太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

平成最後の

2019-03-31 09:19:23 | 社会観察

新天皇の即位まで少し時間はあるが、明日は新元号が公表される。TVではやたら、平成最後のという枕詞が使われている。生前退位だからこそ元号が変わる日が分かっているからだが、昭和最後のという言葉が予め使われることがなかったから余計に目立つ。

ここ23日の花冷えにも拘らず東京の桜の名所は何万人もの人出で賑わっている。花より人見状態で些か哀れにも奇異にも感じる。ちょっと郊外のこの辺りまで出掛けて貰うとやたら沢山桜はあるのだが。勤務地があった工業団地では、広い道路の並木は桜である。最初は細い街路樹であったが今は巨木、老木となり毎年見事な花を咲かせる。しかし花見に訪れる人など皆無で休日など車も殆ど走っていないから森閑としたものである。平成最後のと思い昨日車で行ってみたが未だ六分咲きくらいだろうか。城跡公園の桜も見事だが多分1週間後くらいが見ごろだろう。ソメイヨシノは思いのほか白く清潔感に溢れる。もう1か所競走馬の練習場が桜の名所としても有名で車で30分くらいのところにある。30年位前は無名で見物客など殆ど居なかったが昨年行ってみたら駐車場所もないくらい混雑していおり、屋台も沢山出ていた。遠くのナンバープレートもあり、やはり名所となるとネットで拡散するので人が集まる。混み過ぎて平成ではもう行かない予定である。

昔は会社のイベントでも無い限り桜見物など行かなかった。それは花見というより酒好きの人のためのイベントであり目的は何でも良かったような気がする。特に会社が酒を飲んで本音で語ろうなどと勧めるから飲む機会は多かった。若い頃は大酒のみの会費が同じことに少々腹が立っていたが、何より酒を飲んだら本音ではなく大口を叩く輩が多く会社が言う意味が分からなかった。後半の勤務地はその工業団地で敷地内の桜だけでも花見ができるくらいだった。しかし、車通勤の人が多く、夜桜見物のイベントなどもやったことがない。離れた場所で飲む機会を設けると帰りが心配である。最寄り駅から家までは車である。事故を起こすと責任を負う立場になると余計に心配である。酒気帯び運転も厳罰化される中で皆で酒を飲む機会は激減した。

最近やっと花見の季節に思いを馳せるようになった。季節の変わり目のシンボルとして様々なことを思い出す。精々1週間くらいの明確な境界シンボルである。四季のないところでは味わえない。年が行ったということか。しかし、ねがわくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ の境地にはまだまだ。願っても 花の下でも春知らず 変わることなき 俗人暮らし というところか。


中高年の引きこもり

2019-03-30 08:45:13 | 日記

内閣府の調査で中高年の引きこもりが61万3千人も居るそうである。きっかけは退職がもっとも多いとのこと。家から出ないのに加えてコンビにくらいは外出する人を含むとある。ドキッ、コンビニがメインの小生はどうなる。調査対象年齢を見て4064歳とのこと。一安心外れている。引きこもって家でオンラインゲームなどで過ごすとのこと。これもOK有料のゲームはやらない。中高年、特に定年退職者の引きこもりは分からぬでもない。今はもうどのような間柄であれ利害関係者になりたくない。もちちびまる子ちゃんの親友たまちゃんのような相手なら、もしくは自分がたまちゃんのようになれるなら別である。

勤めている間は相手がどう考えているかを考えることが日常である。相手が言った意味とか、自分の言ったことがことがどう伝わるか、これは直接対峙する時に限らず考えざるを得ない。取引の場面などやたら想像しまくる。人間関係で成り立つ社会だから当たり前のことである。現役の頃なら何の不思議も無かったが退職すると随分要らぬことに気を遣っていたのが良くわかる。一人になることが出来る環境になるともう気を遣うことは御免となり引きこもりという一人の社会に没頭する。それでも没頭し切れず市民大学講座などに申し込んだのは勤めていた頃の残り火が全く消えてはいない証拠だろうか。問題なのは引きこもり状態から中高年になってしまった人達だろう。ただ社会は引きこもり状態を作り出す方向に進化(変化)しているように思う。在宅勤務などが典型で直接人と会ったり話したりする必要がなくなる。買い物だってネットで宅配で済む。外に出る必要が全く無くなった社会をどう考えるか、対策が必要なのか、精神分析的にも解明しておくことも必要だろう。

本のタイトルで、きょうが人生最後の日だと思って生きなさい、というのがある。多くの人の最後を看取ったホスピスの方が書かれたようだがちょっと気になる。後悔のない充実した日々を過ごしなさいという意味だろうが、この言葉は心の中で思っても他人からは直接言われたくない言葉No1である。こんなだらしない準引きこもり生活であっても、まだ明日がある明日は死ぬことはないだろうと思うから毎日が生きて行ける。それが今日が最後と思うとストレス以外の何物でもない。両親ともに死の間際、医者に最後通告をうけてからも、なあに明日はもっと良くなると軽い言葉で励まし続けた。明日があると信じて生きている人に言うなら別だがそもそもそういう人に言っても無駄だろう。だらだら暮らしている若者には説教として言うかも知れない。90を超える人に言うなら余計なお節介である。本人が自覚し日々過ごしているのをとやかく言うのは失礼である。美しそうな言葉であるが残酷でもある。自分ならタイトルにはつけない。明日もあると思って生きなさいだろうか。


サイネージ画面

2019-03-29 09:38:57 | 仕事に関すること

業界団体のホームページを覗いて少々呆れた。「2019年以降の買取期間満了周知用サイネージ画面が公開されました(資源エネルギー庁)」とある。2019年から発生するFITによる買取期間終了後の扱いについてお知らせする大事な掲示である。サイネージとは英語でDigital Signageで電子看板の総称であるが果たして一般に通用するかどうかである。2019年に買取が終了するのは一般家庭に設置された住宅用太陽電池である。パソコンをメールや検索に使っている人は多いと思うが、ホームページを覗いて果たしてサイネージ画面に飛びつく人がどれほど居るだろうか。大事なお知らせである。それだけに周知が求められるが、周知すべき対象をどのような人を想定しているのか。団体が付けたタイトルか資源エネルギー庁発かは知らないが適切な表現ではない。

サイネージ画面に入ると懇切丁寧な説明で素人にも分かり易いが残念な見出しタイトルである。自分たちの常識は世間の常識と勘違いすることはよくある。例えば太陽電池の事故で、ホットスポットによる局部加熱が原因で・・・・で始ったらどれ程の人が理解するであろう。誰に伝えたいか、理解されるのはどうすれば良いのかを考えることはシンポジウムなどでも同じことが言える。呟きシロートとならいざ知らずその道のプロであるだけに勿体ない。絢爛豪華な袈裟を着て恭しくお経を唱える僧侶にも似る。一時期般若心経に興味があり解説本を読んだことがあるが初めて内容の素晴らしさに気付いた。キリスト教が分かり易い言葉でお祈りをするのと大違いである。それぞれ理由はあるのだろうが誰に向かって言っているのかは大事である。

NHKのラジオ講座で単純なことを恐ろしく難しい表現で喋っている講師が間間居る。一体この人は日常生活でどんな言葉で喋っているのだろうかと心配になる。哲学書にも似たところがある。こういう表現でしか伝えられないのかと思うと限界を感じてしまう。5月から市民大学講座で様々な分野の先生方の講義を聴くことになる。是非とも質問の時間をたっぷりとって欲しいと思っている。第1回の講師は日本原子力学会のフェローの方で「オイルピークと次世代エネルギー」というタイトルである。質問するぞ。いや目立たないように大人しくしていよう。

 


もう直ぐ選挙

2019-03-28 08:20:30 | 社会観察

4月に入ると県議選、市長、市議選と続く。夏には参院選もある。地方議選では女性候補者が目立つ。公示前だが生涯ベストショットの顔が野立て看板に並ぶ。殆どの候補者が子育て支援と社会福祉の充実を約束に掲げている。写真の笑顔さえ似ており個々の特徴など殆ど無い。地方選より参院選の方が身近に映るのは何故か。地方議員は選挙期間中だけ頑張っていることをアッピールするが普段の活動はほぼ見えない。会派を作って広報誌を発行する人達はまだましな方である。市会議員を初めて身近に感じたのは社会に出た直後である。同じ職場に共産党員の人が居て組合活動に熱心だった。人当りは良く、別に過激なことを言う訳でもなく勿論仕事は人一倍熱心だった。それでも会社側は強持てで扱いに苦労していた。その人が市議選に出て当選してしまった。今度は腫物に触るようになるべく距離を置いて接しているのが傍目でも分かった。その人は結局退職して市議に専念することになったが仕事の両立は難しかったのだろう。学生時代は対立構造で物事を見る習慣があり普段の生活の中に政治が絡むことがあまり理解出来なかった。

今夏は参議院選挙である。任期は6年で半数が対象となる。衆院は解散があるが参院はない。ある意味安定した身分と職場である。またぞろタレントや有名人の名前が挙がりだしたがタレント議員のスキャンダルなど人気投票で選ばれた人を見ると何でこいつがと思う事もしばしばである。6年は長すぎる感じがする。衆参両方に言えることは比例であれ公認であれ政党が推薦した人が何かをしでかした、あるいはなーんにもしない人については、出処進退はご本人が決めることなどと逃げず、党が真っ先に処分をすべきである。こいつが国会議員かと思う人がここ数年何人も居た。投票した人は何を見て期待していたのか、党の推薦は何を元にしたのか不思議でしょうがない。議員になれば偉くなったと思う軽佻浮薄の奴ばかりである。ある分野で成功したとか、有名になったとか、ほんの少しの政治的発言が過度に期待されたとか、深い理由があってのことではないだろう。極々少数のタレント議員は政治プロ顔負けの人も居て国会での質問も鋭い。立候補にも共通一次試験のような政治一般常識のテストがあっても良いと思う。

議決の効力からすれば法案、予算、条約、総理指名で衆議院に優先権があるから参院は安定した身分の割には力は無い。参議院があるからこういうことができると言った場面は中々思いあたらない。本当に参院は要るのかとさえ思ってしまう。特に国会の質疑を見ていると解散がない参院では選挙区のことも暫く忘れて様々なことを調べられる時間はあると思うが独自の調査に基づく質問など殆ど無い。衆院の繰り返し質問ばかりである。安定した身分の代わりに一体何をしてくれる。


相変わらず異動の記事

2019-03-27 07:10:40 | 社会観察

この季節になると教職員と警察官の異動が必ず地方版か特集別紙に載る。我が地方では教職員の異動が紙面8面びっしり載った。恐らく末端まで異動対象者全員であろう。不思議に思うのは掲載費用は誰が出して誰がこれを読むのだろう。以前電車の中で、××先生が何処に移ったとか○○先生が今度校長になったとか明らかに先生とおぼしき人が雑談をしていた。同僚の行先を気にしたり、校長になって羨ましいわねといった同好会のための記事だろうか。中央省庁の幹部の異動は新聞に載るがここまで末端まで載せる理由が殆ど分からない。それとも一般の読者が名前を見つけて、あの出来の悪い先生がやっと異動したと喜ぶことを見越してか。はたまた餞別ねだりのアッピールか。警察官もほぼ同じである。紙の無駄、配達員も要らぬ重量オーバー。

購読紙が値上げされたがもしスーパーのチラシ同様職員が費用負担しているなら別である。寧ろ新聞社が儲けて値下げしてくれるなら何の文句もない。職員が仕事に特別意識を持っているとしたら大間違いである。サラリーマンと何ら変わらない。人生で何人もの先生に出会ったが素晴らしいと思った先生は10%、下らないが30%、記憶に残らないが60%である。学校別不祥事件数の記事なら親には参考になるだろうが。警察官は別の意味で異動を載せない方が良い。もしかしたらあの野郎××へ異動したか覚えてやがれと思う輩が居るかも知れない。餞別を貰う機会も少ないだろうし。