古典とか遺物の価値は二通りに分れる。一つは昔創られたものであるが今でも感動や共感を呼ぶもの、一つはあの時代によくここまでできたものだと感心するものである。前者の代表はクラシック音楽だろう。後者は文学作品が多い。独善だが源氏物語や枕草子、和歌なども後者と思う。その時代故に書けたのではないかと思う。洞窟の壁画や土偶はどうだろう。写実性から言えば後者だろう。昨日の市民講座は「古代東国の古墳文化」であった。大和ではなく東国となっているのは講師(現役大学教授)の研究対象が群馬の古墳だからである。古墳は単なる有力豪族の墓であるだけではなく共同体のシンボルとして交通経済拠点、開発経営拠点として築造されたことは理解できた。しかし興味があったそこで行われた祭祀、副葬品の意味などはあまり説明されず、渡来人の技術が相当生かされていると簡単に説明された。天皇との関わりも一切触れなかった。講義自体は古墳の形や大きさが身分(階層)を表しているとか歴史的、地政学的な意味合いなど教科書を読むような講義だった。
Q&Aで、全国的に同じような形が普及したのは設計図があったからですかと言う質問に。紙は未だなく設計図のようなものは無く、当時は記憶力の素晴らしい人が沢山いてその人達が全国に口承したと答えたのは驚いた。副葬品の中に邑のジオラマのようなものが発掘されたりしているのだから模型があったと考えるのが筋だろう。これを元にすれば相似形の大小様々なものは幾らも創れる。休憩時間に、あんな大規模な墓は築造には何十年もかかるものがあるでしょう。死後では間に合わない(時代が変わる)でしょう。何時築造したんでしょう?有力な豪族に跡継ぎが生まれたら直ぐに建設にとりかかったのでしょう。云わば生前墓ですよと答えておいたが実際は知らない。同じ愚問なら有名な大師が建立したという寺院。これも建立には何年もかかるものがあり大師を偲んで建立したと言う方が自然ではないだろうか。江戸城は誰が建てた?太田道灌と答えたらブーブー。大工ですという子供の頓智があった。
学校を出てから市役所で学芸員となり以来古墳一筋に過ごしてきた講師の人生。言葉使いもまろやかである意味平穏無事な幸せな人生を送ってきたのだろうと思った。それに引き換え聴講生の高齢者、何処か目立ちたいとか講師を凹ましてやろうとか海千山千の質問が目立つ。とげがあるかどうかは過ごした人生が現れるのだろう。自身?上品では生きて来れなかった。
Q&Aで、全国的に同じような形が普及したのは設計図があったからですかと言う質問に。紙は未だなく設計図のようなものは無く、当時は記憶力の素晴らしい人が沢山いてその人達が全国に口承したと答えたのは驚いた。副葬品の中に邑のジオラマのようなものが発掘されたりしているのだから模型があったと考えるのが筋だろう。これを元にすれば相似形の大小様々なものは幾らも創れる。休憩時間に、あんな大規模な墓は築造には何十年もかかるものがあるでしょう。死後では間に合わない(時代が変わる)でしょう。何時築造したんでしょう?有力な豪族に跡継ぎが生まれたら直ぐに建設にとりかかったのでしょう。云わば生前墓ですよと答えておいたが実際は知らない。同じ愚問なら有名な大師が建立したという寺院。これも建立には何年もかかるものがあり大師を偲んで建立したと言う方が自然ではないだろうか。江戸城は誰が建てた?太田道灌と答えたらブーブー。大工ですという子供の頓智があった。
学校を出てから市役所で学芸員となり以来古墳一筋に過ごしてきた講師の人生。言葉使いもまろやかである意味平穏無事な幸せな人生を送ってきたのだろうと思った。それに引き換え聴講生の高齢者、何処か目立ちたいとか講師を凹ましてやろうとか海千山千の質問が目立つ。とげがあるかどうかは過ごした人生が現れるのだろう。自身?上品では生きて来れなかった。