太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

カリブの海で

2019-07-24 08:52:35 | 旅行

毎年夏のこの時期はこの別訴にやってくる。海に近いという事だけで友人から譲り受けたものだ。海の家のように砂浜に突き出た白いウッドデッキがお気に入りだ。珍しく朝早く起きたので潮風を浴びるためデッキに出た。太陽は既に水平線から離れ、デッキの庇の影が足元にくっきりと映っている。その向こうには夏の海が小さな白波を立てて打ち寄せている。その上には真っ白い積乱雲と真っ青な空のコントラストが美しい。デッキには無造作に置かれたブラジルヒメヤシの葉が海風に揺られている。ロッキングチェアには昨日海で泳いだ時に使ったバスタオルが掛けられたままである。小さなテーブルに乗った花瓶にはピンクのバラが添えられている。管理をお願いしている近所のおばさんが持ってきてくれたものだ。デッキもそれを囲む手摺も庇を支える柱も潮風によって白いペンキがだいぶ剥がれてきている今年の秋はペンキを塗り直さなければ。おばさんが昼飯を作りに来てくれる前に小舟を漕ぎ出し近くの入江に釣りにでも行ってみよう。若い時のように目の前の海でちょっとサーフィンというわけには行かない。年がいったものである。目の前に広がる白い砂浜には誰もいない。ヘミングウェイのカリブの海にあこがれて九十九里にやってきた。

窓の外に目をやると3週間目くらいだろうか夏の青空が白い雲の隙間からのぞいている。梅雨寒も治まり卓上の温度計は28.9度と少し蒸し暑さも感じる。ブログを書こうとパソコンに向かい目の前のカレンダーを見ると7月の絵は明るい陽射しが差し込む白いウッドデッキと目の前に広がる人っ子一人いない海である。車のディーラーから貰ったカレンダーであるがどうみてもヘミングウェイの描く美しいカリブの海である。妄想逞しくこれが良く出掛ける九十九里の海だったら、何をして1日を過ごそうかと。ロックチェアでB級読書をしながらつい居眠りをしてしまい、お手伝いさんが、旦那さんお茶でもと言ってガラスのティーカップに冷えた紅茶を持ってきたところで目が覚める。そんな1日などありはしない。案の定書き終わりに外を見るといつの間にか空全面を雲が覆ってしまった。明けそうであけない梅雨である。


意外だった北海道旅行のつづき

2015-08-06 08:12:27 | 旅行

現地のバス会社でチャーターされたガイドつきバスで3日間北海道を横断する。北海道は確かにイメージどおりで広大な畑や森が延々と続く。最初は珍しさもあったが、(意外の三)はこのバスガイドの説明がだんだん鼻につくようになった。一直線の道路に出ると、必ず直線の長さを自慢げに言うが寄る所が無いから一直線に作ったのであって無理して作ったわけでは無い。この話は多分5回くらい出てきた。冬場に牛に干し草を与えるため作った牧草ロールを黒いビニールで覆った「サイレージ」が見える度に作り方の説明をする、これは7回くらい。小麦やてんさいなど見えると種まきから収穫時期までを細々と説明する、農産物育成説明が10回くらい、さらに北海道産の美味しさを自慢する。バスの客がどこから来たのか、日焼け顔を見て分からないのか、千葉、茨城あたりのプロのお百姓さんも居るのだぞ。町を通る度に「広さ」を本土の府県を例え人口の少なさと広さを強調する。これは5回くらいか。あるときはここは歌手の松山千春の出身地で彼のお父さんの仕事とか家族構成と歴史を細々と延々喋る。こちらはそれを聞いたからどうだ、何に応用できるわけでもない。兎に角芸能人、スポーツ選手など出身の自慢話8回くらい。歴史を語るのに有名人だけしか出てこない。お決まりのラベンダー畑ファーム富田では開墾者の富田さんの苦労話が延々、彼は何度も止めようと思ったと悲劇のヒーローの扱い。誰に頼まれたのでもなく、自分の意志でしょう。東京には辞めたくとも辞められない悲劇のサラリーマンは何百万人も居る。あげくに北海道のパッチワークはお花畑ではなく、実は畑(オイル用ラベンダー)なんです、は3回出た。富良野では当然倉本総と(マージャン好きだったよう)北の国からの裏話、こちらはTV見てないから興味もなし。この話が延々続く中、ガイドの背景に高い山が見えて名前が知りたかった(十勝岳?)がガイドは振り向きもせず話に夢中、やがて山は見えなくなる。話す口調が柳原可奈子の店員のモノマネのように意味の無いところで「間」をとり、ちょっと自分にうなずき続けるところに激似。これは癖かもしれないが100回は鼻に(耳にか)ついた。クイズ形式の問いかけも30回くらい。森を抜ける度に鹿が出ると自慢、家内が一度見つけて感動していたが、こちらは奈良公園の近くに住んでいた経験があり、鹿は良く知っている。このガイドは話の「間」はあるが話全体は延々と続きちょっと沈黙があるとこちらは工場の昼休みモーター音が止まった如く安心感が得られる。その機会は極稀だったが。多分、彼女は小学生相手とかガイド歴長く、自分のパターンを確立しており文句お言ってももう修正きかない。バスの客は皆大人しく、自分たちの会話もガイドの邪魔にならないようひそひそ話。一組だけダンナさんが熱心にガイドの話に耳を傾け、うなずいたり。小声でへぇーとか感嘆、多分この人はこれから先も些細なことに驚きと感動を覚える幸せな人生が送れるだろうと正直羨ましくも思った。釧路の海鮮丼、TVでよく見る豪華さはほんもnが2,980円?それだけ出せば東京でも食える。景色は広大だが(モンゴル人は感動しないだろう)町に殆ど人を見かけない不安はある。ところどころにメガソーラーがありこの広大な地が真っ先に導入制限となった理由も実感。場所はあるが消費が無い。毛ガニと甘エビを土産に買ったがこれは美味かった。

想像道理の景色は北海道に何の責任も無いし、ご老齢のバスガイドに恨みごとをいうわけでもない。むしろガイドにはこちら夫婦に隙を与えず、結果的に想定していた揉め事が起こることを防いだことに感謝しなければならない。旅が無事終わった事に感謝!


意外だった北海道旅行

2015-08-05 08:27:24 | 旅行

定年後、永年の(妻の)希望であった北海道に行くことになった。現役時代は一緒に旅行など行った事はなく、「うちは家族旅行など行ったことがない。」と言うので「みんなで行ったことある」というと、「お父さんあれは旅行じゃなく法事に行ったんでは」と返される始末。現役時代は定年後にはゆっくり時間もとれるしと思っていた。そもそも何月何日に行くと計画を立てると、何が起こるか分からない未来を固定することになり、忘れて他の計画を入れたり何か仕事上の急用が出来るとキャンセルとなり親切があだになるかも知れないという杞憂もあった。また、仕事で多くの海外出張があり、有名なリゾートとか絶景とか遺跡の近くにも行ったが観光に一切興味は無かった。それより、どうやって車の手配をすれば良いのかとかタクシーに大金をせびられないようにとか、食べても大丈夫なのかと心配になる僻地での食事等がいつも付きまとった。「海外旅行などしたくない、面白くない、食事はまずい。」と散々言ったが「お父さんは兎に角沢山行ってきたからそれが言える。私は行ったことがないからそれすら分からない。」とこれも切り返される。もし行くんだったら何にもしなくて良いパック旅行なら」と言って伸ばしていたら近所の友達と行ってしまった。北海道だけは逃げ切れず、それでもパック旅行には拘った。

当日は成田から新千歳へそこから知床への往復バスツアーという3泊4日の旅。行く前にはきっとささいな事で揉めて帰ってきてから暫く口も利かない旅になるだろうと予感がしていた、学生時代本当に仲の良かった友達とバイトの金を貯めて二人で貧乏旅行をしたとき、かなり険悪になった思い出があり、これがトラウマで、二人は鬼門、行くなら3人以上(多数決ができる)が望ましいと思っていた。成田空港の集合場所に行くとまず驚いたのは我々含めて12組の夫婦が年恰好から服装までそっくりの連中でこれがワンパックとなった集団だった。多分募集条件に入っていたのではなく偶然だろうが。後で分かったが「妻が北海道に一度行ってみたいから、と言われ来ました。」とか「夫婦で行った事がない、とせがまれて」とか。12組のだんなさんの方は全員定年後か永年農家を切盛りしてきたような一仕事終え感が漂い、奥さんは普段着なれないしまむらか地元のスーパーで揃えた小旅行用の動きやすく質素な服装とリュック、比較的新しいスニーカーが目立つ。多分日焼けした人は成田近くの豪農であろうし、小金には困らないが使い道が分からないという風の人が多かった。こんなに似たもの夫婦だけのパックがあるのかというのが(意外の一。)

旅に出る前は、パック旅行は必ずバスガイドをからかい、知らぬ者同士の集まりでも知ったかぶりをして大声で目立とうとする者、兎に角酒だけは手放さないという輩がいるものだと覚悟していた。しかし、北海道横断の長いバスツアーであったが全員大人しく、あわただしい集合と解散の繰り返しでも5分前には必ず集まり、何一つ愚痴は聞こえて来ない。ホテルのバイキング形式の食事では馬に食べさせるのかと思うほど山盛りにした中国人らしき観光客の隣で食べられる分だけよそおい、人気食材の前では横入りする人に文句を言うわけでもなく、整然と並び古き良き日本人を彷彿させる集団であったのが(意外の二。)

もっとも驚いたというか呆れ返ったのが横断の三日間ついた50過ぎのバスガイド。これは続編で書こう。