暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

道を尋ねられて

2016-02-22 18:56:42 | 日記
母を彷彿とさせるようなおばあさんが、正面から近づいてきて、道を尋ねられた。

私の住まいの近所ではなく、遠くの眼鏡屋さんに出来上がりのメガネを受け取りに行った帰り道、スーパーに寄り、自宅まで遠き道をはるばる帰ろうかという路上でのことだ。

その近辺は詳しくはないが、何度も来てはいる地域だった。

小さなおばあさんは(私がでかいのだが)、

   「このへんにソフトバンクはありませんか? 『×× 1-2-☆』 に あるらしいんですが。」

母もこんなふうに道を訊いたりしただろうな、と思わせる。

おとなしそうな、品のあるおばあさん。

たったひとりで、ケータイの修理だろうか、ソフトバンクの店舗に行かなければならない状況に置かれて、調べて訪ね歩いてきたんだわ、きっと。

力になってあげられるかな。

軽い脳ミソをぐるぐるフル回転してみる。

あ、そういえば、西友のそばにソフトバンクあったわ、と思い出す。

私は、ケータイは以前はソフトバンクだったが、今は違うので、その店に入ったこともない。

もしかしたら・・・、一応話してみるか、と思い、

   「この道の上の交差点を・・・」 
     
      (今来た道のうしろを振り返って指差す)  

   「今、車が出てきたところですか?」
 
      (そうか、手前にも信号があるか、そこじゃないわ・・・)

   「いえ、その上の。 この坂の頂上に、青い建物ありますね、

    そこが大きな交差点になっています。

    その交差点を右に行くと、たしかソフトバンクがあります。」

   「あ、そうですか」

   「もう少し、近づいたら、またお聞きになってみてください。」



おばあさんは、坂を登っていった。

路上に人はぽつりぽつりいるので、もっとよく知っている人に出逢えれば、確かな情報でお店に向かえるだろう。

私の記憶違いでないといいけど・・・。


うちに帰ってから、ネットで検索してみた。

あった、あった。

私の思っていた店舗はまさしくおばあさんが探していた「×× 1-2-☆」にあるソフトバンクだった。

良かった

おばあさんに無駄足をさせずに済んで。


私は、ケータイでネットは使用しないのだ。

今まで読んでくださったかたが、なんでケータイで調べてやらないの?と疑問に思われたかもしれないが、私のケータイはメールと電話だけの限定で使用しているものなのだ。

おばあさんは、ソフトバンクについて、ご用は解決したのかな。


私は、人が良さそうに見えるのか、そのはずもないのに、よく道を尋ねられるのだ。

就職の面接で、採用になった後日に、「優しそうに見えたから」と言われたことがあるが、私はまったく優しくないのだ。

不親切ではないが、人にやさしい人間ではないと思っている。

それがなぜ道をよく訊かれるのか、不思議なのだ。


おばあさんに、運よく道案内できてよかったわ

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アクセスの多いページ

2016-02-20 21:11:52 | 日記
Googleの「リアルタイムアクセス解析」を利用させて頂いてから、しばらく経つ。

私のブログのどのページにアクセスして読んでくださっているのかがわかる。

それを見ると、日記の日付はすごく前なのに、よく登場してくるページがある。


それは、「マツコ・デラックスさん」というタイトルのページだ。


マツコさんが出演している怒り新党の中の話を書いたものなのだが、検索サイトで、「マツコ 一人っ子」と入力して検索してくれた方がよくご訪問されるようなのだ。

2013.5.11のもので、3年近くも前なのに、番組でおもしろかったことを書いたら、今でもその記事を読んでくださりにくるかたが、ほぼ毎日何人かいらっしゃる。

マツコさんの人気はそのころから衰えていないどころか、レギュラー番組は増えている。

みなさんがマツコさんに注目しているので、いまもって検索からご訪問して頂いていると思う。


私自身、読み返すと、「へえ~、そうなんだ」と思う。



もうひとつ、よく検索から来ていただいている記事がある。

それは、ざつがみを資源ごみに出すときに入れるリサイクル袋の作り方を、小金井市が案内しているページにリンクをさせてもらった「ざつがみリサイクル袋」というページだ。

ざつがみを回収の日に出すとき、私の住む自治体では、紙袋に入れて、ひもで十文字にしばって出すことになっている。

しかし、紙袋は、そうそううちにあるものでもないので、小金井市が新聞紙を折り紙して、糊をつけて、リサイクル袋を作成するように説明してくれている。

それをたまたま見つけて、リンクしたのだ。

リンクも行けなくなっていることがあるので、ときどきメンテナンスして、リンクに飛べるようにしている。

これは、2013.7.15の記事だ。


とてもありがたいことなので、みなさんがアクセスしたくなるような記事を書けるように、これからも励んでいきたいと思う。

またよろしくお願いいたします。


いつもありがとうございます 

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人間が死ぬということ

2016-02-19 23:22:13 | 

『看護婦が見つめた人間が死ぬということ』 宮子あずさ著 を 読んだ。



                


宮子あずささんは、この本を書かれた1994年、経験8年目の看護婦さんだった。

内科病棟に勤務し、そこでは高齢者の入院が多いため、年間50人前後の方が亡くなっていた。

職業柄、人より多くの死をみとるうち、自分がいずれは死ぬことについても、受け入れられ、それを受け入れるための考え方を、身に付けられるような気がすると述べている。

「死は新しい世界への旅立ち」という考え方に至ったそうだ。


今、看護師さんと呼ぶべきところだが、当時は看護婦さんという呼称で、私の年齢の者にとっても、「看護婦さん」という包容力をイメージさせてくれる呼び名のほうが温かさが感じられ、本にしたがって、ここでは、看護婦さんとあえて書かせていただいている。


内科病棟の看護婦さんたちの間では、仕事の休憩中などに、時々『自分が死ぬなら何の病気がいいか』『絶対避けたい病気は何か』といったことが話題に上るのだそうだ。

それによれば、死ぬならこれ、と出てくる病名は、一気に決着のつく脳幹部の出血、なのだという。

「ぽっくり願望」は、看護婦さんのあいだにも、根強いものがあると。

反対に、これだけは避けたい病気としてあがるのが、肺がんと膵臓がんなのだそうだ。



肺がんは、モルヒネで痛みは取れても、肺に息が入っていかない息苦しさは、いかんともしがたい。


膵臓がんは、その痛みが強烈な場合が多いという。


胃がん、肺がん、大腸がんなどでは、その臓器そのものが痛む場合よりも、周囲の神経に浸潤したり、骨に転移した部分が痛む、ということが多く、臓器そのものの痛みとしては、膵臓がんが何より痛そうな印象がある、と書かれている。



一方、高齢になればなるほど病気にはなりやすくなる。

だから、死因が老衰という、厳密に加齢による衰弱だけで死んでいく例はほとんどないのだそうだ。



病院に運び込まれて意識がない一番悪い状態でもうろうとしていた間のことは、患者さんは忘れていることが多いという。

その状態から意識が戻ったある患者さんは、”一度死んだ”体験から、


  「死ぬ瞬間って、別に痛くも何ともない。

   たいへんなのは、そこに行くまでの苦しみだ。

   その苦しみだって本当に短い時間で、それほど

   大したことじゃなかった。」

と、話していたのだそうだ。



私は、幼いころ小児喘息でよく床についていた。

大人になってからも、20代に長いこと病んでいて数年間働けなかった時期もあったし、病気やけがで手術を2回して痛みに堪えて、治療の成果でまた普通の生活に戻れるようになったことを経験している。

小さいころから、病気は治すもの、元気になってまた日常にもどるもの、と思ってきたので、死にたいとか、このまま死んでしまったら楽だろうか、とかそういう考えが頭をもたげることはなかった。


病気が苦になって、「俺は死ぬんだぁ!」と叫んだ人を身近に聞いているが、私は、そうならないような気がしているのだ。


60年も生きていると、身内の死に何度かであうが、死は生きていたときの苦しみから解放されて別の世界へ行く、と思える。

その意味では、宮子さんの「死は新しい世界への旅立ち」に共感できる。


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確定申告あれこれ

2016-02-18 19:21:14 | 日記
きのう、税務署に確定申告書を提出に行った。


税務署に着くと、庁舎の外の庭にうねうねと長蛇の列があった。

例年は、還付の申告が多く、確定申告期間前の提出をするのが常だったので、提出は窓口に行けばすぐ受領印を押印してくれて、はい終わり、となるだけだった。


この日は、確定申告の受付期間が開始したばかりなので、相談作成をする列と、提出だけをする列のふたてに別れて、長い列を作っている。

相談のほうの列は提出の列の2倍くらいの人で庭を埋め尽くしていた。

並んでいるひとたちは、年金受給者なのか男性の高齢者が多い。


いつも長い列を見ると、

    「日本人は小さいころから集団教育を徹底されているからか、
     こうして並ぶことにも おとなしくルールを守り整然としているなあ。
     教育の効果だわ」

と思う。


友人に、列やごみの分別などのルールが従順に守られているのは教育の効果だと思う話をしたことがあるが、その友人は

    「当たり前だと思う」

と話していた。

当たり前だと思うところが、教育の効果ではないだろうか。


自動販売機が日本にたくさんあるのを海外の人が驚くと聞いたことがある。

途上国では、自動販売機ごと持って行かれてしまうこともあるからだという。


さて、税務署では、その長蛇の列で じじっ、じじっと前に詰めてようやく順番が来て、提出したが、この日はじつに疲れた。


列に並んでいた人から、係員になんの苦情もなかったかというとそうではなかった。


提出対応専用ののプレハブの出口の外のとびらのそばに、書類用のポストがあった。

ポストは人の列で、遠くからはよく見えない。

係員が、質問者に答えているのを聞いていると、申告書を提出する際に、税務署の受領印の押印が必要なければ、クリアファイルに提出用を入れて、ポストに入れてくれれば、今日の提出になります、ということだった。

列の中にいた人がそれを聞いて、そんなことはもっと列に並ぶ前に知っていれば、並ばずにポストに入れたのに、もっと税務署の入口に近い所で話があるべきじゃなかったのか、もう列も前に進んでしまったので、このまま並ぶけれども、私は受領印なんかいらなかったのに、と係員に話していた。

男性の高齢者だった。

帰りに外に出たときは、係員はその苦情を言った利用者の意見を入れて、なるべく列の最後尾のそばで、案内をしているようだった。


係員は、銀行に確定申告書を見せなければいけないとき(借入金のようなとき)には、受領印が必要だが、特にそのようなこともなく、受領印が必要ないというかたは、ポストに入れてください、と説明している。


だが、会計事務所に8年余り勤めていた私としては、受領印はもらっておいたほうが良いと思う。

列に並びたくなければ、確定申告書の控えの1枚目だけでも提出用の原本に付けて郵送して、返信用の切手を貼った封筒を同封すれば、受領印を押印して返送してくれる。

提出と同時でないとあとからは、受領印は押してもらえない。

あとから、受領印が欲しかったのに、は、できない。

それを考えると、この先、なにがあるかわからないのだから、確定申告書には受領印は是非もらっておいたほうがよい。


ついでに言うと、確定申告書の控えは、添付の確証をできる限りコピーしておいたほうがよい。

医療費の領収証はコピーを全部取るのはきついから、会計事務所でもコピーは取らない。

そのかわり、医療費はExcelで、表をしっかり作成する。


話はそれるが、会計事務所では、こんなこともあった。


税務署から電話がかかってきて、「●●についての証明がない」というのだ。

そのかたのファイルを出してきて、見てみると、控えの確定申告書に、たしかにその証明のコピーがとじ込まれている。

電話に出た会計事務所の担当者が、コピーはこちらにあると回答すると、税務署が、それをFAXしてほしい、という。

要するに、税務署で、その確証を紛失したのだ。


そういうことも人間がすることだから、起こりうる。

まして、税務署では、確定申告の書類を点検するのに、パートや派遣のひとに大勢協力してもらって、大量の申告書の添付資料を整理する。

その過程のうちには、はずれてどこかに紛れてしまっても無理はない。


「少額無視」というのもあるから、多少の金額で大勢に影響がないものなら、紛失しても、申告されたものをそのまま信じてスルーするケースもあるだろう。


税務署に法人の法人税の確定申告書を提出することも会計事務所の毎月の仕事だ。

会計年度の期末が同じ法人が何社かあれば、その数だけの確定申告書をまとめて税務署に提出に行く。

大量の月もあるわけだ。

法人の受付の窓口で、またこれ大事な受領印を正、副、控と押してもらって、こちらとしては、それをじっと見ている。

押し忘れがないか、お客さんの申告書だ、真剣に見ている。

そして、ひととおり押してもらって返されると、別のテーブルに並べて、ひとつずつ受領印の洩れがないか、点検する。

すべてもらった!と、会計事務所にバスに乗って帰り、会計事務所の先輩職員に見せて確認してもらう。

あっ!

もらってきた控の申告書のうち、ひとつは正本のほうだったのだ。

税務署職員から渡された申告書が、提出用だったのだ。

税務署職員も、現場で点検した私も、作業が慣れで行ってしまったか、まさかそんなこと起こるとは思わなかったか、ケアレスミスだ。

あわてて、税務署に電話をして、またバスに乗って税務署に行き、交換してもらった。

そんなこともあったな、いま思い出した。



話が税務署の延長になるが、役所はサービスでいいこともしてくれる。

源泉徴収票というのは、4枚くらいの複写になっていて、本人にも1枚くれるが、勤務先が税務署に提出する対象の人でなくても、住所の市役所・区役所には複写のうちの1枚は必ず送る。

たとえば、関東に出稼ぎに来ていて、住民票が青森ならその町役場にも郵送する。

だから、収入が少なくても、住民票がある役場はその人の給与の収入ならつかんでいる。

まあ、蛇足だが、勤め先がそうすることをあえてしないでいるなら、役場は収入をつかめないともいえる。


それで、こんなことがあった。

ある家庭のご主人(▲▲さん)について、区役所から電話が会計事務所にかかってきた。

「▲▲さんの奥さんは、年収が×××円以下なので、▲▲さんの配偶者控除に該当しますから、それで計算して頂ければ、税金がもどります」

と、わざわざ知らせてくれたのだ。

所得税は税務署なので、区役所は住民税のことで知らせてくれたのではあるが、当然、所得税にも反映する。


というわけで、会計事務所は、ご本人の確認をとって、訂正して提出した。


役所は、住民から取ることばかり考えていそうにも思うが、住民が損にならない配慮もしてくれている。
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50年前のおひなさま

2016-02-17 20:19:34 | 日記
10年以上前だったと思う。

実家にある50年前に両親に買ってもらって、その後もらう娘も孫もなく、ずっと押し入れにあったひな人形を、部屋に余裕ができたので、私がお内裏様だけもらいたいから、送ってください、と言ったら、母が大きな風呂敷包みに品物ごとに箱に詰めて、私のマンションまで電車で運んできてくれた。

宅送するものと思っていたのに、突然持ってきてくれた。

開けて見ると、お内裏様の台座が間違っていた。

というより、不足していた、というほうが正しいか。

母に説明したがおひなさまの詳細は記憶にないようで、帰ってから見てくれることになった。


お内裏様のは、他の人形と比べて、台座が布張りになっていて、少し位が高いように表現してあるものだった。


母に電話で説明してもよくわからないようだったが、送ってくれた。

正しいものが届いた。


もともとは、5段飾りくらいのものを、お内裏様だけ、と言ったので、金屏風、ぼんぼり、おひなさま(お内裏様だけ)、お道具、橘、桜、緋もうせん。

そのくらいでお願いしたものだった。


もらってから数回は飾ったのだったが、だんだん部屋が狭くなったのと、忙しいとか、気持ちにゆとりがないとか、もろもろの事情で、めったに出して飾らなくなっていた。


今年は、私がおしゃれしたりする女子力の上がってきたこの時期でもあるし(自分で言うか)、なんか出してもいいかな、という気持ちになった。

とはいっても、パソコンやデスク、本棚のある部屋にしか置けないので、このパソコンの横に、折り畳み式のテーブルを置いて、お雛様を飾った。

回りが、書物や雑多なもので、風情がないのが残念だが、こんな感じでも、春を迎える気分になった。


子供の頃、両親が大きな箱を持って帰ってきて、畳の部屋に、庭から箱を運び込んだ。

私たちがとても欲しかった雛段飾りのおひなさまだった。

おひなさまを飾ると、うれしかったときを思い出す。


残りのお人形は、実家を片づけたときに、処分することになってしまった。




    




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