パソコンを買い替えた機にWindows7から10に変えた。ソフトもOfffice2016に変わった。3か月くらい経つが未だに元通りには使えない。大概の機能は以前と同じものが入っているが、名称が変わったり、収納場所が変わってその入り口が分からなかったり大変である。特に確か有る筈などと以前と同じものを探そうとする場合かえって時間が掛かる。これが初めてと思って操作慣れする方が早いかも知れない。勤めていた頃はちょっと分からないことがあると知っていそうな若い者を呼んで教えて貰った。IT関連の知識では若い人に絶対に勝てない。この若者を仕事上のことで叱った後など気まずいこともあったが背に腹は代えられずシラッとして聞いていたが、本人は、やっぱりおれが居なきゃ困るだろうと思ったか、叱られたけど頼られていると気を取り直したかはよく分からない。
当たり前のことだが社会の中で一人で出来ることは限られている。周りの助けを借りて生きているのだがこれを自分の力だと勘違いしてしまうことはままある。芸能人や政治家では2世の存在か。ひどいのは親や連合いが金持ちや有名人だったら自分もと思う連中である。広くは知識や経験についてもしかりである。学校や本で学んだり、歴史から教えられることが殆どで一人で捻りだしたことなど殆どない。もし赤ん坊がタイムトリップしてネアンデルタール人やデニソワ人の社会に行ったら成長の過程で果たして何か明確な差が生まれるだろうか。否である。大学生が行ったら少しは違って新しい石器を作り出すかも知れない。もっと大人なら考え方とか難しい表現を教えるかも知れない。今ならちょっと気の利いた若い人は秋葉原で部品を買い集めてパソコンを組み立てることはできるだろうが部品を作り出すことまでは無理である。やはり他人の知恵や成果を拝借する必要がある。先進国の人が頭が良いなどということは絶対ない。先人の実績の上で成り立っているだけである。
周りに人が居なくなった今、聞く相手は検索である。驚くほど、よくこんなものまでという情報が載っている。パソコンの使い方もほとんど載っている。残念なのは検索と会話ができないことである。説明を読んでもこちらが分からないことは再び検索を掛ける。結果検索の何乗にもなって益々わからなくなることはままある。音声入力ができるようになった検索は次は会話機能であろう+。きっとAIの技術でできるようになるだろう。再質問を繰り返して行くと、これだけ言っているのにまだ分からないのか馬鹿者と怒り出してしまう。何をAIのくせに生意気にとこっちらも怒ってしまう。究極の喧嘩ができるAIである。国会議員の半数はこのAIにとって代わる。野党のAIがあまりに枝葉末節の下らない質問を繰り返すので与党のAIがブチ切れてオーバーヒートしてしまう。ところがサイバーテロで冷却機能が麻痺して大混乱に。ニュースキャスターがAI散々ですね、というとコメンテーターが愛燦燦の駄洒落ですかと戒める。残念ながらその頃私はもう国会中継は視ていない。