暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

こんにちは赤ちゃん

2016-02-27 19:51:48 | 日記
2016/2/25 に テレビ東京 木曜8時のコンサートで、懐かしい歌が流れてきた。

パソコンから飛んで行ってテレビを観た。

梓みちよさんの「こんにちは赤ちゃん」だった。

昭和38年のヒット曲だ。


こんにちは赤ちゃん  梓みちよ


この歌は、私が小学2年生の時に流行った歌で、このころ うちでは、年の離れた弟が生まれた。

私の家族は、嫁姑や父の弟(叔父)、父の妹(叔母)も同居していて、諍いが絶えなかった。

子供の私は家庭のいざこざにいつも胸がふさがる思いをしていた。

だが、弟が生まれる、というので、そのような家族の中でも、喜びに満ちていた。

本当にうれしかった。

この曲を聞くと、「お母さんに赤ちゃんが生まれる」と、楽しみで楽しみで生まれる日を待ち望んでいた日を思い出す。


当時だから、生まれてから男の子だと知った。

女系家族の中に、男の子が生まれた。

いつも赤ちゃんのそばにいた。

こおりの中に、お布団を敷いて、赤ちゃんを寝かせていた。

おしめを変えたり、哺乳瓶でミルクを作るのを手伝った。

この歌は、父がドーナツ盤のレコードを買ってきたので聴いていた(ような気がする)。

(テレビで流れていたのを聞いていただけかもしれない)


うちには子どもがいないが、赤ちゃんが生まれる、というのは、幸せの絶頂なのだろうなと、想像がつく。

赤ちゃんのときに手がかかるだけでなく、幼児期になればお弁当を毎日作り、食べさせたり、着せたりの、日々の成長とともに、その時々にどんどん育児が増えていく。

だが、子どものころより、青少年になれば なったで、進学や学生生活に伴う様々なことに親は心を砕く。

身近なご家庭の、お子さんの成長を見ていると、私が学生の頃や、大人になって病気をした時の頃に、私の親もずいぶん心配してくれたのだろうな、とありがたく思う。

もうその親も今はいないが、感謝のことばなどほとんど伝えたことがない。

嫁入りのときの挨拶もあらたまってはしなかった。

親不孝な娘だったなと、もう遅いことだが、還暦のいまになって思うのだ。

コメント
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