太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

古典、レガシー(遺物)の価値

2022-07-31 06:35:40 | 日記
 古典とか遺物の価値は二通りに分れる。一つは昔創られたものであるが今でも感動や共感を呼ぶもの、一つはあの時代によくここまでできたものだと感心するものである。前者の代表はクラシック音楽だろう。後者は文学作品が多い。独善だが源氏物語や枕草子、和歌なども後者と思う。その時代故に書けたのではないかと思う。洞窟の壁画や土偶はどうだろう。写実性から言えば後者だろう。昨日の市民講座は「古代東国の古墳文化」であった。大和ではなく東国となっているのは講師(現役大学教授)の研究対象が群馬の古墳だからである。古墳は単なる有力豪族の墓であるだけではなく共同体のシンボルとして交通経済拠点、開発経営拠点として築造されたことは理解できた。しかし興味があったそこで行われた祭祀、副葬品の意味などはあまり説明されず、渡来人の技術が相当生かされていると簡単に説明された。天皇との関わりも一切触れなかった。講義自体は古墳の形や大きさが身分(階層)を表しているとか歴史的、地政学的な意味合いなど教科書を読むような講義だった。
 Q&Aで、全国的に同じような形が普及したのは設計図があったからですかと言う質問に。紙は未だなく設計図のようなものは無く、当時は記憶力の素晴らしい人が沢山いてその人達が全国に口承したと答えたのは驚いた。副葬品の中に邑のジオラマのようなものが発掘されたりしているのだから模型があったと考えるのが筋だろう。これを元にすれば相似形の大小様々なものは幾らも創れる。休憩時間に、あんな大規模な墓は築造には何十年もかかるものがあるでしょう。死後では間に合わない(時代が変わる)でしょう。何時築造したんでしょう?有力な豪族に跡継ぎが生まれたら直ぐに建設にとりかかったのでしょう。云わば生前墓ですよと答えておいたが実際は知らない。同じ愚問なら有名な大師が建立したという寺院。これも建立には何年もかかるものがあり大師を偲んで建立したと言う方が自然ではないだろうか。江戸城は誰が建てた?太田道灌と答えたらブーブー。大工ですという子供の頓智があった。
 学校を出てから市役所で学芸員となり以来古墳一筋に過ごしてきた講師の人生。言葉使いもまろやかである意味平穏無事な幸せな人生を送ってきたのだろうと思った。それに引き換え聴講生の高齢者、何処か目立ちたいとか講師を凹ましてやろうとか海千山千の質問が目立つ。とげがあるかどうかは過ごした人生が現れるのだろう。自身?上品では生きて来れなかった。

夏らしい天気に

2022-07-30 07:08:31 | 日記
 夏らしい天気になった。ここで1句、
   パラボラの 向うの森に いずる入道
東向きの窓を開けると隣家のパラボラアンテナの向うに遠い森景が見える。真っ青な空を背景に丁度入道雲が頭を出したところだ。天候不順が続いたが今日は夏らしい1日となりそうだ。空を見上げる頻度は若い頃より高くなっている。多分若い頃は目の前にあるものだけに注意を集中していたからだろう。涙が零れないよう上を向くなどというロマンチックなことは無かった。今は鼻水が垂れないように上を向く?そんなに年は行っていない。物思いに耽るときが多くなったからだろう。実体験が減ってくるとどうしても空想に走る。空想する時は当然地面よりも空を見る。本当のところ?今日はどれくらい暑くなるだろうと空を見て想像するのである。暑さ対策はまず気構えから入らないと。熱中症に油断は禁物である。
 今日は市民講座の日である。毎回100人弱の人が集まる。高齢者ばかりだ。間隔を空けて椅子を配置してある。全員マスクをして前を向いて黙して聴くので幸いにも3年間ここからコロナ感染は始まっていない。カラオケとは訳が違う。それにしてもお年寄りは元気だ。元気だからこそ聴講に来られているとも言えるのだが。ある県では第7波の急拡大によりお年寄りの外出自粛というところもある。多分どのような所にどのような対策で出掛けるかにもよるだろう。8月は市民講座も休講で今日が前半最後となる。8月には4回目のワクチン接種を予約してある。丁度感染ピークの頃に効果を発揮するだろう。多くのお年寄りの願いは、誰にも迷惑も面倒も掛けたくないというのが第一だろう。若者がユーチューブで個人的TV局を開設するのも三密を避けるには良い方法だと思うが、器用さに欠ける高齢者はじっとして鰯雲が出て来るのを待つのみ。

一番楽しい時が

2022-07-29 08:38:25 | 日記
7月の終わりといえば子供にとって1年で最も楽しいときである。夏休みは丸々1か月も残っている。入道雲の湧く暑い夏も海や山で過す日々は何事にも代えがたい。しかし今はコロナ感染が急拡大しており楽しさは半減どころか無いに等しいかも知れない。家に籠ってゲーム三昧も良いが今度は親が許さないだろう。辛い夏休みはこれで3回目となる。最初は1年くらい我慢せいやと思っていたが3回目となると可哀そうな気もする。失われた3回の夏である。慰めの言葉も無いが大人、しかも相当な大人も結構寂しい思いをしていることを伝えなければならない。長い人生でやっと多少のお金も時間もできたからハワイに行こうとと思っていたが止めた。それならと国内でA5ランクの黒毛和牛を食べるグルメ旅に出掛けようと計画変更したら昨日は国内感染者が過去最大の23万人を超えた。旅どころではない。なら童心に返ってTVでも見るか(昔はTVゲームなど無かった。精々小金持ちの子供が野球盤を持っていたくらい)と思っても大谷選手の試合くらいしか楽しみはない。いい大人でもこれくらい我慢して夏を過ごしているのだ。今は金持ちだから遊びに行けるとか美味しいものを食べると言う時ではない。云わば平等に我慢する時代だ。隣のケンちゃん家は金持ちだから家族そろって海外旅行に行くなんてこともない。しかも家でゲームなどしては居られない。こういう時こそ差がつくものですよ、勉強しなさいと教育ママに叱られている筈。お前は元気だけが取柄だから勉強しろなどとは言わない。お父さんが昔買ったダンベルが押し入れの何処かにある。外に行けないからと油断してはいけない。体力こそが遺伝で与えた最大の贈り物だ。格差が縮んでいると言っても良い。
 本当にところ?時間はあるけど金はない。時間もあるとは言っても今日は金曜だから燃えるゴミ出しもあり古新聞の回収の日でもある。事情があって晩御飯は作らなければならないし、時々風呂の掃除もある。ブログを書いている時だけが本当の自由時間かも知れない。釣りも自由時間ではないか?おかずだよ。庭のミニトマトもきゅうりもそうだ。自由時間を無駄に過ごせることこそ文化の源泉である。目的があってやっていることからは文化は生まれない。一見余裕があって文化的生活と思われるが実体は殆ど仕方がない夏を過ごしている。文化とは程遠い。

やっと来たか

2022-07-28 07:46:18 | 日記
 待っていたのだ。昨日は久し振りに雨は降らないとの予報をあてにクロダイ釣りに出掛けた。波は相変わらず荒く、サーファーも少ない。釣り人も極少数で貸し切りの大平洋である。ボウズを覚悟していたが2尾も釣れた。今年の初物である。大きい方が40㎝、小さい方は28㎝だった。もうこれ位で許してやろうと納竿にした。太平洋に魚はいないなどと嘯いていたことは海に謝る。多分水温がやっと上がりクロダイが岸辺に近づいてきたのだろう。記録ではないが初物記念に写真に収めた。ご祝儀相場で価値ある2尾だ。大は刺身で頂いた。今日は小を塩焼きに、大の三枚おろしは下手くそで中骨に身がたっぷりついていたから頭も半割で綺麗にしてアラ煮を作る予定だ。命を頂戴しているので一片も無駄にはできない。レシピはネットにあるから超便利。今年はこれから秋の中頃まで楽しめるだろう。ただ日焼けと砂浜を歩くのでどっと疲れるので頻繁には行けない。
 帰ったら大谷が21号のHRを放っていた。こんな日もあるのだ。これ以上何を望む。小さなことに幸せを感じていいですね?世界を股にかけて飛び回ったのは往時の話。今は幸も不幸も皆小振りになっている。小さなことに喜びを感じるようになったら貴方も幸せの入り口に立っている。年が行った証でもあるのだが。

飲む以上に汗が

2022-07-27 07:43:39 | 日記
 このところ気温も湿度も高い日が続いている。砂漠のように高温で乾燥していれば喉が渇くのは分かるが湿度が高いのに喉が渇く。小まめに水分補給をと言われるが飲むとどっと汗が噴き出す。飲んだ以上に汗が出るのか直ぐにのどが渇く。若い頃は夏場に水分を摂り過ぎると秋口に胃腸を壊すことがよくあった。少し控えめにしていると年々胃腸の調子は良くなった。途上国に良く出掛けたが最も気を付けたのは飲み水である。一応都会でミネラルウォーターを多めに買っていくのだが限界がある。最初に代用したのはコーラである。相当僻地に出掛けても有名ブランドのコーラはあった。次が缶ビールである。飲み過ぎると逆に喉が渇く場合もあるがビールの主成分は9割が水であり代用にはなる。因みに日本の自販機で売っている清涼飲料で果汁1%未満という表示のものが多いが1%未満を計量して入れる方が難しいだろう。せめて30%にすれば計量の誤差があっても構わないと思うが。どうしても手に入らない時は田舎のホテル(木賃宿)の水道水を煮沸して飲んだ。ネパールの農家ではキュウリ(瓜くらいの大きさ)が出て来て大変瑞々しかった。水代わりにタラフク食べた。きっとおやじさんは日本人はキュウリが好きなんだと思ったろう。南太平洋では休日に何人かで無人島に遊びに行った。誰も水を持て来ていなかった。遊びどころか干からびそうになった。夕方迎えに来た船員がラグビーボール大の椰子の実を採って来てくれてココナツジュースを飲んだ。生涯最もおいしい水分補給だった。
 純水は限りなくH₂Oに近い水のことで基本的には無味無臭だ。「純水」の明確な定義はなく不純物を除去する方法でさまざまな種類の純水に分れる。日常生活で飲む水道水には塩素のほかにマグネシウムやカルシウムなどのミネラル分が含まれており「味」の元になる。ペットボトル売りの水はこのミネラル分を調整している。一方不純物が混ざっていることで、においや味わいが損なわれることもある。半導体の製造で洗浄に使われるのが超純水である。通常の純水の製造工程では除去できないイオンや有機物、微粒子なども除去されたより純度の高い水で「超純水」と呼ばれる。肝はイオン交換樹脂を使って陽イオンはH⁺に、陰イオンはOH⁻に変換しよりH₂Oに近いものにしてある。蓄電池の補水の水(純水)が手に入らない僻地では最悪川の水でもと指導したがミネラルがイオン化し溶けているので本来電気を運ぶべきイオンの働きを邪魔するのでよろしくない。
 一体この話はどうなるのか。目的を持って書く場合はゴールに向かって最後はオチがあるところだが書きながら考える場合は連想ゲームのように何処までも発散してしまう。悪い癖だ。次はもっと意図を持って。