太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

光陰矢の如し

2019-11-30 09:44:34 | 日記

年が行くと1年が経つのは本当に早い。このまま早くなって行くと何れ去年、今年、来年が昨日今日明日と区別つかなくなるのでは。今一番時間が経つのを遅いと感じるのはラーメンが出来上がるまでの3分間だろう。勤めていた頃運動がてらに丸の内仲通りを歩いて通ることがあった。日常生活と無縁のオシャレな店が並び、客など殆ど入っていないのにテナント料がよく払えるなと感心したり。この時期では街路樹にイルミネーションが飾られる。時々写真に収める人をみたりしたが樹にとっては電線で体中を縛られ、LEDとは云え何時光合成をしたら良いか分からないのではなどと心配していた。

やはり12月と言えばクリスマスだろう。元々クリスマスを祝う習慣などなく特段の思い出はないが、子供の頃近所の教会へ行くとお菓子が貰えるという噂を聞いたがその日だけ行くには子供心にも気が引けた。そもそもサンタクロースが出て来る絵本など見たことがなかった。大人になってからはクリスマスの喧噪、大晦日にはお寺に、正月は神社にと1週間くらいの間に宗旨替えするのも何だか変な気がしていた。隣家との狭い隙間に南天が赤い実をつけている。寒風が通り過ぎる度に枝が激しく揺れるのもこの時期だ。うんと小さいころは理由は知らないが何処の家でも便所の近くに南天が植わって赤い実をつけていた記憶がある。偶然か南天の向こうは隣家のトイレあたりである。アフガン人が住んでいるからこれも意味のないことだが。

これから市民大学の最後の講義に出掛ける。その後の修了式では謝辞を述べ、続けて同じ班の人達と最後の懇親会である。年末は昔の同僚と忘年会もある。思い出すべきことはあっても忘れるべきことなど何も無いこの頃だが結構忙しい。カレンダーの予定はそれが些事でも大事でも確実に過ぎて行く。幸も不幸も決してそこで留まることなど無い。そしてその後には何時も空白のカレンダーが待っている。


推敲を重ねるごとに

2019-11-29 08:06:32 | 日記

明日が市民大学の修了式で受講生代表で謝辞を述べることになった。ブログと違いかなり慎重に原稿を書かなければならない。実はある時期誰もが知っている有名な方のスピーチライターをやった時期がある。スピーチライターの難しさは本人に成り切らないと思いや考え方、表現の仕方が書けないところにある。ところがあまりに本人に成りきると烏滸がましい部分が出て来る。スピーチ時間に対して原稿何枚必要かは凡そ指定される。ある程度こうだろうと書き綴ると想定時間の3倍くらいの量になってしまう。長い文を縮める方が足りない分を加えていくより遥かに易しい。ここから秘書などの意見を聴きながら推敲を重ねる。5、6回は書き直しを行う。不思議なことに推敲を重ねるごとに完成したと思われる文章が洗練されていく。ここでご本人に進講となるが、殆どは微修正で済む。今回謝辞はそれに比べると自分の思いを書けばよいので楽ではあるが意外と自分の考えは冷静に書けない。つい謝辞らしからぬ感情が先行したりする。倍くらいの量を書いて素読して若干の修正を加える。事務局に送付するとそれでも何か所かは修文した方がとのコメントがある。意志を尊重しているのだろう抑制を利かせた意見である。確かに尤もと思いお礼とともに訂正する。1回の遣り取りで終わったが聴く方は無難な謝辞だと思うだろう。場面を想像するとある程度定型になるのはやむを得ない。原稿は多くの意見を聞き推敲を重ねると、最後は〆切による妥協だが必ず良くなって行く。

もし人生に推敲を重ねることができたなら何処を修正するだろう。繰り返し人生を送れるならば何回目かは相当素晴らしいものになるだろう。逆に言えば訂正箇所だらけの人生を送ってきたのかも知れない。一番欠落していたのは努力だろう。せめてまあまあだったと思えるようにならなくては。


懐かしいねロディ

2019-11-28 08:50:28 | 日記

今朝も雨、本当に秋の長雨。寒くてつい炬燵で古い映画放映を見る。アメリカ映画が多いがトンデモナイ危機の時主人公が妻や子供たちと愛してるよなどと言ったり、必ずお前たちを守るなどのおきまりのセリフも愛嬌だ。全人類を、地球を救うために出発するのに家族と涙の別れをするのはそんな事言う前にさっさと行けと言いたくなる。絶対に相手をボコボコにしてしまうスティーブンセガールの無敵ぶりは水戸黄門的安定感がある。ディカプリオの若い時が映っているの見つけたりするとポットでの俳優さんではないことに感心したりもする。単純にB級を見分けるのはいきなり最初からBGMが続き、セリフが殆ど聞こえない映画である。緊張感を盛り上げようとするのが見え見えで下手すると殆ど全編BGMを流す。

ストーリーに工夫が凝らされているのはクリントイーストウッドの監督作品だ。昔TVで放映され人気があったローハイドのロディだ。当然まだ若く主役ではなく隊長のフェーバーさんを補佐する準主役だった。決して男前という訳ではなくノッポの青二才というイメージだった。料理人のウィッシュボーンや斥候のピートの方が如何にも西部劇には馴染んでいた。そのロディが後のマカロニウェスタンでスターとなり、その後も監督として数々の名作を撮っているのはローハイドの頃からは想像できない。牛を追うカウボーイの物語だったが牛に金棒を串刺して丸焼きにしているBBQのシーンなどはアメリカのスケールの違いを見せつけられた。こちらの偶に食べる牛肉はグラム単位だった。松本零士作「男おいどん」の中で主人公、大山昇太が夢で「一度でいいから縦だか横だか分からないステーキを食べたい」と言う。つまりレンガのような厚いステーキだが時代は1970年代である。ローハイドはそれより100年前、1870年代だからいかにアメリカが凄いかが分る。たかが150年から200年の間に今のアメリカの大発展がある。更地に街を作っていくのはヨーロッパの古い街並みを壊してつくるよりずっと早い。あの西部劇撮影で見た風景は殆ど今でも開拓されずに残っていると思うとまだまだ開拓の余地はある。最初に行った外国はアメリカでサラダを頼むと飼い葉桶のようなものに入ってくるし、肉は16文キック、ジャイアント馬場の片足くらいある。コーラなど馬でも飲み干せないくらいのサイズだ。ボストンだったか有名なクラブを頼むとオリーブオイルのようなものに浸して食べる。酢醤油などないと言って不思議がられる。こちらも若かったが何となく工夫すれば成功を収められる国だという気がした。全てが周りにがんじがらめにされているような日本に気付き始めた頃だ。最近の日本のニュース桜を見る会など、これアメリカでもニュースになるだろうかと想像すると結構面白い。いやアメリカの片田舎の名も知らぬ街ならあるかも知れない。裏返せばそれだけ平和と言えなくもない。庭の山茶花が紅い花をつけだした。小さな鳥、メジロだろうか蜜に飛んできた。つげ義春の「紅い花」は椿だったのか山茶花だったのか。


フレイル

2019-11-27 08:55:58 | 社会観察

最近フレイル(frailty)という言葉がメディアに目立つようになったきた。5年くらい前に日本老年医学会が提唱したようだが加齢による全身の衰えが進むとやがて介護が必要になる。全身は弱っているが介護が必要なほどではない、いわば介護の前段階を指すとのこと。朝刊で1面を割いて説明があった。老齢になると筋肉の質も量低下し筋力が衰える。結果、外出しなくなる→エネルギーの消費量が減る→食欲が落ちる→筋肉量・体重の現象→筋肉や臓器の基礎代謝が低下する→外出しなくなる、というフレイルサイクルに陥ってしまうとのこと。いちいち自分に当て嵌まってしまう。ただトリガーは定年退職により外出の機会が激減したことである。

最近TVの地上波もBSもやたら膝、腰、肩の痛みやら関節痛など自分にピッタリの症状に効くサプリの宣伝がやたら多い。身長も体重も頭の具合もこれでもかというくらい標準的だったことを思うと当然加齢による症状もマジョリティの一員であることは頷ける。若いころ自分だけはそうならないという奇跡を信じていたが抗うことはできないようだ。この人何歳に見えます?というアンチエイジングのCMは悍ましいが、少なくとも年をとって肉体的、精神的、金銭的に人に迷惑だけはかけたくないというのが最大の関心事である。

それなら新聞で解説しているように予防法や改善法を実践すればと思うかも知れない。食事、運動、地域活動が大事とのこと。ただ薬のように効果がすぐ現れるものではないのでつい明日からでよいかと先延ばしになる。今日も小雨である。更新免許証を受け取りに警察署に行くつもりだ。歩いて行こう。ゴールド免許である。この免許がきれるまであと5年、何とかフレイルサイクルの中に留まり介護に至らないようだけはしなくてはならない。昨日は警察の広報車が同い年の人が行方不明になっていると流していた。夕方には見つかったようである。他人事はどんどんこちらに迫ってきていることだけは確かである。自分だけはという根拠の無い自信は捨てなければならない。


松茸の香り

2019-11-26 08:21:52 | 思い出話

今朝は今秋一番の冷え込みと言われていたが部屋の温度は14℃もある。昨日の余熱だろう。夏暑い部屋もこういう場合ありがたい。昨日はスーパーに寄ってみたら松茸が出ている。当然凄い値段で買う訳もないが、松茸の味や香りは大人になって知るものである。子供の頃美味しいと思って食べた記憶などない。思い出すのは子供の頃の松茸狩りである。

小学生になっていたかどうかの頃である。秋には近くの山に松茸とりに良く出掛けた。特に雨上がりの時は狙い目である。ガキ大将を先頭に辿るコースは大体決まっていた。低い山が連なっており、林のようなものだった。多分山に入っても叱られないところを巡っていたであろう。ガキ大将は土を一握り匂いを嗅いでこの辺にあるぞと声を掛ける。一番小さかった僕たちはマネをしてうん確かに匂うと言う。辺りの柔らかい土を手で掘り起こすが簡単には見つからない。精々1cmくらいかもっと小さいまだ球状の松茸の子供が見つかるくらいである。年長者はそれでも3cmくらいのものを何本か見つける。松茸を食べたことは無かったので何故何時も秋に採りに行くのか不思議だった。きっと大人が喜ぶのだろうくらいに思っていた。こちらはガキ大将に連なって野山を駆け巡るだけでワクワクした。偶に野イチゴやアケビ名も知らぬ木の実でこれは食べられると教えて貰った。松の木の高い所に寄生するヤドリギの実は噛むとチューインガムのように粘った。カラスの実やヘビイチゴは食べてはダメと教えられていた。

ある日目の前に傘の開いた10cmを超えるものがあった。これまで見たことのない大きさである。松茸の傘が壊れないように大事に持って母親に見せたら何と言うだろうかとワクワクして家路についた。もうすぐ家に着くころガキ大将の弟が、お前それ持って帰っても仕方がないだろう。シゲルが100円で買うと言っている。シゲルというのは二つ年上の村では金持ちの息子である。一人息子で甘やかされ金遣いも荒かった。普段小遣いに5円か10円しかもらっていないこちらとは大違いである。その日はいつも可愛がってくれるガキ大将ではなくその弟がリーダーだった。ガキ大将の弟は抜け目がなくこのボンに取り入っていた。シゲルに売ってやらなかったらもうお前は連れて来ないと言う。初めて採った大きな松茸を母親に見せたらどんなにびっくりするだろうと思う反面ここで断っては仲間外れにされるとい怖さがあった。迷った末に、いいよお金なんか要らんと渡してしまった。

家に帰り母親に松茸を見つけたがシゲルにやったと言ったら、まさかお前お金を貰ったんじゃないだろうねと泣き声になった。そこへガキ大将がやってきて、今日大きな松茸を見つけたと聞いたが見せてくれとやってきた。母親は泣き声を堪えてこの子はシゲルにやったというとる。そのころ母親はシゲルの親が経営する工場で働いていた。ガキ大将は言葉もなく帰って行った。母親は、向こうが分限者(金持ちのことをこう呼んでいた)だからと言っていう事を聞かなくても困ることなんか何もないと言ってまた泣いた。その夜遅くシゲルの母親が籠に大きな松茸を何本か入れて持ってきた。シゲルが大きな松茸を採ってきたので買っただろうと問い詰めたら貰ったという。あの子のことだからきっと年下から取り上げたと思う。これはお詫びのしるし、本当にごめんなさいと言って帰って行った。本当は仲間外れになるのが怖かった。ガキ大将の弟もシゲルもいい爺さんになって松茸のことなど覚えてはいないだろう。あの時母親が泣いていた意味が大人になって分かった。まだ小学校に入る前、松茸なのに甘酸っぱい思い出である。