10連休も後半に突入である。今日は朝から快晴で風もなく暖かい。行楽には最適だが何も国民の休みの日に混雑覚悟で出掛ける必要もない。TVを点けると各局が高速道路の渋滞を放送している。予め何処で渋滞が発生するかは分かっているが今年は連休が長く、何時どこで高速利用者が急増するかわかり難いようである。場合によっては登り(東京方面へ)と下り両方が混雑する場合がある。連休前半に出掛けて東京方面へ帰ってくる人、前半は天候が悪くて外出を控えていたが、さあ後半は出掛けるぞと下りに乗る人である。何れも運転しているお父さん方は大変である。SAでインタビューに応じている人と成田空港や新幹線ホームで楽しそうに答えるのとは大違いである。勿論SAでのインタビューの方にシンパシーを感じる。何とかは蜜の味というものか。
高速道路の渋滞は電力系統の混雑(Congestion)に似ている。電力の自由化により多くの事業者が系統を利用するようになる。ある地域の系統にあまり多くの事業者が連系すると局所的な重潮流や需給の不均衡が生じる恐れがある。この混雑ポイントで交通整理のお巡りさんのようにスムーズに車の流れを制御するのが系統運用の技術だが変動型再エネ(太陽が風力)が多量に導入されると結構難しい運用となる。ただ大本にあるのは自由に整理できるだけのインフラが整っているかどうかである。潮流を他の系統に流そうと思っても送電容量が足りないとか、需要がないとかの問題がある。例えば九電で供給過剰となって、大消費地の関西圏に送電しようと思っても間の中国管内の送電容量が足りないと送ることはできない。高速道路で言うと渋滞緩和のう回路が無い、ミッシングリンク(生物学で進化の鎖が途中で途切れた状態)状態である。
渋滞ピークに合わせて道路網を整備することは経済合理性(利用率の点で)がない。同じように電力系統でも混雑ピークに合わせて送電インフラを整備することはできない。業界団体ではエネルギー問題は地産地消ではなく、産地直送、発電ポイントから大消費地に送電する送電網増強が必要と主張した時期もあったが、経済合理性と一体誰がそれに投資するのか、税で賄う場合、通常は利用率の低い送電網に国民は納得するのかという論に阻まれてしまった。
連休の高速道路の渋滞ニュースを家で冷ややかの聞いているへそ曲がり孤老が居るように、電力の出力制御を同じ気持ちで見ている人が居るのだろうか。50年先を思うと電力網の方が無駄にはならないように思うが。高速道路は多分コンクリートの塊というより無人運転可能なハイテク道路に変貌していくのだろう。