B級読書で最後の「解説」まで読んだ。解説は著作も多数あり受賞歴も輝かしい有名な作家が書いている。しかしたった1文で幻滅した。「初めて読んだ時、私はこの本を面白いエスピオナージュものとして読んだ。」である。エスピオナージュ、検索で見るとフランス語でスパイ行為とのこと。つまり、最初私はこの本をスパイ小説だと思って読んだということらしい。決して哲学書や宗教書のあとがき解説ではない。一般の読者が読むセミドキュメンタリー風小説のあとがき解説である。当然解説も、小難しい小説家同士がボキャブラリーを競って対談しているわけでもない。その辺、この辺のオッサン、おばさんが読む本の一部である。物を書く時、例えそれが本人が日常使っている言葉であっても、誰がこれを読むかを想像しながら書くべきである。不特定多数の読者が読むものとして書くのが本当の物書きと思う。孤老の教養のなさはさておいてスパイ小説と言ってくれた方が有難い。私はこんな言葉も知っているという上から目線が気になってしまう。これ以外に、「ビルドゥングスロマン」がある。ドイツ語らしい。ウィキでは教養小説、自己形成小説、成長小説などと訳されている。この解説を書いた女流作家は頭の中はWikipediaが詰まっているのか。小説本体より短い解説の方が気になってしまった。難しい言葉を使わなければそれらしくないと思っているのか、馬鹿にされると思うのか、賞賛されたいと思うのか、TVのコメンテーターにもよくある。本当に美しい言葉とか文章は過不足の一切無いものである。説明も要らない。それしか表現のしようがないというものである。ウィキで調べないと分からないようではそれは誰かに向かっているのではなく独り言に近い。一生に一度くらいはそれに近い美しいブログを書いてみたい。
明日はトランプ大統領が国賓として来日するそうだ。日頃の鬱憤はさておいてお客である。歓迎すべきである。その上で日本人としてどうしても許容し難い言動があれば躊躇なく、忖度なく抗議すべきである。維新の党には感心している。暴言の若手議員が除名されたが、着目すべきは若手が無茶苦茶とはいえ上層部に逆らっている。自民や公明、その他野党でも滅多に見られない。言論の自由は維新内にあり。