太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

やたら唾を吐く

2018-06-30 06:47:02 | 日記

言わずと知れたMLBの選手のことである。大谷選手が出ていた頃、MLB中継をTVで良く見ていた。驚いたのは選手が所構わずやたら唾を吐く、それもTVカメラが入っていてもお構いなしである。ダグアウトの中の床はヒマワリの種の殻かガムの紙かゴミだらけである。プレー中にも選手は唾をやたら吐く。何か噛んでいると唾液が出るのを促進しそれが医学的にもプレーに良い結果を齎すのだろうか。日本のプロ野球ではまずあり得ない。これだけはアメリカ人の真似をして欲しくないものである。アメリカ人で括るのもどうかと思うが、もし米朝会談でトランプさんが金委員長と散歩している時、庭先にペッと唾を吐いたら国際問題になるだろう。映画で俳優が唾を吐くシーンは余程意味がある場合以外は見たことがない。MLBの選手達も自分達がどう見られているか意識すべきである。プロであるなら見られることも商売の一つである。

偉そうには言えないかも知れない。その昔モンゴルで道端で売っているサマル(松の実)をポケット一杯買って殻を道端に捨てながら歩いた覚えはある。当時はその他の大きなゴミがやたら多く、殻くらいは可愛いものだった。しかも周りには日本人とはバレテいない。もしかしたらアメリカ人の習慣は無いかも知れない。バレ無きゃやる日本人、バレテもやるアメリカ人と言えるかも知れない。

W杯一次リーグ突破で時間稼ぎをした日本がフェアプレーポイントで何とか決勝Tに進出した。見苦しい試合だったとか、リーグ突破のための戦術だったとか騒がれている。しかし、スロー再生がしばしば流されるようになって、大袈裟に転んだり、結構演技で倒れるシーンを見ると、一体何がフェアプレーかと考えさせられてしまう。強豪チームとて結構演技をしているからあれが戦術だとしたら見苦しくはないのだろうか。W杯で日本人ファンが観戦後のスタンドのゴミ拾いをする姿が海外から称賛されている。子供の頃からゴミの分別を躾けられている日本人にとっては当然のことと思うが。最近は観光地などでもゴミは極端に少ない。東京のような大都会でも昔と比べれれば随分綺麗になっている。しかし、未だに地方の国道沿いには投げ捨てたと思われるビニール袋に入ったゴミが捨てられていることがある。何の罪意識もなく捨てているとしたら社会人失格である。こういう奴らに限って自分の車の中は土足厳禁で、流石に道端に棄てるのを躊躇う時は途中のコンビニに棄ててしまう。私はコンビニから出たゴミはコンビニへという気持ちだがローソンとセブンは区別していないので迷惑かも知れない。本来はその店のゴミだけ、最低限でも系列店へだろう。

それでも途上国などに行くと街道沿いの民家の庭先には古タイヤやテーブル、ソファ、電線の切れ端など何に使うか分からないものが雑然と並んでいるのを見かけると何やら懐かしい思いがするのは年のせいか。昔は何か使い道があるだろうと思ってモノを捨てない習慣があった。特に庭先などにスペースがある田舎はそうだった。途上国の雑然とした風景を懐かしく感じるのは田舎育ちだからだろう。シンガポール育ちでは味わえない懐古である。

夏風邪が治りかけて黄色い痰が時々喉に絡む。時々ティッシュにペッと吐く。見なくても良いのに鼻を噛んだときと同じようにソット手を開いて量と色を確認する。しなくても良い物を。早々と梅雨が明けて今朝は真っ青な夏空である。そんな歳でも無いのに今年の長い夏を乗り切れるだろうかと思ってしまう。自分の歳より遥かに若く亡くなった両親を思い出す度に。


珍しく視てしまった

2018-06-29 08:06:05 | 日記

普段なら寝ている時間だがポーランド戦W杯を視た。試合には負けたがよく知らなかったルールによってグループリーグ2位で決勝Tに進む事になった。パス回しという時間稼ぎを行ったが監督、選手、ファンからはその戦術を非難する声も結構ある。ボクシングなら圧倒的にポイントで有利な選手が打ち合いに出てカウンターを喰らって負けるリスクより逃げ回って判定勝ちをものにすることと似ている。スポーツマンらしく堂々と最後まで戦えと言う人と、兎に角この試合に買って次へ進むべきと言う人が居ても当然である。プロスポーツは名誉と金と両方掛るから厄介である。願わくば初戦に負けて次が引き分け、最後に勝利と言う形なら間違いなく称えられていただろう。

驚くべきことは各地で(田舎は知らない)若者が深夜の街に繰り出して歓喜のシュプレヒコールをしていることである。これほど他人の事に一喜一憂できるのは相当優しい人でなければできない。学生運動真っ只中で青春を過ごしたが、シュプレヒコールと言えばその記憶である。集まって一体感というのは同じかも知れないが、他人のやったことに感動して集まるという事は無かった。サッカーファンの熱狂を見ていると、ああ、この人達は有名ラーメン店に長蛇の列を作って1杯のラーメンを待つ人に似て、多分今はそれが一番大事という幸せな人達なのだろうと思う。平和と言えば平和である。若者のに混じって自分と同じ年代の人がいれば顰蹙ものだが、ニュースでは映らない。多分家で缶ビール片手にささやかな喜びに浸っているだろう。

TV番組もニュースもW杯関連で溢れている。政治ネタも事件や事故も全てが影が薄くなっている。確実に次に同じようなことが起こるのは東京オリンピックの時だろう。働き方改革法案が国会を通過しそうである。オリンピックの時は憲法改正だろうか。この期間を狙って起こすわけでもないが特に不祥事についてはあまり世間からバッシングを受けることもないようだ。考え様によっては原因者自身もサッカーに夢中になっており不祥事を起こす間が無いとも言える。もしそうであるなら東京オリンピックの間も事件は少ないだろう。ただ、テロだけはイベントそのものを狙う危険はある。元気でオリンピックをTV観戦しているかどうか分からないが華やかな裏で起こることを拾いあげるのも天の邪鬼的性格がなせる技、特徴である。頑張ろう。


間違いなく職質

2018-06-28 07:49:00 | 日記

らしきものを受けた。2度目である。1度目は自宅のガレージから車を盗まれた後、足が無いので娘の中学時代のママチャリに乗って近所をブラブラしている時、交差点の向こうから手招きをされた。近づくと自転車をしげしげ眺めながら、これ旦那さんの自転車ですかと聞く。顔を見ると先日車を盗まれた時、現場確認に来た若いお巡りである。俺の顔を忘れたか、自転車の盗難より早く俺の自動車を探せ、と言ったらハタと気付いたようである。お巡りは直立不動で敬礼をしながら、失礼しましたと言った。頼むよ、犯人を捕まえたいと言ってたじゃないかと言ったら頑張りますと答えた。案の定車は見つからなかった。

今回は釣りを終えて駐車場所戻って見ると、ミニパトと50ccのバイクに乗った警官が居る。珍しいことだが、駐車スペースは堤防の陰でちょっと奥まったところにある。勿論駐禁の場所ではない。トランクに釣り道具を仕舞っているとミニパトから大柄な警官が降りて来て、釣りですか今は何が釣れますと聞く。結構大型のセイゴと偶にクロダイ、これからはハゼかなあ。ハゼは20㎝を超える大型のモノが釣れるので有名だよ、と言うと自分も釣りが好きで方々に行くけど最近釣れなくて釣りもご無沙汰ですよ。お陰で宝の持ち腐れ、宝と言うほどの道具では無いけど使わないと錆びちゃってと言う。

何だよ、職質かと思ったけどと言うと、まあそんなものですよと言う。釣りの質問は受けたけど身上は何も無し。この辺は時々車が放置されているので見回っていたんです、と言うから、それは結構なこと頻繁に見回って貰いたいと返した。明らかにバイクが連絡してミニパトがやって来たのだろう。多分ナンバーの紹介も済んでいる筈だ。ところが明らかに釣り道具を持ったオッサンが帰ってきたので急遽話を変えたのであろう。中堅どころだろう中々臨機応変アドリブの効くお巡りである。職質はいきなり直球の質問はして来ない。1回目の時はいきなり自転車の持ち主を聞かれたが若い新人だった。今回は、暑いですからお気をつけてお帰り下さいと言う見送りの言葉つきだった。

そう言えば近くの漁港に車を止めて居た時、サーファーが沢山駐車しているところだが、車に帰って見るとフロントガラスに大きな打痕が残って割れていた。多分サーファーが抱えていたボードが風に煽られてぶつかったのだろう。丁度見回りだろう自転車に乗った警官がやってきた。事情を説明すると、旦那さん犯人を多分見つかりませんよという。他府県ナンバーが多く、遠くからサーファーはやってくる。その内に被害届は出されますか、でも難しいでしょうねえ犯人を見つけるのはと盛んに被害届を出さないように誘導してくる。届けが出されると探さなければならないからだと思うが、根負けして良いですと言ってしまった。保険会社に電話して相談したら自損で修理できますと言う。10万円くらいかかったがまあ保険に入っていて良かったと思ったのは束の間。更新した保険が物凄く料率が上がって7割くらいは保険会社に回収されてしまったように思う。まあこれくらいならまだマシかも知れない。サーフィンが終わって帰ってみたら車が無くなっていたと騒いでいるサーファーに出会ったこともある。

この日は職質まがいの珍しい出来ごとがあったが帰りのコンビニでも面白いことがあった。駐車場で大型のトラックが猛烈にクラクションを鳴らしている。斜め横の軽四に鳴らしているようだ。出難かったのかも知れない。すると軽四からちょっとコワモテのアンちゃんが出て来てトラックの運転席の下で大声で何か怒鳴り始めた。ドアに手をかけて今にも運転手を引きづり降ろしそうな勢いである。拙い相手に関わってしまったと思ったかトラックの運転手は慌てて窓を閉めてゆっくり動きだした。アンちゃんは軽四に戻り幅寄せで脅す。トラックはのっそりと駐車場を後にした。あおり運転もそうだが、車の大きさとか車格で相手を見くびってはいけない。どんな奴が出て来るか分かったもんじゃない。うだつの上がらない初老のオジサンと舐めて職質すると結構やりこまれることもあるから注意した方が良い。


やった日本一

2018-06-27 08:11:39 | 社会観察

などと喜んではいられない。まさか元青春スターの我が県知事は横浜や東京を抑えての向こう30年間に震度6弱以上の地震の発生確率が日本一となったことで、例の斜に構えて握り拳を作って二カッとほほ笑むポーズをとりはしないだろう。野菜の何とかが生産量日本一とか言って取るあのポーズだ。日本一で安くもなければ、そもそも農家は日本一になるために生産に参入したわけでもない。集計の結果が日本一だっただけで自慢する話ではなにのにである。やりかねない。

不思議なもので先日大地震に見舞われた熊本は確率が一ケタ台でわが県の十分の一以下である。一度地震でエネルギーが放出されると暫くは起きないということだろうか。落語で夜店で亀を買った子供が、オジサン亀は万年生きるといったじゃないか。信じて買ったのに昨日の夜しんじまったではないかと文句を言うと、坊や、あの亀は若そうに見えたけど実は99万9999年と364日生きていたやつなんだよ、と言ったとか。多分過去の頻度とか複雑な計算の上に現状の微妙な変化を取り入れて算出するのだろう。30年経って何も起こらなければ、よかったですね残りの15%ですと言うだろう。20年以上前、ほぼ間違いなく肺がんですと診断されたことがある。今も何とも無いが、進行がゆっくりですねと言われたら納得してしまう。良い方に外れると文句のつけようが無い。明日85%の確率で雨が降ると言ったら必ず傘を持って出るだろう。向こう30年で85%と言われるとさてどうしたものか。転倒防止は一応やっているが不十分だろう。確実なのは地震保険の料率は上がっていることくらいか。

悪いことは続くもので夏風邪をひいてしまった。若い頃は風邪をひいた記憶が殆どない。夜中に空咳で目覚めて苦しむことがある。それでもやや黄色みがかった痰がでるようになったので回復の兆しである。昔インフルエンザが流行して学級閉鎖が何度かあったが無事だった。休みをよいことに近くに昔の南海ホークスの練習場があったのでウィルスにも負けない友達同士で見学に行ったことがある。当時 監督は鶴岡さんで、野村や杉浦が現役であった。穴吹も居た。鶴岡さんはサインを頼むと優しいオジサンで今日は学校は休みかいなどと声を掛けて応じてくれた。野村は腰にバスタオルを巻いて見向きもせず鼻歌を歌っていた。子供心にも恐そうな人だと思った。でも当時はジャイアンツファンだった(今はアンチ)。

猛烈な暑さとか寒暖差が激しい時、天気予報では体調管理にきをつけて下さいと確実に言う。今後同程度の余震が起こる可能性があるから十分注意して下さいという気象庁にも似ている常套句だ。一体日常生活をどのように変えれば良いのか全く分からない。家にじっとして居れば安全かと言うと体調も地震もどう備えれば良いのか見当もつかないし、四六時中気を張っているのも無理である。

気晴らしにまだ余裕はあるがガソリンを入れに行った。このところ価格が高止まりしているようである。産油国の増産が小幅になる見通しからだ。通勤に使うことも無くなったので純粋負担である。どうしても耐えられなくなれば車に乗らなくても死にはしないが相当不便にはなる。しかし、5年くらい前ハイブリッド車に乗り換えてからは燃費は確実に倍以上になった。季節によっては軽くリッタ―20㎞を超える。単純にはガソリン代が半分になったのと同じだからガソリン代の値上げも昔ほど敏感にはならない。燃費の悪い大型の輸入車は大変だろうと思うが考えて見るとそんな人は燃費など気にしていない。

相変わらず物価上昇目標2%の看板を上げ続けている日銀はガソリン価格の上昇で物価が上がれば喜ばしいのだろうか。物価上昇目標を腑に落ちないと感じるのはガソリンの値上げの時である。贔屓にしていたガソリンスタンドは1年ほど前潰れてしまって一旦更地になった。良く見ると1000坪くらいは有りそうな広大な土地であった。そこに別ブランドのガソリンスタンドが大手コンビニを併設して開業した。ガソリン単価が新たに給油し出したセルフスタンドより3円くらい安い。しまったこちらの会員になるべきかと思ったが1カ月位後には逆に3円くらい高くなった。その後も高値が続いている。開店セールだったのか会員客集めのために敢えて安くしていたのか、インチキはいけません。取るに足らない日常である。


サンドイッチマン

2018-06-26 08:24:56 | 日記

小咄がある。

ひとりの人食い人種がシャンゼリゼ通りを散歩していたが、そのう内警官の傍に寄って訊いた。

―ちょっと教えてもらいたいんだけど、サンドイッチマンは何処に居ます?

こんな小咄を考えた奴はノーベル文学賞ものだ。(最近何冊が受賞者の本を読んでみたが自分には合わない。)ロンドンとかパリには色んな人種の人が居るからシャンゼリゼに人食い人種が混じっていても不思議ではない。多分小咄の発想はサンドイッチマンが先にあって、食べ物の名前が付いているけど食べ物では無い。いや待てよ食べる人も居るかも知れないと繋がっていったのだろう。小咄というのは多分口承によって長い年月、多くの人の手が加えられ洗練されて出来上がったのだろう。一発でこの短い話を思いつく者が居たら確実にノーベル賞級である。一番良く似た物は多分漫才のツッコミとボケ(オチ)であろう。こちらは台本書きが居たり漫才師自ら作り出したものであるから一発とも言えるが、残念ながら小咄ほど凝縮されてはいないし、身振り手振りが話の面白さを演出しているから純粋に文字にするとそれほど面白くないかも知れない。ノーベル賞は無理である。

漫才師といえばサンドウィッチマンが圧倒的に人気もあり、面白さも随一である。彼らのライブチケットがネット上で転売されている、昔で言うならダフ屋商売だが、伊達みきおのコメントは一々洒落ておりしかも常識を弁えた大人の意見ある。彼らは汚い言葉も、下ネタも、相方の頭を殴る事も裸で笑いを取ることはしない。あくまで場面設定と会話で楽しませる。漫才の王道であり、多分仲間内や大御所と言われる人達も彼らには勝てないと思っているのではないだろうか。漫才師も人気が出るとMCをやったり、ピンで活動したりするが、大抵は話が面白くも何ともない。寧ろボキャブラリーの不足、常識の欠落、勉強不足が目立つ。たまに文化人枠で世間を評論したりすると、コイツ何感違いしているのだと腹さえ立つ。サンドウィッチマンはパリにさえ行かなければ安全で将来きっと冠番組でMCをやるだろう。エンタの神様に出た頃から好きな漫才師である。

TVを見ていると時々感心することがある。今美しい話し言葉の代表格と言えばマツコDと料理研究家の土井義晴氏ではないかと思う。どちらも聞いていて素直になれる。無駄な言葉がない。相手を思いやっている気持ちが伝わる。衒いがない美しい日本語を喋る人達だと思う。マツコDはどちらかと言うと中性的な言葉使いで、土井氏は上品な関西言葉である。食レポに近い出演も結構あるが安心して見て居られる。居酒屋放浪記で風采の上がらない(失礼、個人的感想です)男が酒と肴でウンチクを垂れる番組もあるが、林家正蔵のご近所訪問のような爽やかさも孤独のグルメのナレーションのような表現力も無い。狙いかも知れないが新橋界隈に結構居そうなオジサンのウンチクである。ブログとは云え、何時かは過不足が一字もなく、それでいて自然な文章を書きたいと思っている。