太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

今年も懲りないな

2020-08-31 07:48:21 | 日記
まだ夏も終わってないのに新聞に正月の御節料理の宣伝がデカデカと載った。老舗料亭の監修とある。相変わらず絶対に重が重ねられないような豪華な具材の飛び出し、海老は相変わらず半身を乗り出して逃げ出しそうである。何度か騙されて買ったことがあるが大抵はアイロンで押さえつけたように全ての具材は平らになっている。老舗料亭は何を監修しているのだろうか。ここ何年も言っているのにJAROもいい加減何とかしなければ、名実ともに誇大広告だろう。世の中こんな愚痴よりもっと取るに足らないニュースもある。崖に迷い込んだ子ヤギがポニョと名付けられたそうだ。このニュースは何の想像も駆り立てない。わが街とはいえ、それで?というところである。ネパールの田舎で道路の法面の草が芝のように綺麗に刈り取られていた。こんな田舎でもよく手入れされていますね、余裕があるのでしょうねと言うとヤギが食べているんですと言う。確かに放し飼いのヤギが屯していた。ポニョよりニュースバリューがある。
今年でなく今回も懲りないなと思うのは自民党の総裁選である。党員・党友も含めた選挙をと訴える石破氏に対し国会議員と地方の代表だけでという幹事長の間の鬩ぎあいは禍根を残すのではと思う。派閥からいうと幹事長側の思惑が通りそうだが落としどころは来年9月の党大会ではそうする、今回は緊急事態でワンポイントリリーフですという約束だろう。果たして石破さんは納得するだろうか。脂が乗り切った時期を過ぎると立派な政治家でも注目されなくなるのは常である。下手すると飛び出して新党立ち上げ?それに野党の一部が乗っかる?悪夢のようなシナリオもあり得る。国会議員による投票となると派閥の力で決まる。何時か来た道である。何れにせよ誰が選ばれようと相当厳しい政局が待ち構えている。菅さん、トランプさんと付き合うのは気が重いだろうな。いっそバイデンさんが新大統領になれば互いに新人、新たな関係が作れるだろうが。今Intermission、いよいよ9月は政治劇場の開幕である。マスコミ風見鶏の動きも激しくなる。コメンテーター諸氏の芸術的蛇の寝返りも見ものである。

本当にカウントダウン

2020-08-30 07:47:56 | 思い出話
30日になると本当に夏休み終わりのカウントダウン、憂鬱の真っただ中に居た。学校が嫌いだった訳ではないが長い休暇で出来上がった生活パターンを新学期で変えなければならない。説明が出来ない億劫さである。かといって夏休みに楽しい思い出とか何かを成し遂げたという記憶もない。一つ思い出に残るのは小学5年生のときハッキリ泳げるようになったことである。暑い日には市民プールに友達と良く出掛けた。入場料は30円で勿論無制限である。唇が紫色になって寒くなるまで遊んでいた。帰り際出口にある店で熱々のカントダキ(おでん)を買って食べるのも楽しみだった。1個10円だった。
その夏までは泳ぐといっても犬かき風の平泳ぎで溺れているかの如くもがいており、クロールはやたらバタ足で毎回水を飲んでいた。ところがある日犬かき中に突然お尻がプカリと浮き体全体が軽くなった。手足をゆっくり動かしても沈まず泳げる。それまでは体全体に力が漲り自然に逆らってでも浮いてやるという意気込みだった。何もしなければ体は浮く。何のことはない脱力こそが泳ぎのコツだったのである。それからは平泳ぎもクロールも難なくできるようになった。今では水泳教室などで小学校の低学年でも綺麗に泳ぐ子は沢山居るが昔は周りも似たようなもので小学高学年で何とか自力で泳ぎを覚えるのが普通だった。
コロナで明けようが暮れようが日常を変えるのは子供でも大変である。大変さを伝える術がないからさらに大変である。一度新しい日常を獲得するとまたそれを変えるのは容易ではない。しかしどのような日常でも1週間もすればそれが当たり前になる。1週間もすれば新しい日常に慣れるのも子供である。元気を出して、いや体の力を抜いて新学期に臨もう。行けば楽しい事の一つや二つは見つけられる。

やはり辞任だったか

2020-08-29 07:35:00 | 社会観察
この時期首相自らが記者会見を開いて発表することは何だろうと思っていた。緊急事態宣言の再発令とか外交上で特別な事が起こったとかでない限り首相でなくとも会見は務まる。同じ病気で部下を亡くした経験から病状のことは気になっていた。慶応病院で検査をした時、辞任はあり得ると思っていたが評論家諸氏からは辞任の話は聞こえて来なかった。勿論1国の総理の進退を本人の病状を憶測して論じるなどあってはならない不謹慎極まりないことなのだが。
自らの判断で辞めて行く人を石もて追うようなことはしない。何処が良かったかを思い出してみる。一番は絵になる総理だった。特に各国首脳と会う時の堂々とした振る舞い、トランプさんとのゴルフ外交でのパフォーマンスなどは取りだたされている次期総理候補では絵が想像できない。華があった総理だったように思う。参謀は努力と勉強で務まるがこの華というのは真似してできるものではない。政策の良し悪しはブレーンで決まる。紳士的であることは政治家としての資質にはならない。長期政権の後は短命に終わるような気がする。長期安定と常に比較されながらの政治は虻蜂取らずになる可能性大である。
突然の辞任で窮地に立つのはあまりに深入りした忖度官僚だろう。次期総理に同じように取り入るのは至難の技だ。政治評論家しかり。国民の多くは長期政権の末期には別の人がやったらどうなっているだろうと思っていただろう。それは安倍さん云々よりも新しいもの見たさ、好奇心の一種かも知れないのだが。新しい政権は何かにつけて安倍時代と比較されるだろう。悪夢のような政権と揶揄できるくらい立派な政権が出来上がると良いのだが。あの時代は良かったと懐古されたらおしまいである。
安倍さんはやはりリーダーであった。後継者が居ないというのはリーダーには良く有ることである。勤め先のカリスマ経営者は後継者が居ないとぼやくことがあった。居ないのではなく自らが比肩しそうな者を潰してきたのである。後継者が育たないのではなく育てなかったのである。どうするか、集団的指導、ペレストロイカで急場を乗り切り自ら育つ人を待つしかない。どうあがいても暫く政局は混乱する。

罰は当たるもの

2020-08-28 07:38:41 | 日記
西日本の方は暑くて気の毒になどと言っていたらここ2,3日はこちらも猛烈に蒸し暑くなってきた。言うもんではない、罰はあたるものだ。フレイルの予防と言えば大袈裟だがほぼ毎日小一時間自転車で近所を走る。コースは3種類に決めており気分で選ぶ。何れのコースも多少の登り下りがある。坂にかかると右や左にフラフラしながら太ももに負担がかかるがこれくらいでないと意味がないと納得する。登り切った後の下りは風があたり実に気持ちが良い。昨日は田圃の中に出来たバイパス道路の広い歩道を走った。すれ違う人は殆どいない。両側はついこの前田植えが終わったと思ったが早いものでもう穂を垂れて刈り入れ寸前である。昨年の台風では一面水に浸かり巨大な湖と化したところだがどの田圃も同じように生育しており影響はない。刈り入れの後だったのが不幸中の幸いである。稲や小麦はいつ見ても、昔の人は良くこんな小さな実をかき集めて食糧にしようと思ったものだと感心する。それが半年ほどで収穫できて主食になるのだから凄い。如何にも平和なこの場所で去年の洪水で車に取り残された亡くなったひとが居たなどととても思えない。
どの自転車コースも小一時間の距離だが自然にタイムが縮まってくる。タイムを気にして飛ばしているか、否、殆どの中年のおばさんには抜かれて行く。昨日などは40分くらいしか掛からないのでextraのコースを追加した。安全な道を選んでいるのでルート変更はちょっと苦労する。もし2時間も走ったら今度は過労になるだろう。小一時間が自分には合っている。長生きしようなどと大それたことは考えていない。ただただ人に迷惑はかけたくないの一心である。走りながら若い頃訪ねた多くの途上国の田舎と出会った人々を思い出す。あの時と同じ私が今ここで運動不足解消のため自転車で走っているよ、と言ってもその声はもう届かない。勿論移動はジープや時にはバイクで自転車ではなかったが。日本と最も違うところは日本の場合隅々まで全てに人の手が入った痕跡があることだ。途上国の場合、街道沿いの荒れ地にも所有権があり境界はあるのだろうか、道端に放置された古タイヤや家具あるいは金属廃材、ケーブルなどの切れ端は一体誰が置いて、誰が取りに来るのだろうか捨てられたもので無いことは一応形が整っていることで分かる。しかし未来永劫誰も触りはしないだろう。整理された日本を美しいと思うか、全てが曖昧に見える途上国の自由に惹かれるかは人により違うだろう。美しい田園風景の中を走っていても許されたところからはみ出してはならない。畦道に乗り入れたら叱られるかも知れない。ある年代から京都の日本庭園を見て美しいと思わなくなったのは途上国の経験からだろう。大自然を模した庭園であっても松の枝1本、庭の小石一つが人為によるものだと思うと逃れようのない窮屈さを感じてしまう。
今自転車で走っている道も将来は車椅子が通れるようにバリアフリーになるのだろうか。高齢化社会が進む日本でもそこまでインフラは整っていない。ブログを書くことで頭の錆びつきは何とか防いでいるが体の方は自転車くらいしかない。フレイル防止とは言っているがやらなかったことと比較はできないから防止に役立ったかどうかは分からない。時々ジョギングをしている中年の人に出会うが将来を見越して立派なものだと思ってしまう。タイムが自然に縮まるのは予防の効果?

久し振りに聞く懐かしい名前

2020-08-27 06:31:16 | 仕事に関すること
もう40年近く前の話である。北海道の寿都町に太陽電池の説明会に行ったことがある。勿論系統連系が始まる前で国内の市場は殆ど無かった時代である。会社に同町の漁協に知り合いのある者が居て、一度売り込みを兼ねて説明会に行こうとなった。海の関連では灯台や浮き漁礁、ブイなどに利用されてはいたが小さな市場である。それでもまずは太陽電池を知って貰う事が大事だと出掛けた。説明会は夕方から始まったが30名くらい集まったが現役の漁師の方々である。皆年齢不詳の日焼けでおまけに漁の後で疲れ切っている。漁協の声掛けだったので義理で集まったのかも知れない。出て来た質問は、それは幾ら、それやったら幾ら儲かる、隣の泊原発の予定地のようにテトラを海に大量に沈めるような事業なら地元も潤うのにと言った類だった。まだ太陽電池が殆ど知られていない時代に無理からぬ話である。帰り際漁協の方から何も無いですが地元で寿司でも食べてと店を紹介された。本当に旨い寿司だった。勘定を払おうとしたら漁協の方が済ましていますと言う。しまったもっと高級なものも食べたら良かったと思った。暖房の利いた列車に揺られながら気分は旅芸人だった。寿都の地名すら読めなかった頃だがその後20年くらい経って風力発電で有名になったのは皮肉である。説明会はこちらの方がうんと早かったのに。
その寿都町が今高レベル放射性廃棄物の地下処分場の候補に名乗りを上げるという。財政が厳しいおり、交付金に頼らざるを得ない苦渋の選択だ。まだ調査をするか否かの段階でそれすら地元の了解を得るのは至難とも言われている。原発と基地関連は相変わらず最後は金目でしょうとなる。当然どちらも何処かがやらなければならない大義が有る筈だが不思議なのは地元選出の議員さんがちっとも誘致の声を上げないことである。当然選挙に影響はするだろうから旗幟鮮明は得策ではないと思っているのだろう。これでは商社マンに教えて貰った、嘘はつかない、しかし自分に都合の悪い事は言わないを地で行っているようなものだ。迷惑施設ならある程度政治力は必要である。政権与党議員の方々から次の選挙で地下処分場を誘致するという公約で立候補する猛者は出てこないものか。処分場を別にして原発推進を容認しては商社マンの教えにすらそっていない。立憲と国民の合流による新党も原発ゼロという綱領に難色を示し新党参加を躊躇している議員もいるとのこと。電力総連傘下の民間労組をバックにしている方々だという。彼らから寿都に関するコメントは聞こえて来ない。