太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

こやしをゲイに

2016-02-29 17:34:40 | 社会観察

客引きに釣られてバーにはいったらゲイバーだった。怒って出ようとしたところ逆に歩道に投げ出された。運悪く歩道に手を付いたら犬の糞。咄嗟に掴んで投げ返したらゲイに当たってしまった。「こやし(糞)をゲイ(芸)に」、なんて駄洒落たらどう。最近育休の議員の立場だったら角さんならどう言うだろう、話題の関西の落語家が円生だったらどう言っただろうかとか結構妄想を楽しませてくれる。

関西育ちだから落語家の出だしの頃をよく見ている。ある種のタレントではあるがとても落語界の大物になるという感じは無かった。寧ろ平凡で小心で真面目という印象。落語家と言えば常人と違う破天荒なイメージを抱くが真逆の感じがしていた。かと言って米朝程の博学(ラジオだったか米朝と小松左京の対談形式の番組は面白かった)でもなく最近クイズ番組などに引っ張り出されるのは気の毒の限り。落語界は良い、永く勤めればそれだけ大衆に支持されている証であり大抵、師匠とか大御所と呼ばれる。

それでもタレント、芸人さんは駆け出しの頃には想像もつかない才能を発揮する人も居る。たけしやダウンタウンの松本などが典型だろう。

40過ぎてからの経験ではあるが、とてつも無く才気溢れた上司に仕えたことがある。当時は60歳近かったと思うが、私を机に読んで、電磁波の問題だったと思うがメモ用紙に偏微分方程式をスラスラ書いてこれで良かったかなあと聞く。自慢じゃ無いがこちとら学生時代に能細胞の奥深くに封印した式を60になっても滔々と説明し始める上司。おまけにドイツ語と英語が堪能で外人であろうと、官僚であろうと容赦なく理屈で凹ませる、寄らば切るぞの才人だった。その才気走った上司が、私を連れて出張にでたとき、難問、奇問を吹っかけられるかと構えていたら、「人生で何が一番楽しいか、それは技術的課題を克服したり、立派な地位を得ることではない。若い自分の部下が日々成長する姿を見るほど楽しいことはない。君もいずれその経験をするだろう。」と言われた。その上司は間もなく事情があって自ら辞職の道を選んだ。

結構多くの人と巡り会ってきたが、その時々の経験の本当の意味や有難さが分かるのは残念ながら歳が行ってからである。多分親子関係でもそうだろう。今なら素直に聞いて礼も言えるのに。


太陽電池盗難の歴史

2016-02-28 23:36:21 | 仕事に関すること

今時日本でやる?とも思うし、銅の国際相場が急騰しているとも聞きかないのに報道によるとメガソーラーのケーブル盗難が結構起こっているらしい。立地場所が人里離れていること、夜間は発電していないので高圧、高電流の危険も無いため盗みやすいのかも知れないがケーブルを切ったり、重いものを運ぶ手間を考えれば割の良い盗みとも思えない。昼間の発電している時は安全も兼ねて遠隔監視をしている所が多いが夜間はそれほど注意が払われていないのかも知れない。最近では工期のかかるメガソーラーでは工事期間中に資機材の盗難を防ぐための防犯カメラのシステム(商品化されている)を設置しているところもあるのだが。

太陽電池の盗難事件は意外と古い。30年くらい前、今ほど太陽電池が世に知られていないとき、南アフリカの警察関係の設備(赤色灯や無線機あるいは僻地ポリボックスの証明などの電源用)に太陽電池を相当出荷したが、パネルが盗まれ、ブラックマーケットで売られる事態が相次いだ。勿論盗人は太陽電池のことを良く知ってのことである。多分日本だったら、これ何?と思われた時代である。現地からはパネルのラミネート(ガラスの内側の透明樹脂の中)に警察の物であるというラベルを挟んでくれないかという提案があった。マーケットで直ぐに分かるようにとのことである。工程を変えることはコストアップになり、特定の客先向けは在庫管理も難しく、挟みこむラベルが剥離とかしないかとか色々問題があり実現しなかったが。

20年くらい前に、パキスタンに設置した当時としては大型のシステムが設置後10年経過したのでフォローアップに行った。2か所の村落電化の内一つはケーブルが殆ど切られて無くなっていた。不思議なのは何に使うのか端子BOXのプラスチックの蓋が無くなっていたりした。パネルは石か何かでガラスが割られているものもああったが外して盗んだ跡は無い。多分自分達で(価値が)分かる物だけを盗んだのであろう(念のためもう一方の村は監視員が常駐しており、10年経っても見事にシステムを使いこなしていた)。

同じ頃だろうか日本ではデリニエーター(バリアフラッシャーとも言い道路沿いに設置され自発光でピカピカ光るやつ)が盗まれる事件が相次ぎ保険会社が根を上げたことがある。山間部の曲がりくねった道沿いとかへの設置が多く、車で通りかかって興味本位で盗んだのであろう。

報道ではフェンスの網を切りとか手口を書いてあったが、実は太陽電池がフェンスを守っていた時期もあった。やはり30年くらい前だったが、ある計測器メーカーに5Wとかの小さなパネルを沢山出荷した。パネルだけの注文で何に使われるのか全く分からなかったが、聞く所では原子力発電所のフェンスにパネルと小さな蓄電池を組み合わせて赤外線センサーによる防犯(侵入)システムの電源としているとのこと。赤外線のために電源線を引っ張る必要もないし、侵入者も切断箇所が分からないとのこと。これは同時期高圧鉄塔の周りのセンサー電源としても使われた。基本は蓄電池を併用した独立型システムだが防犯にも大いに役だった時代がある。

流石に日本ではパネルをブラックマーケットに流すことはできないが、マンホールの蓋やハウスのイチゴ、納屋の米俵まで盗まれることを思うと安心もしていられない。効果の程は分からないが、我が家でもガレージから愛車が盗まれたのを機に人センサーのついた照明器を設置した。こちらは乾電池で結構長持ちするのだが、メガソーラーを売りながら欲どおしいとは思うが小型のパネルとセットになった防犯センサーも一緒に買って貰えたらメーカーも嬉しい。実は製品の性質上、あまり言えないが実に多くの小型パネルが身近に設置されている。残念なことは殆どが海外パネルだと思う(日本は大型パネルの量産に特化)。

ひとつだけ注意。私の居たところでは敷地周囲にやはり赤外線を張り巡らせ電源にパネルを使っていたが(30年も作動していた)時々大型の鳥(カラスだろう)が赤外線を横切り(遮断)その都度セコムが飛んでくるという始末であった。用心に越したことはないが、メガソーラーでは無駄足にならないように防犯システムを組まないとシステムコストに警備代が入ってしまう。


偶発債務

2016-02-27 10:23:34 | 仕事に関すること

ブログを書くときは一気に書きっぱなし、推敲もせず感性のまま書きなぐるのでミスも多い。古いものを読み返すことはないが前回分は最初に出てくるので一応読む。破談を破断としたり変換間違いは本来の原稿書きではありえないことで恥ずかしい限りである。今朝もシャープの偶発債務が契約に及ぼす影響を懸念するニュースや記事が溢れている。言葉としては初耳だったが、勤めた会社で同じようなことがあった。米国の会社を買収したとき、公害裁判の補償問題を抱えていたようで、結果は買収後に何百億円という賠償金を支払うハメになった。買収交渉の場では当然分かっていたものだと思うが、結審までは行っておらず、まさに偶発債務の類だったのだろう。賠償金の額は税引き前利益に大きく影響するものであったが、会社の説明ではこれに備えて積み立て金を用意してあった(多分損金計上済み)から経営に影響は無いという説明であった。

今回シャープの偶発債務は素人から見ても如何にもタイミングが悪いように思う。本契約時の条件交渉で足元を見られるのは明らかで、一方からは交渉の具とすることは当たり前のことだろう。真実はもっと深い所にある(何度も開示の交渉はしたが何かの都合で受け取られなかったとか、会計基準に沿った公表はしていたため特に大きな問題とは考えなかったとか)のかも知れないが、まさに行くも地獄戻るも地獄状態になったのではないだろうか。

ここからは下衆の勘繰りだが、行かざるを得ないだろう。ただ、買収の交渉では圧倒的に弱い立場となり場合によっては公開できない条件を呑まされるるかもしれない。我慢ならず機構に切り替えようとしても破談からの出戻りは機構側にも面子があって容易ではない。いよいよ最後は自ら解体して事業毎の買い手を探す。何年か後に小説にもなりそうなストーリーだが。

気の毒なのは未だに忠誠を誓い会社のために働いている人達である。知り合いにも本当にこの厳しい条件下で粉骨砕身頑張っている者が居る。会社がなくなれば社員もなくなると言われるかもしれないが、社員が居なくなったら当然会社も存在しない。守ろうとする技術は社員が持っていることを忘れてはならない。経営者や経営陣の力量はこういうときに表れる。順風満帆のときは社員が神輿を担いでいてくれるから誰でもと言ったら語弊はあるがあなたでも経営者になれる。

人生の初めに少し在籍しただけなのに何よりも気掛かりな行く末である。旧経営陣はどんな気持ちで推移を見守っているのだろうか。嫌々、サラリーマンの唯一最大の特典は辞めてまでも追いかけられないところである。昨日まで日産の車を売っていた販売員が今日はトヨタの車を売っていてもお客は日産が一番良いと言ったではないかと追及はしてこない。(最近は経営責任で賠償を求められたり検察審査会で起訴されたり完全なトンづらも難しくなったようだが)

昔多くの途上国に出掛けたが、粗末な空港でもSANYOやSHARPのロゴは良く見かけた。ああこれほどのブランド(知名度)があれば商売も楽なのにとうらやましく思ったことが何度もある。政治の世界でよく、説明責任という言葉を使うが経営責任についても追及の手を緩めるべきではない。何故なら皆さん方は一介のサラリーマンではない。託された、任されたのだからにはその覚悟が必要。ビビりながら10%程度の向上を確実に達成する方が成熟社会に見合っている。昔誰かが、一番社長になりたく無い奴を社長にすべきと言ったことは一理ある。一介のサラリーマンは駄目だったら何時でも辞めてやるという気概で十分。

 


シャープのこと

2016-02-26 10:17:30 | 仕事に関すること

鴻海によるシャープ買収について、2月6日「アモルファス太陽電池の魔力と魅力」2月7日「“太陽光パネル事業を除いた”後は何処へ行く!」のブログに関連事項を記したが、朝刊トップ記事となり再び触れる。台湾については十数年前、アモルファス太陽電池のブームが起こり(半導体装置メーカーの活躍、暗躍もあったが)多くのアモルファス太陽電池メーカーがベンチャーとして誕生した。当時、関連のシンポジウムに参加したが当方の発表は結晶系であり、地味感は拭えず会場はアモルファスで大いに盛り上がった。ベンチャーの経営者は時代の寵児であった。しかし、アモルファス太陽電池にはStabler-Wronski効果と言ってダンぐリングボンド(未結合手)が増えて電子のライフタイムを短くして初期劣化(大きいものでは数年で数十パーセント劣化)が自然条件下で起こることが良く知られていた。常温や普通の自然条件下で物性が変化することは驚きであるが、各メーカーはこの劣化を抑える努力をしたが、軽減はできても根本的には解決しなかった(今でもそうだと思うが)。変換効率も思ったようには上げられず、やがて多くのベンチャーは破綻していった。まず、鴻海はこれらの事実を良く知っているということは頭に入れた上で、

アモルファス太陽電池の製造プロセス、構成材料は液晶の製造プロセス、材料と共通部分が多く、生産と言う点では一石二鳥が狙えることが一つ。

ターンキーベースの装置産業であり人件費は抑えられ、構成材料費が安いことから設備の償却さえ終われば原価力はある。しかも巨大な設備を導入し大量生産すれば一気に市場を席巻できる可能性がある。

問題はここから。まず一石二鳥はどちらの市場も健全に伸びていかないと共通部材調達や開発方向が互いに切り離せない不可分の依存関係にあり、共倒れのリスクがある。ターンキーによる製造プロセスは何処でも装置さえ入れれば作れることからライバルが現れるのは必然。それを凌ぐためには圧倒的巨大な設備を必要とする。思い起こせば30年くらい前、ほくさんという会社がベンチャーでバスオールを作り成功した勢いで結晶太陽電池の自動化ラインを導入した。当時は凄いと感心もしたが、一方で太陽電池の製造プロセスは工程の入れ替えや製造工程の諸条件を色々変えながら作っていた時代、一体工程の順序を変えたり装置の制御範囲を超えた条件が見つかった場合、この全自動の工程はどう対応するのだろうとも不思議に思った。

巨大な装置であればあるほど装置の入れ替えや条件の変更は難しい。堺の太陽電池工場の原価償却はほぼ終わっているとは思うが(装置代の借金はあるかも知れないが)最近では中国、台湾から結晶太陽電池をOEM供給して貰っていたくらいだから、装置を動かす魅力は無いのかも知れない(キャッシュフローなどの要因も否定しないが)。

何故、歴史的にもこのような難しいアモルファスに乗り出したのか。想像ではあるが、経営トップに事実が本当に伝わっていたのかという疑問である。サラリーマン社会で上層部に辛言直言は相当難しい。否定的、消極的ととられる可能性もあり聞く方も、つい甘言に耳を傾ける。勢い行けいけどんどんのYesマンに包囲され(自ら招いたとも言えるが)リスクを含めた客観性は損なわれる。最近のシャープにもやたら上職に気を使う人(係長は課長に課長は部長にと)を見掛けるようになったのは思い過ごしかも知れないし、それ自体は規律と言う点で良いことだとは思うのだが・・・。

これはどこの会社にもあることで、残された関西の某大手メーカーにも感じるが、社長、会長の動く所、露払いの如く重役が動き回り、そこまで気にする?と思うほどの気遣いに呆れたことがある。トップにその気は無くともおぞましい取り巻きがその雰囲気を作る会社はもう駄目である。私が長く務めた会社では日本人なら誰でも知っているカリスマ経営者が居た(今も存命だが)。年に何度かのイベントでテーブルに分かれて食事をすることがあった。各テーブルは知らない者同士が集まるのだが飲み食いが主でなく殆どが仕事に関することで盛り上がる。カリスマ経営者は各テーブルを回るが、時としてテーブルの輪の外で議論を聞いていることがある。こちらはカリスマに尻を向けたまま喋っていても注意はされない。気付いて慌てて場所を開けると何事も無かったように議論に入って来る。チリひとつ無いように露払いが気を使う会社では経営者にチリは見えないだろう。

アモルファスか化合物か単結晶か多結晶か、その選択は技術の優劣ではなくManagement(経営判断)の範疇にある。出てくるものは同じ電気であり、消費者は電気を求めているだけだ。経営の問題であっても、一括りに太陽電池は・・・と評価されることだけは避けたいところでもある。

「偶発債務3500億」?今頃?お見合いで結婚相手を決めた後で都合の悪い真実を伝えたら破断となってもう一方のお見合い相手にすり寄ろうと思えば相当条件を下げなければならない。私の太陽電池はシャープで生まれてカリスマの下で育った。あの太陽電池で有名なシャープで、と言われるのはプチ自慢経歴だったのに。もう本当に。

 

 

 


今日は太陽を離れて

2016-02-25 09:30:52 | 日記

朝起きると粗末な庭の粗末な植木に雪が少し積もっている。それでも花梅が何輪か咲き見知らぬ鳥が密をついばみに来た。ブログを開くと100人の方が閲覧している。そのうち何人かは私の素性をよくご存じだと思うが、大半は知らない人だと思う。太陽光発電というタイトルが入ると読んでいるように思う。昨年5月にブログを書き始めた時は、自身のボケ防止に書くことが役立つと信じていた。この意味では自分のためにと言うのがスタートである。

最近読まれた方は如何にも専門家と思われるかも知れないが初めの頃はフィクションにも勝る途上国での経験や自身に起こったありえない事件など経験に基づく奇談が多く、それなりに面白いものだったと思う。しかし、最近は政治ネタを含めて目や耳から入ってきた情報に反応して書いている。最近では行動範囲も狭まり、日常の身を持って体験することが少なくなり仕方がないかとも思うが、独断偏見や偏執、罵詈雑言に溢れておりあまり品の良い書きものになっていないことを少々気にしている。

太陽光発電に関わる仕事で40数年過ごしてきたが、もし他の仕事をするならと聞かれれば劇作家や脚本家、あるいはコマーシャルクリエーター、皮肉とブラックユーモアに溢れたコメンテーター、もう少し勉強をして博学者となってコラムや随筆家を目指すなどであろう。ただ、比較選択の無い人生であったために太陽光発電しか知らない。しかし後悔があるかと問われればNOである。面白い時代を過ごし、面白い技術にたずさわり、多くの内外の人と知り合うことができたことは恵まれていたのだろう。もう1回人生があるなら他の仕事にチャレンジするかも知れないが、残りの人生も多分この分野から抜け出ることはない。

最初の頃は空に字を書くように誰にも気兼ねなく自身の記録にと思っていたが、流石にこの狭い分野で100人も読んでいるとなると放談では済まないような気もする。一方、少しは誰かの何かの役に立つものを、と勢い読み手を意識するようになると気負いや修飾、無理が生じて自分では無くなる恐れもある。読んでいる人には申し訳ないが、読者が1000人を超えたら考えることとして、暫くは暇なオジさんの たわごと、くりごと、毒舌に付き合っていただき、1000人を超えたらディベートに応じましょう。