太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ちょっと滑稽なお花見

2024-03-31 07:22:47 | 日記

 今朝は雲ひとつないが空全体が白っぽくて太陽は見えない。風が少し強いので黄砂だろう。モンゴル高原の上空は何度も飛行機で飛んだ。赤茶けた大地が延々と続きまさに不毛の大地である。毎年春になると話題になる黄砂はここから来るのか、何千年もの間よく土が無くならないものだと感心したものだ。黄砂だけは何処にも文句の言いようがない。まさかアスファルトで固めて飛ばないようにしてくれとも言えないだろう。

我が街でも桜がチラホラ咲き出した。城址公園とか桜の名所は幾つかある。あまり知られていないが工業団地の並木も桜のトンネルのようになり見事なものである。ちょっと郊外に出れば自然の中に沢山の桜を見ることができる。TVニュースで見る東京の花見は滑稽である。まだ3分咲きにもなっていないのにお花見のシートを拡げて花より多いくらいの人が酒盛りをしている。勿論花より同僚と飲み食いする方が優先されるのだろうが多分近所に住んでいる人というより東京に勤めている人達だろう。わが街に自然に咲く桜を捨て電車に揺られてやってきた人達は何処か矛盾しているような気もする。しかし会社の行事で嫌々やって来たとも思えない騒ぎである。会社の行事は行くまでは憂鬱だがいざ行って見ると結構楽しいのは分かる。長いサラリーマン生活だったが同僚と花見に行った記憶はない。勤務地が比較的田舎にあったから桜は当たり前に目にする景色の一つだったからだ。花見に誘われることなどもうない。一人自転車でゆっくりと楽しむのも手だろう。


東京も思い出の彼方に

2024-03-30 07:47:51 | 日記

 朝起きると周りの景色が真っ白、スワッ近所で火事かと思った。その割には静かである。霧である。近所の屋根も殆ど見えない。こんなに濃い霧は何十年振りかである。30年くらい前に一度有った。通勤の車で堤防の脇を走っていた時数メートル先が見えない。フォグランプを点けて走ったが前の車のテールランプは数メートルに近づいてやっと確認できる。歩く程のスピードで窓を開け右下のセンターラインを確認しながらセンターを飛び出さないよう注意して走った。用水路が張り巡らされており川霧だった。日の出はとっくに過ぎているのに霧は街全体を覆ったままである。

昨日は仕事仲間がいよいよ完全にリタイアするということで東京に出掛けてささやかなお別れ会となった。彼は10年くらい部下としてその後こちらの定年前10年くらいは業界の仕事で一緒することが多かった。決して器用なタイプではないが正直で辛抱強い男である。口下手でイジメに会うことも多く特にある上司からは執拗に叱責されていた。その頃は部下ではなかったが上司は同じだ。余程ヘマばかりしているのかと思っていた。その上司が時々終業前にやってきて今日いいかと尋ねてくる。赤提灯へのお誘いである。特に親しかった訳でもないのだがスズメの丸焼きを齧りながら愚痴が次から次へと。聞き役も辛い。君らも査定とかは大変だろう。俺は古いと言うだけでこの地位(取締役)までなった。本当は人見知りでこの役は重い。しかし俺は彼(今回リタイアの彼)がいるお蔭で助かっている。全体の査定でもバランスをとらなければならないので下位査定の者が必要だが彼がいるから助かっている。皆の前で彼を叱るのも本当は全員にこう言う事は駄目だと報せるためだ。憎い訳でもなんでもないと言う。小心者の上司だったが後日彼にその話をすると、そんなこと分かりませんよ、地獄の日々でしたよという。彼が実力を発揮し出したのは部下になってからである。粘り強い仕事は次々成果を出して行った。

お別れ会ではあの頃は本当にお世話になりました。70歳まで必要とされるところで働けたのはあの時のお蔭ですと感謝する。いやいや本来の能力を発揮されただけでこちらは何もしていませんよと言うとあの時辞めなくて良かったと言う。その彼も完全にリタイア後どうするのと聞いたら2か月くらいオーストラリアに語学研修に行くとのこと。若い人達に混じって勉強するのも大変だけど社会に出てからずっと心残りだったのは語学をもっと勉強すべきだったということ。この歳になってやっとそれを全うしようと思っている。英語を使う機会も目的も無いのだけれど自分の中では決着をつけたいという。何処までも辛抱強い、粘り強い男である。もし成田から発つようならその時また会いましょうと言って別れた。これでまた東京との縁も少し薄くなった。

大勢の人と出会い別れた東京。思い出多き東京。マイペースの「東京」の歌詞が思い出される。・・・いつもいつでも夢と希望をもって 君は東京で生きていました 東京へはもう何度も行きましたね 君の住む美し都・・・。歌は恋人を思ってのものだが自分にとっての東京は働く仲間たちの東京だった。


任意保険の闇

2024-03-29 08:00:57 | 日記

 春は物入りの季節である。困ったもので自動車任意保険もこの時期に更新である。毎年案内が届くが前回と同じ条件でも必ず値上がりしている。電話でTVコマーシャルのセリフと同じように「事故も起こしていないし保険も使っていないのに」と理由を聞くも納得がいかない。一つは車種によって料率(事故の確率のようなもの)が決められている。人気車種だからその分事故も多いと言う。いやいや分母側(その車種での加入者)も増えるから料率は下がる場合もあるのではと返すと代理店では分からないという。もう一つは年齢が上がってきたのでと宣う。確かに高齢者だが、同じように母数も増えているでしょう、100歳まで生きたら物凄い額になるではないかと言うとしどろもどろ。保険会社よ、何時までも分かり難い「料率」で目くらまし値上げをしているとその内大ブーメランで帰ってくるとぞ。結局はあの時ケチらなければと後悔しないために値上げのまま継続を決めた。代理店の担当も最後は被保険者側に立って同調しだしたので暖簾に腕押し、こちらは言いたい事だけ言ってガス抜きはできたからまあいいか。

今日は昔の仕事仲間と夕食を一緒にと東京に出掛ける。久し振りの東京だが小一時間電車に乗るだけで疲れるだろう。しかし多分これが最後の食事会になる。彼が関西なので余程の用事が無い限り直接会う事はなくなる。絆を新幹線料金と比較するのも辛いものがあるが。昔の仕事仲間との別れも彼が最後だ。去る者日々に疎しとなるのだろう。それでも仕事で苦楽を共にした思い出は消えることはない。彼の第二の人生が無事でありますようにと一言かけるためにに出掛ける。地元の銘菓でも下げて。


春の顔

2024-03-28 09:08:44 | 日記

 晴れたり雨だったり天候が目まぐるしく変わっている。毎年今頃は、春の便り、つくしが顔を出すのを市で一番に見つけようと自転車散歩で目を凝らすがまだである。桜は開花予想から何日も経ったが蕾はまだ固そうだ。これでもまだ時期は自然の変動範囲内なのだろうが。

顔で思い出すのは暫く見ない間に急に老けたなと感じがする人が居る。最近ではネット記事で見たみのもんた氏(79)と二階氏(85)がそうだ。吉永小百合さんとか加山雄三さんは例外だが多分色男も75歳過ぎから急に老け込むのが普通なのだろう。まだ自分は自然の変動範囲内であるが気をつけなくちゃあ。しかし久し振りに会った人から変わらないねえとか言われお世辞と分かっていてもちょっと嬉しいのは事実だ。本当は老けていてもまさか老けましたねえと言う人はいないだろうが。

同じ人でも急に人相が悪く見える人がいる。水原通訳はニュース映像に度々登場するが笑顔の場面でも目だけは笑っていないように今は思う。ああこの時既にそうだったのかと思ってしまう。不思議なことにそもそも水原氏は球団職員だろう(球団が解雇した)から職員による窃盗なら球団に弁済義務はないのか、せめて球団は謝罪すべきだがコメントが無いのはエンジェルス時代の事案だからだろうか?アメリカのメディアはこの辺りはつつかない。

人相といえば若い人でも男女を問わず、この人は一生お金にも困らず大した苦労もせず過ごせるのだろうと思う人が居る。昔流にいえば福顔だろうか。逆に今は若くて輝いているが年が行くと多分下品な顔になると思う人も居る。顔認証の有効期限に相当差が出るだろう。最近韓流ドラマはあまり見ない。男女とも顔の区別があまりつかない。アメリカ映画では同じ俳優さんが撮った年代が順不同なので却って懐かしく感じたりもする。

リンカーンの有名な逸話で顔に関するものがある。閣僚を選ばなければいけない時、非常に有能であるということで推薦されたがリンカーンは彼に会い、不採用を決めた。なぜ彼を採用しなかったのかと後日聞かれた時、リンカーンは「顔が悪すぎる。40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい」と述べたと言われている。知性や品性は顔に出る、つまり、どのような人生を歩んできたのか、どのような考え方をしているのか、ということが顔に現れるということなのだ。自分はどうか、責任は放棄している。ただ不快感を与えないように清潔感だけは重視している。髭面の有名シェフはどう思っているのだろうか。

 


出合と別れ

2024-03-27 07:30:47 | 日記

 アメリカのメディアでは大谷選手の記者会見を経てもなお送金過程に謎残るとか言って関与を疑っているようだ。手口など話せる筈ないでしょう。模倣犯が出て来たらどうする。大谷選手の曼荼羅チャートに「賭け事」などない。英訳して米のマスコミに流したらどうだ。あとは捜査当局に委ねるしかない。

それでも春はやってきた。出会いと別れのシーズンでもある。昔の仕事仲間で退職後も東京の会社で嘱託として毎月何日か働いていた者がいる。家は関西にあり東京に出て来る度に何回か会ってはいた。いよいよこの3月で退職するとのこと。関西には住まいとは別に田舎の方に実家があり空き家になっているがリフォームをしたとのこと。2拠点で生活するのかどうかは知らないが実家では筍が獲れたり栗が獲れるとのことで昨年は送ってくれた。関西からだとこれからは東京に出てくることもまずないだろう。ささやかなお別れ会をする予定だ。互いに年も行っているので直接会うのはこれが最後になるかも知れない。正直を絵に描いたような男でサラリーマンとしては不器用な部類だった。業界団体の仕事を一緒にする機会が多かったが太陽光発電のFIT制度(買取制度)を始める時経産省と丁々発止のやり取りをしながら買取価格決めで大いに活躍して貰った。殆ど業界の思い通りの買取価格に設定されたが彼の緻密な計算なくしては決まらなかったと思う。後に買取価格が高過ぎると世間の批判を浴びたが理詰めでやった結果だから携ったものは密かに自負している。これだけ業界の活性化に貢献し世界No1普及(当時)の原動力になったのに会社の誰も評価してくれませんねとぼやいていたのを覚えている。今でも釣りに行く途中に荒れ地を切り開いて沢山ソーラーが設置されているのを目にする。誰のお蔭だと思っているとつぶやきながら通るがぼやいても詮無い事。年と共に人間関係(お付き合い)の整理をしてきたがこれでまた一つ消えそうだ。出会いは少なく別ればかりの春である。大谷選手の春も大きな別れになった。しかし若い、まだまだ別れ<出会いの時代は続く。