消費者など)太陽光発電に対して多様な意見を持つようになった現在、一丸となっていることのアッピールは逆に種々の悩みや迷いを抱えている聴衆にはフラストレーションが溜まるのではないかと思う。白熱教室とは行かないが微熱くらいは目指して次からは構成、進行に一工夫が必要と思う。そのようなパネル討論の中でもやはり橘川先生は異彩を放っていたと思う。
1.新エネルギーミックス策定(委員参加)で電源構成ではA:2001~10平均、B:2030としながらも一次エネルギー構成ではA:2030B:2030とした原発への配慮、あるいは原発が殆ど稼働していなかった2013を基準としたCO2削減目標のトリック(後の講演で官もミックスの説明されたがネタばらしの後で迫力?)、元に戻る再稼働ではなく減り始める再稼働、さらには核廃棄物処理問題解決なしでは何も解決しない。本来は原子力15%、再エネ30%・・・とすべき。こんなに明快に問題提起しながら残念ながら討論では素通り。エネルギーミックスをどう考えるかくらいは各意見を聞きたかった。それにしてもTVなどの出演も多い橘川先生だがブレナイ。何処かの先生が理屈はそうであっても風呂の中の屁のようにチビチビ出すのに対し、公衆の面前でどうだとばかり放屁する大胆さは痛快でもある。今回は居なかったがある場面ではスマコミが大事、別の場面では原発、ある時は再エネの応援者とタレントの如く、くるくる話が変わる先生より水の中でも理屈や持論を維持する姿勢の方が遥かに優れているとは思う。
個別講演では印象(個人的感想)深かったものを挙げてみる。
1.「太陽光発電 真の便益と課題」国民負担ばかりが強調されバッシングを受けている最中、内容の的確さ、緻密さ、化石燃料やCO2にも触れた広汎さ、内容は群を抜いている。昨年末以来JPEAビジョン部会で買取期間終了後の電気(ほぼ原価ゼロ円電気)の効用を検討し、公表もしてきたが、今回の資料はインフレ率を加味し、定量的分析も行われ、さらにビジョンより深化したものと言える。時間軸も2100年のものもありシンポジウムのテーマに唯一適ったものである。一朝一夕で書ける原稿ではない。ただ発表については10KW以上の稼働期間が30年、10KW未満が25年としたところが大きな前提となっていることがミソであることはもっと強調すれば聴衆にも分かり易かった。大学の先生にも劣らない資料で論文とも言える代物だが、今後学術的にブラシュアップするより、さらに多くの場面で一般の人(マスコミや主婦も含めて)にも理解されることを心掛けて多くの機会で聞き手別の資料に焼き直して発表して欲しいものである。真の国民負担として理解、認知されるまで。
2.「ドイツにおける再エネ電源の大量導入~日本が学ぶべき事~」短期間でありながらドイツの現状を網羅し、資料として素晴らしく纏められている。個々の内容は日本でも調べられるかもしれないが、全容を披歴し、かつ所々にドイツと日本の比較(電力システム改革の進展など)を挿入し、これら調査を元にエキスとして(日本での)再エネ活用のための提案をされたことはJPEA活動の王道である。次の機会にはこの提案をより具体化したものを公表されることを期待する。
3.「エネルギーシステムインテグレーションー世界から学び、世界をリードするー」大学の先生らしく学術的ではあるが、今後何が系統運用に必要なのか、PVの立ち位置を理解する上で全体像を纏められているこの資料は中々民間人ではできない代物である。難しい課題をイラスト等をふんだんに使い可能な限り理解し易いようにしてあったり、出典の辿りも容易に出来るよう記述された資料はある意味大サービスとも言える。こういう資料を作ったり発表できる先生こそが我々がイメージ(望む)先生である。
4.「電力系統における再生可能エネルギー導入量拡大に向けた取り組み」東電の方だが、今後電力システム改革が進むにつれ発送電分離後に現在の電力会社業務の一つの行き先を示唆するものであり、大変参考になった。
5.「住宅用太陽光発電システムの今後のビジネス動向」揺るがない、ブレナイ安定感。「走る蓄電池としての電気自動車」やっと本気らしきものが窺えWelcome。「~太陽光発電ビジネスへの挑戦~」Off-Gridサービスの紹介などバングラのグラミンやネパールのマイクロクレジットなど10年も前から大規模になされており、資料全体に(時間がなかったのだろうが)スカスカ感あり。予稿集の初めと終わりが奇しくも似ている。
これ以上突っ込むとスピーカ個人にまで入り込んでしまうので止めるが、「シンポジウムの劣化」というタイトルでブログを書いたのは内容が駄目だったとか、下らないという意味では無い。シンポ自体の「劣化」は時代とズレが生じているとか聴衆の求めるものとズレが生じているという意味で使っている。功罪両面がささやかれる現在、太陽光発電推進のステークホルダーは良い子、仲良しグループといった一枚岩ではない時代となった。今回JPEA関係者の講演は力作揃いであったが、相対する勢力とどう関係付けられるのか、あるいは国の方針や政策に対してJPEAはどのように考えて行動するのか、真の窮状は何なのかといったテーマも挿入しながら批判覚悟で自らの活動指針をブラシュアップする場として活用することも考えてどうか。大多数の参加者は会員企業、周辺のステークホルダーであろうから彼らの信頼を得なければシンポは真の劣化を始めてしまう。
今日は個別講演について独断的寸評をする。これはスピーカー個人や団体を誹謗中傷したり、優劣をつける事を意図しない。一部でも次回主催の参考になればと願ってのことである。その意味では予稿集の内容を見ての寸評となる。予稿集を見れば、この原稿は手抜きだな、開催の趣旨を良くりかいしているな、とか中には一朝一夕にはできないと思われる大作もある。
1.今回役所の偉い方から太陽光発電は最早「基幹電源」であるという発言に多くの関係者が感動もし、確かにそのように位置づけられることは喜ばしいし、責任感も出てくる。しかし、会場の参加者(多くは関連事業者)は自分達が基幹電源の担い手であるという意識は無い。分散電源が固まって基幹となるが、それぞれの事業者は担当単位が小さく基幹電源と日々のビジネスを結び付ける(付けられる)意識も知恵も自覚すら湧かないだろう。当然、期待するのは「国として基幹電源に位置づけその完遂のためにこのような手(政策や方針)を打って行くということまで言って初めてその意味が理解できる。残念ながらその後の講演でも「手」の説明は無かった。あったのは、だから頑張ってというエールか、実務ではFIT制度の綻びを繕うルール改訂や法律改定の話だけである。
2.基調講演とも言える有名教授の講演ではFIT制度の欠陥ばかりが主張された。原稿も他のスピーカーに比べ手抜きとしか思えない簡単なものである。国の委員会などで忙しいのだろうが会場は著名故聴いて見たいと思って来た方も居るだろう。RPSや補助金政策が思ったほど普及拡大に影響を及ぼさなかった後始まったFIT制度。長エネ見通しでは2020年28GW、2030年53GWが掲げられていた。FITが始まった直後の審議会で、FIT成立に辣腕(と自分は思う)を振るわれた部長が、「こんな状態で目標(28、53GW)は達成できるのですか?」という質問に対して「FIT制度だけで達成するとは法律には書かれていない。数値目標達成を目的として始める制度ではない。あくまで現在の停滞に何らかの手を打つべきとの考えであり、他の手段も総動員しなければならない。」という主旨の発言をした。FITの効果はまだ小さく、技術的にも再エネが市場(事業者)に買取価格+技術的信頼性の点で選ばれるか否かも全く分からなかった時である。数値目標達成の全責任をFITに負わせるなと言いたかっただろう。今起こっている種々の問題(綻び)をその時点で予測することは超優秀なキャリア官僚でも難しかったと思う。今回講演では流石にFITの欠陥だけを指摘するのでは無く、FITからFIPへと新たな提案をしているところは救われる。しかし、
FIT:買取価格-回避可能費用(発電原価)=賦課金
FIP:買取価格=回避可能費用+賦課金
賦課金(一単位当たりの国民負担)が固定されるメリットを挙げているが、誰が賦課金(プレミア価値とも言える)額を何時決めるのか、果たしてその額はあらゆる側面で問題(産業振興や普及貢献など)無いのか、ゼロにすれば国民負担は無くなるのは当然だが、そもそも右辺を左辺に移行しただけで数学的には同じに見えるが、という単純疑問には答えていない。企業にも(売価-経費=利益)から経費の中に予め利益をコストとして組み込んで置こうという考えもある。数学的には(売価=経費+利益)で決めるというもの。確実に利益が読めるというのだが、電力の「総括原価方式」に似ている。残念ながら浅学非才の身にはFIPが産業にどう影響するのか、FITと徹底的に違うポイントがわからない(FIPでは意図的に賦課金を抑えることは可能というくらいは解る)。会場の皆さんはどうだったろう。その他、抑制や託送料の点では流石に大先生、鋭い指摘だと同感できるが、国民負担をクローズアップし過ぎており、消費者の怨さがPVへの逆風ともなりかねないと警鐘まで鳴らしてしている。影響力のある先生です。その後の講演(JPEAも含め)で何度も出てくる買取期間終了後はほぼ原価ゼロ円電気が新しい価値を生み出すことや電気料金の押し下げに貢献する可能性があることにも触れて欲しかったのが本音である。
2.新エネ部関連では初日の部長講演、2日目の課長講演を併せて印象に残ったものを挙げる。どちらもエネルギーミックスにおける2030年の電源構成(再エネ22~24%で原発22~20を上回る)を挙げたが間に挟まれたパネルディスカッションで委員であった橘川先生が比率が決まった経緯と欺瞞性を指摘したので比率の重厚性は失われた。そもそもPV7%は設備容量で64GW相当であるが、6月末時点のFIT設備認定量が82.5GW,FIT以前の設置量5.6GWを足すと約90GWになる。脱落組があるとしても7割程度が施工されれば2030年目標は達成できてしまう。「後15年、国の目標達成のためにメーカーは生産の必要は無いと同義語である。ただただ速やかに今までの分を竣工せよ。」と言っていることを有難がっている場合では無い。業界はエネルギー計画のみに頼る方針を改めなければ本当に産業は消滅することを自覚しなければならない。例え、他の再エネ比率を100%食っても64GWが180GWになるだけである。現実的にはPV偏重バッシングとか物理的に不安定電源をそこまで接続できるのか(コントロール可能量)と言った問題が顕在化してくる。どう考えても電力供給から電気利用のツールとして用途拡大しかないのではないかと思う。勿論他の講演で負荷能動化やEVへのチャージとか自家消費とか、エネルギー転換とか必要なエネルギーの一部を担うなら64GWはPV全体の用途の一部でしかなくなるという希望もある。天井はまだまだ高いはず(JPEAビジョン参考)である。話を元に戻す。新エネ部(課)の講演は毎回資料も緻密で情報満載、最新の政策動向も聴けるということで人気は高い。今回も原稿の美しさ、分かり易さでは群を抜く。政策動向はと言うとまさに防戦一方(PV、FITへの逆風)であり、国民負担、現行手続きの改定、系統制約の問題などFITの綻び対策に終始している。この状態で100年先まで頑張れと言われても・・・・。そもそも規則や法律の改定は作用、反作用(副作用)がある。薬にも似て、薬効あれば副作用もある。例えば価格決定時期を接続契約締結時とすると未稼働案件を減らす効果はあるが、事業計画立案(ファイナンスや種々契約事項)の困難さは否めない。そも未稼働が問題となったのは接続枠だけ確保して設備が下がるのを待って着工する悪徳業者が居る)とか権利の転売をビジネスにしている(法的には禁じられないと思うが)輩のため本来27円で運開すべき時期に32円案件が出てくるといった国民負担が増すというマスコミや一部先生方の批判から始まった。しかし、もし32円案件が予定通り運開していたらその時期から32円の国民負担は始まる。また、この案件が10年後に運開するなら事業者はその間の利益を失い、10年後の32円はインフレで実質価値は落ちており国民負担は減る。思惑通りに設備コストが下がるか否かは事業者リスクでもある。先伸ばし(悪徳?)利益確保が問題ではなく予約で系統が埋まって後続が入れなくなることが実は問題である。それは接続問題(対策は抑制だったが)と同じ意味を持つ。予約席で一杯になり後続者が入れない、継続的事業参入の妨げになることである。未稼働問題は凝縮すれば系統接続対策と同じとも言える。その対策は系統増強し、発電地点と消費地を直結することが必要だが、残念ながらここに対する施策や方針は聞かれ無い。接続問題さえ無ければ、未稼働は消費者や他業者に何ら不利益をもたらさないのではないだろうか。勿論、法はこのような事態を想定しておらず、寧ろ何とか早く運開したい(ここでは善良?)事業者ばかりが参入する前提であったために生じた綻びと言える。綻びを対処療法的に規則変更する場合、副作用でこういう懸念(申し込みの減少がメーカーの事業継続性に影響とか)が生じるが、天秤に掛けると対処療法を選ばざるを得ないといった痛みについても説明すべきである。官として痛みは説明できないならば業界側が代わって行い、緩和策としての提案も必要である。時期的に仕方が無いかも知れないがFIT制度の修繕作業ばかり施策として発表されると、夢も希望も失ってしまうのが会場に集まった事業者ではないだろうか。
長くなったのでパネル討論以降の個別講演(示唆に富む素晴らしものもあった)については、その(3)としてまた明日。
自分のブログは読み返しもせずに書きっぱなしで投稿することが多く、過去の自己ログを再読することもない。しかし、何かが引っ掛かりその(1)を再読したらやはり問題があった。その(1)では・・・主催者側の失敗である・・・と書き下したが決して今回のシンポ担当に向けたものではない。前回まで何十年も主催者側に立っていたため、未だに気分は主催者側のままであった。それぞれ担当はスピーカーに気を使いながらプログラムを構成し、出来る限りのことはやったのであろう。失敗であるという言葉は主催者意識の抜けない自分自身への自己批判でもある。果たしてこの内容で参加者の満足は得られたのであろうかという疑問からでもある。偉そうに言っている自分自身も参加者の啓蒙とか啓発という不適切な言葉を使いながら永くイベントを主催してきた。その意味ではスピーカーになった時も上から目線が無かったとは言えない。お金を取るなら参加者が何を求め知りたがっているかに少しでも応えることが一番大事である、と感じ始めたのは晩年である。(この頃から権威とか権力を盲信して有難がらなくなったようにも思う)反省点が組織団体の中に十分伝えきれていなかったという自己批判でもある。さて明日はそれこそ毒舌と偏見で個別プレゼン、スピーカに対する感想を書こう。