太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

一年の感謝を込めて

2022-12-31 10:03:58 | 日記
 大晦日がやってきた。今年もブログを書き続けることができた。拙老の拙文ブログにも何人か熱心な読者が居る。会ったこともないが何かしら共感する部分があって読み続けて下さるのだろう。砂漠の真ん中で屁をこくように誰一人笑わないのも寂しいものがある。この共感こそがまだ自分は世の中と繋がっていると安心できるものだ。本当は世界を飛び回っている頃書いていれば興味深い紀行文が書けたかも知れない。しかしその頃は必死で余裕などなかった。またブログ自体が普及していなかった。今は時々思い出して書くことはあっても臨場感には欠けることは否めない。もし興味があれば初期の頃のブログを読んで頂きたい。ただ殆どが失敗談で何かの役に立つということはない。こんなブログでも来年も出来る限り続けるつもりだ。書き手も読み手も互いに元気で多少余裕もある証になる。決して今際の際に目にするものではない。熱心な読者の方に一年の感謝を込めて御礼申し上げます。

さすがに年末

2022-12-30 08:52:04 | 日記
 古本屋に出掛けた。勤め人も休みに入ったからだろうか結構客が居た。殆どの人が10冊くらい抱えている。新刊なら別だが2000円くらいで済んでいるだろう。長い休みで何処かに出掛けるでもなくB級読書に勤しむ人達は仲間のように思える。スマホでも読めるようだがやはり紙派としては捨てがたいものがある。歳が行くと読書の機会は増えるのではないだろうか。若い頃は本を読む暇がないが今は暇で本を読むくらいしかない。TVは面白いものがない。特に正月はバラエティが多過ぎる。箱根駅伝はマスコミが盛んに取り上げヒーローを作ろうと必死だが宣伝し過ぎなような気がする。長期休みに合わせて行う学生スポーツのツートップは夏の甲子園と冬の箱根になりつつある。ラグビーやサッカーもあるが人気から言えばこの二つには勝てない。冬の定番といえば大間のマグロ漁師だが初競りで一尾何百万もしたり博打紛いの漁にも少々食べる前から食傷気味だ。相変わらず路線バス乗り継ぎとかぶらり散、、スズメバチ駆除は番組になっているが余りに長くTVを観てきたせいか最近はデジャブ-である。
 B級読書は乱読だから偶に似たようなストーリーが出てくることがある。その内、読傷気味になるのだろうか。歳が行くと見たことやったこと聞いたことが増えるから仕方ないかも知れないが新鮮なものは数が減る。1年弱家内が術後のリハビリで代わりに夕食を作っていた。食材の買い物をしてネットでレシピを見て結構腕も上がった頃家内が作れるようになった。まずはほぼ元通りの生活スタイルを喜ぶべきなのだろうが。フランス小咄を思い出した。
二人の男がレストランで出くわして
-ぼくがこのレストランに来るのはね、女房が料理をしたがらないからなんだよ。
-そうかい、ぼくの方は女房がぜひとも料理を自分でやってみたいと言うんでね。
世の中さまざまである。

こんなものが上手になって

2022-12-29 09:21:10 | 日記
 今更だが障子の張替えも2日目になると要領を覚え半分の時間でしかも美しく皺ひとつなくできた。今更プロになる訳でもなく使い道はないのだが。プロと違うのは今回覚えたことを次回はきっと振り出しから始めてしまうことだ。ものはついで。今日は窓ガラス拭きをやろう。年末に掃除とは結構いいお父さんである。こんなブログを書いていたらタレントの奥さんが子供の為にこんな美味しそうな弁当を作りましたとか親の七光りでどうでも良いファッションを載せて、可愛らしいとコメントを貰ったりするブログとあまり変わらない。新聞の編集者のコラムのように何かしら役に立つとか知恵がつくものにしたいがそれは無理。
 一味違うものにしなければと思いつつ窓拭きで一つ。太陽電池パネルを扱ってたのでガラスには少々煩い。従来太陽電池のカバーはアクリルかポリカーボネート樹脂が使われていた。ケースに加工することも容易で外装はプラスチックが殆どだった。しかしプラスチックは何れ劣化して失透したりケミカルクラックを起こしたりする。やはり無機材料に限ると判断して表面材としてガラスの使用を考えた。某ガラスメーカーと共同してラミネートガラス(ガラスとガラスを透明樹脂でくっつけて強度を増す、航空機の風防や自動車のフロントガラスに使われる)の間に太陽電池素子を封じ込めパッケージとした。大変美しいものが出来上がり特許出願となった。しかし太陽電池のカバーをガラスにする方法はイギリスのインペリアルケミカルインダストリ―(株)が既に出願していた。こちらの出願はその特許が出願公開される前に出願したのだが優先権はあちらにあり拒絶となった。もう少し早ければ今世界中で主流となった表面ガラスのパッケージに名を残したのだが。
 ガラスに寿命はあるか。戦前の建物の窓ガラスで向こうが見えないほど劣化しているものはない。無機材料だから割れる以外は半永久的といっても良い。しかし全く劣化しないかというとそうでもない。土埃などが付着してこびりついてしまうものもあるが科学的には「ガラスやけ」というののが存在する。ガラスが水に接した場合、ガラスの成分であるソーダ灰などの可溶性成分がアルカリイオン(Na+など)としてこの水中に溶出してくる。この結果ガラス表面に色々な化学変化が起こる。侵食によってガラスの表面にアルカリイオンが欠乏した不均一な層ができ、その屈折率の違いで表面が虹色に見える(光の干渉縞で油膜のように見える)が発生する。これをガラスの「青ヤケ」と呼ぶ。もうひとつは表面のアルカリイオンを含む水が乾燥に伴って濃縮され、空気中の炭酸ガス(CO2)などと反応して炭酸化物などが生成され表面の輝きが失われてくる。やがて白く曇った状態になり、これがガラスの「白ヤケ」である。青ヤケも白ヤケも無機材料で安定しているがガラス表面でゆっくり化学反応が起こり青ヤケや白ヤケとなり失透する。
 ガラス屋でもあるまいしそんなことクドクド書かれてもと思うだろう。太陽電池のカバーガラスで起こることはもっと単純である。それは土埃を落そうと水拭きすると余計に汚れを拡散してしまう。また洗剤などを使うと残渣が化学反応してしまうことがある。結局は純水で洗うか雨に期待して何もしないことが最良だが次善は水洗いだろう。なら窓拭きも?窓は垂直が多いから水が付着して残り難いからヤケは起こり難い。天窓があるお金持ちは苦労するが。それでも年末、窓拭き直後の美しさだけを狙って作業にかかる。プロにもアマにも役に立たないブログとなった。

叩けばホコリが

2022-12-28 09:02:35 | 日記
 長旅のカウボーイじゃあるまいし叩けばホコリが出るわ出るわである。2か月の間に4人もの閣僚が更迭された。当人にとっては重苦しい正月となるだろう。大臣と言えば選ばれし人達であり期待も大きい。それがこの有様である。大臣になるとマスコミは挙って身体検査に励む。鵜の目鷹の目とはこのことだろう。大臣ですらこの為体だから一般の議員さんは表沙汰にならないだけで山ほどやましいところがあるのだろうと想像してしまう。目立たぬようそっと暮らして行けば良いのだがそれでは議員の仕事にならない。大臣にはなりたし身体検査は恐しというところか。
 叩けばホコリがというのは我が家でも同じである。年末が近づき一つここは普段やらないところを掃除でもするかとなった。手始めは障子の張替えである。小さい頃母親がやっていたのを思い出す。楽しい思い出である。何故ならこの時だけは破いても構わないからだ。当時は刷毛で糊を塗っていたように思う。今はアイロンで熱圧着するから誰でも出来るのだが家内はまだ立ったりしゃがんだりは自在にはできない。ここは男の仕事である。昨日は2面を終えたが今日は破れなどはないが少し黄ばんだ2面もやってしまおうと思っている。コツは周辺の糊しろを大きめにとって圧着することだ。多少付がわるくても何処かがくっついてくれる。最後は昔ながらに霧吹で水をかけて乾かす。多少皺が入ったところも結構きれいに仕上がる。小学生のころ夢中になったゴム動力で飛ばす飛行機の羽根と同じ要領だ。竹ひごに紙を貼るが最初は皺くちゃでも霧吹でピンと張ってくれる。人間の顔の皺もこうなるといいのだが。
 貼りながら自分の手をふと眺める。随分年寄りの手になってしまった。おまけに釣りの日焼けがまだ残っており余計に老けた手となっている。つるりとした甲も血色の良い掌も今は昔である。啄木ではないがぢっと手を見る。世界を駆け回った手は遠い遠い昔のこと。周りの、また自分自身の記憶からも他人事になりつつある。霧吹の最終段階に向けて頑張るとするか。

詰まってきたな今年も

2022-12-27 09:27:20 | 日記
 いよいよ今年もあと僅かになった。感慨に耽る1年でもないが無事に終われそうなことには感謝しなければならない。相変わらず幸も不幸も取り立ててない年だった。著名な同年輩の方々が沢山亡くなられたことを思うと大病に罹ることもなく過ごせたのは幸側にすこし寄った年ともいえる。まるで大晦日のようなことを書いたがまだ数日は残っている。その間何かあるかと言えば多分無いだろうがジャンボが当たるかも知れない。大量に買うなら確率も上がるのだがささやかなものである。期待値(=当選金額×当選確率)は投資に見合うものでないことは承知だがジャンボは運試しに買う。物事、確率だけで全ての選択をして行けば後悔もないだろうが人生そうはならない。確率を度外視してこそ人間らしい妙味があるというものだ。何故あたりもしない宝くじのことを書くか。ブログで世の中のことをあれこれ想像して書いてきたが結構当たっている。その繋がりで験を担いでいる。
 昨日は好天で海に出掛けた。近所ではそれほどでもなかったが海岸は冷たい北風が強かった。ルアーをちょっと投げてみたが勿論アタリはない。それでも砂浜を移動しながら結構歩いたので運動にはなった。僅かに居る釣り人に話を聞いた。最近近くで52㎝のヒラメをルアーで上げたひとが居るとのこと。多分その人はこれから何度も同じ場所に足を運ぶことになるだろう。釣れなかった日の方が多く確率からして無理なのだが、もしかしてもう一度と通い詰める。自分にも同じようなところがある。大きなクロダイを上げたことのある場所は何度も出掛ける。いい思い出だけを頼りに。
 ドラマか何かのセリフで不遇の主人公が、人生何か一つでも楽しい思い出があれば生きて行けるというのがあった。そうかも知れない。きっとある。無事で居られることこそその一つかも知れない。