太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

スマホケースを落しただけなのに

2022-05-31 08:05:57 | 日記
 人気の小説(映画化も)に「スマホを落しただけなのに」というのがある。こちらは先日スマホケースを落してしまった。中にはイヤホンとアンテナが入っていた。裸のままのスマホは手元にあるのだが記憶を辿ってもケースが何処で無くなったのか分からない。多分東京に出た時公園のベンチに座って電話を掛けた時がケースを見た最後の瞬間だ。ケースから取り出してケースはそのままベンチに忘れた可能性が高い。まさかケースを拾って警察に届ける人はいないだろうし、イヤホンやアンテナから持ち主を探し出して脅されるとかいうストーリーは必然性の点で想定できない。諦めて忘れるしかない。
 以前東京でベンチに置き忘れたスマホを見つけて交番に届けたことがある。警官に電話の中に持ち主を特定できる情報があるのではと言うと、いや無断でスマホを見ることはできません。持ち主の紛失届を待つしかありませんという。実は違法とは知らず手掛かりがあるのではと思いこちらは中を見てしまっていた。本人の番号捜しは出来なかったが母親らしき電話番号があった。きっと本人は困っていると思い自分のスマホで電話を掛けた。✖✖公園のベンチで息子さんの電話を拾いました。これから近くの交番に届けますので息子さんから何か連絡があったらその旨伝えて下さいと言ったら不審電話と思ったのだろう、礼も言わず分かりましたと短く電話を切ってしまった。ちょっと後味が悪かった。交番ではこちらの名前を聞かれたが仕事の途中で急いでいますのでもう結構です。きっと持ち主が尋ねて来るでしょうと言って交番を出た。何とも善意が仇となったような気がして要らぬことをしてしまったと悔いた。
 さて自分のスマホケースを拾った人はどんな物語を展開して行くだろう。現実には清掃の人がポイとゴミ箱に入れてそれでおしまいなのだろう。本体でなくて良かったと思うしかない。次は100均のケースで充分、買おう。現実は小説にも笑い話にも膨らませられない。

人口ボーナス/オーナスを生きて

2022-05-30 10:07:08 | 日記
 昨日は市民講座の日だった。テーマは「少子化加速を止める社会改革」だった。講師は現役大学教授だが今更少子化対策には縁遠い存在でありあまり興味は無かったが意外と面白かった。少子化から派生する働き方改革に言及したが知らなかったワードもあり勉強になった。
「人口オーナス」;総人口に占める高齢者や子供(65歳以上と14歳以下)の人口割合が高く、オーナス(onus)とは「重荷・負担」の意味で、人口オーナス期は人口の年齢構成による経済や社会への不利益が続く時期である。年金生活者のど真ん中におり自身が主(悪)役と言う事か。
「人口ボーナス」;人口オーナスの対語であり総人口に占める働くことができる人々(生産年齢人口、15~64歳)の割合が高く、経済成長を促す状態をいう。自身は高度経済成長を担った時期もありボーナス時期もオーナス時期も主役を張った世代と言う事ができる。
「ワークライフバランス」;仕事にやりがいを持ち社会の一員として働く時間と、子育てや介護、自身を高めるために必要なプライベートな時間を切り分けて両方とも充実した生き方を実現するという意味であり目的である。そんなにうまく行くのかなとも思う。
「ワークライフインテグレーション」;仕事もプライベートも人生の構成要素の一つとみなし仕事を充実させればプライベートでも満足度が高まり、その逆もあって相互作用を期待する点で、ワークライフバランスとは異なる。仕事とプライベートに境界線を設けず、総合的な充実感を求める生き方である。団塊世代としてはこちらだった。
 世代としてはもう既に遅いのだが将来どのようなライフスタイルを実現すべきかで「複線型人生」を薦めている。経済同友が1999年に策定した少子・高齢化社会への提言で『「複線型人生」のすすめ』というものがある。原文のまま『・・・高度成長期を生きてきた人々のライフスタイルは、男女それぞれに固定的であり、生き方が年齢で画一的に区切られた“年齢輪切り型”が典型であった。特に男性サラリーマンの多くは、自分の時間の大半を仕事に費やし、「余生」と呼ぶにはあまりに長くなった高齢期の生き方について、備えもできていない。一方で女性の多くは、家庭で育児や介護を一手に引き受け、外で働く男性を支えてきたが、子供を通じて地域にネットワークを広げ、定年もないため高齢期でも概して元気である。個人の生き方は基本的には各人の自由であるが、ここでは一つの生き方として、男女いずれもが年齢に関係なく、仕事も勉強も趣味も育児・介護も、いろいろなことを並行して楽しむ「複線型人生」を提案したい(参照図あり)。仕事を一時中断して学習し直す等の途中下車ややり直しがいつでも可能であることが望ましい。自由度が増えることで人生の幅も広がるだろう・・・・。』なるほどと思う。働き方では36協定の遵守くらいしか頭になかった世代だが、多分政府の少子高齢化対策や働き方改革ではこのような将来像を議論しているのだろう。地味に見えるテーマだがもっと国民にアッピールして国民の合意形成をしたらどうだろう。経済団体は働かせ改革側におり、連合あたりももっと力を入れてくれなきゃ。と言うか個々人の日々ライフスタイルと結びつき難いテーマでは政治主導は欠かせない。ハードもソフトも社会インフラの整備は国の役割と思う。

今日はテーマなし

2022-05-29 08:05:22 | 日記
 TVや新聞で見かける「あざとい(小聡明い)」歴史的ポーズがある。「あざとい」はwikiによると小狡いさま・抜け目のない感じのあるさま・やり方があくどいさま・たちの悪い様子、といった意味の表現である。女性アナウンサーが足をややクロスさせて立つ姿、細く見えるような計らいか。未だにNHKが採用している。民放では大した役割もない若い美女がやたら大勢出て来て両肘を曲げて臍の上あたりで組んで立つ。そうスチュワーデスが機内安全の説明の前に取るポーズである。開店待ちで整列し待つデパートの店員もそうか。日曜版で紹介されるタレントさんの大きな写真、やや斜に構えて右手を折って手を顎の辺りにそっと添える。もう何十年も昔俳優さんも同じポートレート。これはもう歴史的ポーズと言わざるを得ない。普段日常生活であまり取らないポーズだけにわざとらしさに嫌悪感こっちもさえ抱く。それならこっちもカーディガンに袖を通さず肩に掛けるかこしに巻いて出掛けるぞ。石田純一氏と間違わないようにして欲しい。近くの運動公園のテニス場でよく見かける恰好だ。あっ天地真理と遠目から思っても近づくとザ・中年夫人連。何処かに忘れるのがオチだから着ない服は持って出ないようにしよう。
 江戸前の海苔が苦境に陥っている。原因はクロダイが食い荒らしているとのこと。写真には海苔網の下を泳ぐ立派なクロダイが写っている。こんな所に居たとは。こちらは美味しい餌ガニで必死に釣ろうとしているのに。海苔より蟹の方が美味いと思うが釣れない。ヤケクソで次は蟹ではなく海苔を餌にしてみるか。味付け海苔しかないけど水に漬けて柔らかくして針に巻けるかどうかだ。庭の花梅の木で大胆にカットした幹の先端から物凄い量の小枝が伸びきた。おまけにアブラムシだらけ。今年も花は僅かしか咲かなかったが確か30年くらい前新築祝いに貰ったもので切り倒すには忍びない。今では根元は20cmは超える巨木になっているので根まで掘り起こすのは素人では無理。剪定に関係なくヤケクソで小枝をすっかり落としてしまったらトマトやキュウリに随分日が当たるようになった。若い苗に陽は譲る時である。人間社会にも言えることか。ヤケクソの意味をネットで調べてみた。漢字では「自棄糞」あるいは「焼糞」と書く。「くそ」は、「下手くそ」「胸くそが悪い」「くそおもしろくもない」などのように、前後の言葉を強調したり、強く卑しめたりする語である。火矢が当たって用を足していた戦国武将が逃げるに逃げられず焼け死んだなどという故事由来はない。自棄は「物事が思い通り進まなくて、どうにでもなれという気持ちになり、思慮のない乱暴な振る舞いをすること、また、そのさま」である。猿も木から落ちて人間になる。落ちた恥ずかしさから2足歩行のためにわざと落ちた風を装うヤケクソから生まれた奇蹟かも知れない。今日は市民講座がある。こちらは如何にも自然に真面目に出掛ける。

新鮮なのはいいけれど

2022-05-28 09:03:33 | 日記
 用事があって東京に出掛けた。コロナ禍もあり3年振りくらいだろうか。電車に乗るのも同じである。運賃も上がっていたが車輛が新しくなりモニター画面がやたら増えてCMやらニュースVTRなど飽きさせない。沿線にもここにこんなに家があっただろうかと思う程始めて眺める感覚である。席が空いてやれやれと座ると時間とともに妙に肩が凝る。立っていた時には感じなかったのだが。多分電車の揺れに小さな筋肉が強張るのだろう。大袈裟に言えばジェットコースターでリラックスできないのと同じである。僅か1時間の距離ではあるが東京駅に着いた時は疲れてしまった。
 気を取り直して昔運動のためと良く歩いた東京新橋間を歩くことにした。人混みの中を進むのも疲れるし東京駅周辺の地下街は様変わりしており、あれっ別の地下街に出てしまったと思う程であった。それでも皇居前から日比谷公園は昔と変わらず一安心する。
 帰りも同じように歩く事にしたがコースは昔馴染んだ築地から新大橋通りを経て八丁堀と少し遠回りである。沿道の並木は季節最大まで茂り。ビルのテナントが変わったり新しい看板が出来たりで殆ど記憶に無い所ばかりである。目を瞑っても歩けるところだったが新しい街に迷い込んだようで曲がる場所は立ち止まって確認しなければならなかった。久し振りに履いた革靴で脹脛が痛み出すわでのんびり散策とは行かなかった。これなら毎週土日に出掛ける自転車散歩の方が坂道はあるが楽である。慣れとは恐ろしいもの。僅か3年で異邦人、懐かしい東京は薄れてしまった。田舎者も板についてきたこの頃である。

逆に言えば平和か

2022-05-27 07:08:49 | 日記
 久し振りに国会中継を観た。結論から言えば全てが些事に思えてならない。質問する側も答弁する方も良く言えば手堅い。出来レースを見ているようである。逆に言えば国論を二分するような重要法案も無ければ政治スキャンダルもない平和な時かも知れない。岸田首相もそつがない。森友や加計、桜を見る会など話題提供に事欠かなかった頃が良かったかというとそうではない。面白かっただけで良い筈はない。全国紙のニュースにならない都府県は平和であるとブログに書いたことがある。目立つ行政はそれだけで問題である。山口県阿武町のコロナ給付金誤入金問題はバラエティでも盛んに取り上げられているが全国区のニュースになったのは「珍しい事件」だからである。3000人ほどの小さな町の名前は知らなかった人が大半だろう。とんだことで有名になったものだ。公金で起こったミスであるから元を糺せば税金だから無関係とは言えないが。
 調べると林芳正外相の選挙区のようだ。勿論外相とは何の関係もないことだがこんなことで将来の総理候補が目立ってはならない。長州は何かと注目を浴びる運命か。多分あと2,3日でこの件はニュース欄から消える。
 我が県も負けてはいない。2021年自動車盗難件数が全国一位だ。前の知事なら握り拳を前に出して野菜と同じように○○が日本一とガッツポーズで言っただろうか。あり得る話だ。我が家も10年前に自宅ガレージから盗まれた。勿論出てこない。今はHVの大衆車に乗っているが2020年の盗難車種第1位、2021年は2位だったから油断はできない。全国区のニュースにはならないが町内ではちょっとしたニュースだった。
 年と共に人間関係も整理(意識的というより自然の流れだが)され敵も居なければ味方もいない。町内でも目立たぬ存在になってきた。見方によっては孤独に見えるかもしれないが結構これが平和である。ニュースになることなど無いことを願っている。