土曜日に風邪をひいたから3日が経過した。昨晩は咳はあまり出ないし、熱も無いので治ったように思った。しかし、全身の倦怠感が抜けない。トイレに立つのも億劫である。炬燵に入ってウトウトしていたら普段、寒さ対策で寝がえりも打てないくらいの物凄く重い布団で寝ているより遥かに楽だ。亀のように首だけ出して毛布を持ってきて寝ることにした。TVも見ず、風呂にも入らず、9時頃は完全に寝る態勢に入った。簡単には寝つけず、こんなに早く寝たら夜中に目が覚めて苦労するだろうなどと思ながら。
その内全身に汗が滲んで来る。最近は歳も行って汗もかき難くなっていたがまだ汗は出る。夕方報道特番で荒川の河川敷のホームレスを特集していた。顔はぼかしが入っているが年恰好は私と似たようなものである。冬の早朝、缶飲料のアルミ缶を集めに自転車で出掛ける。貴重な現金収入である。この寒さに食べる為とは云え、モクモクと缶集めに奔走している姿を見ていると、彼らが決して生まれながらの怠惰でないことはわかる。アルミ缶を現金に換えた後、寒いので自ら自販機でコーヒーを買って指先を温める。あれっ、見慣れた細身の黄色地に黒でMAX。マックス缶コーヒーは確かスチール缶だったと思うが。貴重なお金をスチール缶のコーヒーに使うとは。この要領の悪さが生きるのを難しくしてきたのかも知れない。
零下にもなった寒い日、あるホームレスを訪ねる。拾い集めたであろう毛布や布団を雑然と纏って寝ている。こう寒くっちゃ死んじゃうよと言っている。毛布に包まれた姿は今の自分である。贅沢に汗などかいている。一体彼らと私を別つものは何だろうか。圧倒的に努力をしたとか、生活能力に断然差があるとは思えない。それぞれのホームレスも昔はちゃんと仕事に就いている。何かの切っ掛けでその日常が終わってしまったのだろう。そう思うと自分が向こう側に居てもちっとも不思議は無い。
日本人の一人当たり生産性は先進国中最下位である。効率的な労働を目指して働き方改革の法整備が国会で議論されている。果たして生産性を上げることがそのまま国民の幸せに直結するだろうか。色んな人が能力に合わせて働き、一応の生活が成り立つことが先決ではないだろうか。確かにどこの職場にもこのオッサン何の対価で高給を貰っているのかと怒りを覚えることはままある。給料の安い若い人を兎に角馬車馬の如く働かせるブラック企業は跡を断たない。効率的に働かせ、生産性を上げるというのは一部のエリートに対してではないだろうか。しかも彼らは言われなくてもそうする。大多数の人は能力に応じて働くべき(働かせるべきではない)である。それで居て何とか生活が成り立てば生産性が低かろうが仕方の無い事である。皆が皆兎に角向上とはいかないのである。アルミ缶を集めながらスチール缶のコーヒーを飲む人に効率を説くのは要らぬお節介というものである。
夜中に目を覚ますことも無く朝が来た。少し体は楽になったような気がするが何かのバチが当たったという感は拭えない。