太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

やってきた大晦日

2020-12-31 08:56:59 | 日記
 いよいよ大晦日である。今朝は卓上温度計も6度と冷える。多分例年の気温であろう。年の区切りで1年を振り返って見る。結論から言えば良い事も悪い事も特にない。この歳になると何も無いことは良い事と思わなければならないと何年か続けて書いた。振り返り思う事も例年並みである。世の中はコロナ一色で何も無いとは行かない。水が低きに流れるように感染が少なかった地方にも徐々に広まってきた。ちょっとした漏れ口から浸み出して行くのだろう。こうなると誰もコロナ禍から逃れることはできない。こちらの方は何もしなければ何かが起こってしまう。少なくとも年末年始はいつもと違う過し方は必要だろう。例外も運が良かったなどという事はない。TVのニュースも年末の慌ただしさはなく抑制の利いたものばかりでコロナさえなければ齢に相応しい(若者には物足りないだろう)落ち着いた大晦日である。
 来年こそはコロナも終息し、かつ静かな大晦日が迎えられることを望む。欲を言えば一つでも思い出に残る良い事が起こるに越したことはない。2020年大晦日
 

迫りくる年の瀬

2020-12-30 09:39:33 | 日記
 今日は強烈な寒波が日本列島を襲来すると言われたがこの地はそうでもない。珍しく朝から雨だが卓上の温度計は12度を超えている。この時期としては暖かい方だろう。家康が幕府を開いた関東平野は気候でいうと安定しているところなのだろう。寒波は日本海側に留まっている。ブログを書いていると結構大きめな地震があった。震源地はいつものように茨城沖、最大震度は4だったが我が家は3。今年はかなりリフォームをしたので、リフォームしたばかりなのに潰れてしまってと悲劇の典型のようになる気が一瞬したが収まった。今度は市の防災無線が竜巻情報が出たと伝えている。変わらず収まらないのはコロナの感染拡大である。
 カミュの「ペスト」の一節に次のようなものがある。ペストかも知れないという疑いの時に知事と医師たちの会合である。
「この病を終息させるためには、もしそれが自然に終息しないとしたら、はっきり法律によって規定された重大な予防措置を適用しなければならぬ。そうするためには、それがペストであることを公に確認する必要がある。ところが、この点に関しての確実性は必ずしも十分でないし、したがって慎重考慮を要する。」別の医師が、
「問題は法律によって規定される措置が重大かどうかということじゃない。それが市民の半数が死滅させられることを防ぐために必要かどうかということです。あとのことは行政上の問題ですし、しかも現在の制度では、こういう問題を処理するために、ちゃんと知事というものが置かれているんです。」
戦後まもなく発表された作品であるが、冒頭部分だけでも現在と酷似している。後半はペスト禍の中でふるまう人間の不条理が描かれているのだが現代とリアルタイムでシンクロしながら進んでいくようである。つくづく人間は経験や科学の進歩で「賢くなってきている」と錯覚していると思わざるを得ない。決して「賢く」はなっていない。その証拠に何度でも先祖返りをしてしまう。小説を読みながらつくづく思う。

何だか吹っ切れた?

2020-12-29 08:35:18 | 社会観察
 変異型コロナウィルス対応で政府は12.28から1.末まで全ての外国人の入国を禁止すると発表した。大変な決断だと思うが対策は先手先手とのこと。勿論これまでの反省の上に立ってのことであろうが兎に角ウィルス対応に早過ぎるということはない。効果の有無は確認しようがないが少なくとも水際対策は必要である。二階さんらとのステーキ会食で珍しく謝罪の言葉を述べた総理、今度は停止にあれ程慎重だったGoToについてある知事の再開要請にも関わらず簡単には再開できないと言うなど何となく謝罪会見以降何かが吹っ切れた感じがするのは気のせいだろうか。傀儡とか神輿に乗ってとか言われていたが菅カラーを出し始めたと期待したい。何かがきっかけで自分が変わってしまうことは誰にもある。そういえばネットでは手元の原稿を見ない場面も増えたとかのニュースもある。桜の老木にもう花は咲かないと判断、呪縛が解けたのだろうか。菅カラーを出すチャンスでもある。急落した支持率が少しでも上がれば自信もつくことだろう。さてそうなると神輿の担ぎ手はどうなるか。軽いので振り落とそうと思い出した人達も肩の荷重の変化に気持ちは揺らぐだろう。後悔、反省、謝罪をする政治家はほぼ無敵である。今度はリーダーシップが無いとか揶揄されるだろうが、その時点でまた反省、謝罪がありエンドレスとなり敗れることはない。謝る政治家という新しいジャンルが開けるかも知れない。
 地方議員も含めて年末の大人数会食(意見交換会というべきか)は予想通り後を絶たない。それも殆どは無理筋の言い訳をする。政治家の非常識と知的レベルの低さは驚くべきである。現職の国会議員が発症して数日、治療にかかる前に亡くなった。お気の毒にまだ若い。感染の可能性がある会合出席なども報じられていない。コロナは恐ろしい病気であることを再認識すべきである。繁華街に繰り出す若者(中高年もいるだろうが)はせめて政治家よりは常識をわきまえようではないか。そもそも政治家の選挙目当ての会合ほど不要不急な用事があるとも思えない。普段はリーダーとも思っていない政治家たちの会合を見て、それなら自分達もと考えるのは都合が良すぎるというものだ。
 次はオリンピックの決断である。開催に漕ぎつけてもコロナが収束していない国々からの参加は望めないだろう。参加者全員の検査、一部の競技を無観客で開催、ネット中継するくらいしか手はないだろう。こればかりは担当大臣は何の権限ももっていないし期待もされていないが国、組織委員会、東京都がIOCに対して早目に共同声明を発するべきである。久し振りにカミュのペストを読んでいる。若い時と違って今は時勢が臨場感を煽る。いちいち出来事を現在と照合することになり速読とは行かないが再読で再発見することは多々ある。
 
 

パンドラの箱

2020-12-28 09:19:08 | 社会観察
 昨日はまるで年納めのようなブログになったが今年はまだ終わってはいない。タイトルはゼウスがパンドラに持たせた災いが詰まった箱だが開けてはならぬと言われながらパンドラが開けてしまったあの箱である。桜を見る会問題では安倍さん自身が何故自らホテルに確認しなかったのかと野党に厳しく追及された。何となく心情が分かる。多分ある時点から秘書の説明はおかしいと思っただろう。しかし自ら積極的に真相を確かめることをしなかったのはそれがパンドラの箱だと分かったからだろう。躊躇なくという言葉が好きだった割には安倍さんの人間的弱さが垣間見える。政治の世界でそれが許されるかどうか分からないが世の中には見たくない、聞きたくないという事は山ほどある。凡その結果が想定できるからだ。村上春樹氏がインタビューの中で、・・・こんな混乱ですから、人が間違ってしまうのは当然のこと。ならば、「アベノマスクなんて配ったのはばかげたことでした」「Go Toを今やるのは間違っていました」ときちんと言葉で認めればよいのです。国民も「間違うことは仕方がないよ、これからちゃんとやってくれればいいよ」と思うはずです。ネット上ではこの村上氏の発言について某有名整形外科医が、「日本人が選んだ代表を最悪と言うのは日本人が最悪だと言っているのと同じだと思います。残念な発言です」あなたは日本人ですかと。炎上覚悟の発信だと思うが総理を批判するのは選んだからこそです。因みに個人的には村上氏の著作は殆ど読んだがカズオ・イシグロ氏の方が好きです。勿論私は日本人なのだが外人並みに彫の深い顔立ちに憧れた時期もあり金さえあれば先生のお世話になっていただろう。
 村上氏の発言は自身もブログに何度か書いたが日本の政治家や官僚は決して間違っていましたと言わない。国民は直ぐに税金泥棒と罵る。拙老のような少額納税者がブログでほざいても高が知れているが村上氏は高額納税者でありながら税金泥棒と呼ばないのはさすがである。間違いを糺せば国民も許してくれると言っている。実は役人からこっ酷く叱られたことがある。一つは当時通産省傘下、一つは外務省傘下の公的機関のプロジェクト受託での話だ。時期も異なり全く関連の無いプロジェクトだったが「マスコミに知れたらどうなる!」と同じ言葉で叱責された。どちらも理不尽な怒りで今でも非は向こうにあったと思っている。後に真実が明らかになり事なきを得たが勿論謝罪の言葉など無い。要は自分達の保身のためで兎に角どちらもマスコミを警戒していた。特に役人の場合はそれが先輩の責任であっても必ず庇う。当時はOBでも人事に影響を持っていたから(今でも?)間違いを認めることは先輩を非難することに等しくあらゆることで全てやったことは正しいという立場である。多分政治家より役人の方が弁明、謝罪をしない。 
 災いが出て行った後のパンドラの箱には「希望」だけが残っていたと言うが、それは希望は箱から出られなかったという説と災いの後には希望があるという説に分かれているそうだ。当然災いのあとには希望が残されていると思いたい。その為にはパンドラの箱を開ける勇気も必要だ。
昨日TVを見ていたら二階幹事長が討論番組に参加していた。コロナ対策について政府の対応は遅すぎるという批判もありますがという問いかけに、「今更遅いと言われても結果論だ。これからどうするかが問題である。」と言う主旨の発言をしていた。相手の質問もここで封じ込められた。今更遅いと言っても意味が無いとは思わない。コロナは終息した訳ではなく第4波は必ずやってくる。遅いと言う批判は次に生かすための早過ぎる批判とも言える。重鎮中の重鎮二階氏なら、「遅いと言う批判は聞こえている。それらの様々な意見を真摯に受け止めて来たるべき4波に備えるのも政治の役割だと思っている。」◎。政治家も役人もあまり変わらないか。

レトリック

2020-12-27 09:24:25 | 社会観察
 加藤勝信官房長官は25日の記者会見で、安倍晋三前首相の国会答弁の誤りを、野党が虚偽答弁と批判していることに関し「何をもって虚偽答弁というかについては、必ずしも固定した定義が国会にあるとは承知していない。使われる文脈で判断するものだ」と述べたとのこと。何処かで聞いた文脈である。福島第一原発事故のときタレントもどきの某有名大学助教授がコメンテーターとして何度もTVに出演し、メルトダウンは起こしていない。何故ならメルトダウンの定義がないからと言い切っていた。独特の眼鏡や風貌で覚えている人も居るだろうが炉のホトボリが冷めたのか最近また核の専門家としてTVに登場し始めた。氏が度々発言していた頃は既に各局はメルトダウンと放送していたが今なら氏は炉の状況を何と表現するのだろう。まだ助教だから誰かは直ぐ分かる。学術会議問題の時、法制度の不備を盛んに言うHモト氏、これを真似たかどうか分からないが評論家は目の前の問題を法制度問題にすり替えて擁護する人が沢山居る。論点のすり替えは政治家や評論家に限らない。一般社会でもよくあることだがウィキには論点相違の虚偽、論点無視の虚偽ともいう(広辞苑)。これに長けた人は必ず出世する。芸術的スリのようなもので誰もそれを見抜けない。そもそも象限の違う話を持ち出して反論や弁明すること自体が奇異である。犯罪が起こった時に社会が悪いと言うのとよく似ている。
 いよいよ今年も今週で終わる。巷ではコロナで始まりコロナで終わる年と言われるが世界中がその通りである。1年かけて世界の叡智を集めても収束の突破口が見えないことは不思議であり、その内神様が登場して第4波さえあり得るという終末論が跋扈するのではないかと危惧する。GoToは一時停止になるが恐らく感染が拡大し続ければ効果は無かったと言う者、いや続けていたらもっと増加しただろうという者が出るのだろう。感染が減少すればあの対策がどうだったこうだったと議論百出となるのだろう。人生も終盤に差し掛かりトンデモナイものに遭遇したものだ。来年はコロナ後の明るい未来が描けることを願う。若い人たちが描ける未来である。究極のリモートワークの世界であっても構わないと思う。元の状態に戻る事だけが残された道ではないだろう。観光飲食業しかり。