こういう孤老を多分ウザイ(うざったい;鬱陶しいの意)と言うのだろう。どうも言葉が気になってしょうがない。昨日は新天皇の即位にあたり陛下のお言葉、首相の国民代表の辞があった。書き言葉と話し言葉では自ずと違いがある。相手が読むと聴くの違いから生じる。特に聴く方は言葉の意味、漢字が直ぐに思い浮かぶ必要がある。聴く場合は同じ発音でも多くの言葉があてはまる場合があり頭の中で誤変換してしまう恐れがあるからだ。勿論読み手、聞き手のリテラシーにもよるが格式が問われる場面ではどうしても難しい言葉を使いたくなる。陛下のお言葉では「粛然たる」が唯一耳馴れない言葉だが、頭の中の変換では「粛然」しか思いあたらない。巷でも偶に耳にする機会はある。全体に聞き間違いの起こらない明瞭なお言葉である。
首相の辞では「英邁なる」で特別に才知が優れているという意味だがこれも偶に小説などで「英邁なる君主」などと表現され、やや珍しいが見聞きしないわけではない。首相の結びは「令和の御代(みよ)の平安と、皇室の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。」である。久しぶりに「弥栄」を聞いた。若いころ結婚式に出席していた時、年寄の上司がお祝いの挨拶の結びで「ご両家の弥栄をお祈り申し上げます。」と結んだ。ますます栄えるという意味だが初めて聞いたので帰ってから意味を調べたことがある。その上司は留学などしたことは無いそうだが文法的にも非常に正確な英語を話されたがそれより優れていたのは日本語訳である。一度通訳している場面に同席したが日本語も正確で語彙も豊富であった。外人と付き合うならまず日本語を大事にしなさいと教えられたのはこの上司からである。日本語で表現できない人が幾ら英語が喋れても海外に行って深い話はできない。つまり英語が喋れるからといって海外で仕事ができることは別物で日本語で伝えたいことが言えなければ英語にはできないと。日本でも老舗の大メーカーの創業者の孫だとは後で知った。どこか上品な育ちの良さがあった。育ちには勝てない、とは思いつつ何時か「弥栄をお祈りして」を使ってみたいと思っていた。上品で恰好良い言葉である。青二才には似合わない、やはり人生経験を積んで相応の年にならないとと思いつつこの年になってしまったが未だに使う機会がない。育ちがそれを許さない。
10連休も中日を過ぎて世の中多少疲れが出て来たか、それとも金欠になってきたか。連休のニュースもネタ切れに近い。やがてリフレッシュどころかへとへとになって連休最後を迎える。そして国民の8割方が、あんなに長い連休だったのに何もしなかったと後悔する。それが大事である。長い休みを無駄に過ごしてしまった、やっぱり俺、私には仕事しかない。それが働く原動力になるのはウザイ孤老の経験値である。