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暮らしの差し色

はてなブログにお引越ししました

来客

2013-02-08 19:32:28 | 日記

今日は、約束していた生命保険会社の女性が2名やってくる日でした。

うちは、3LDKで、お客さんを通すなら、リビングダイニングしかありません。

ダイニングテーブルは夫が膝を悪くしてから、去年購入したもので、正方形のもので2人用です。

2名来られるなら、どうしようか、と思案しました。テーブル用のイスは2脚しかないのです。

かといって、かつて食事をしていたリビングにある長方形の座卓は、夫が足と肩が痛いため、
一度座ると容易には立ち上がれないので、結局、ダイニングテーブルに、パソコン用のイスを
2脚持ってくることにしました。

来客があるなら、と、時刻が近づくと今まで好き勝手に過ごしていた二人が、もくもくと、
はき掃除、目立つ荷物を隣の和室に隠す、など動き始めました。

ふだん、物は出しっぱなしの夫も、片づけるとなると徹底しています。

みるみる物が和室に隠され、ごみ箱まで持って行ってしまいました。

着替えも済ませてあとはお客さんを待つばかり。


フローリングの床もスッキリと広くなって、お客さんの来訪です。


チャイムが鳴り、インターホンでエントランスのドアを開け、玄関に行って、来るのを待ちます。

入られたお二人は、お世辞でしょうが、

「わぁ、きれい!」

と、玄関と廊下の見えるスペースをほめました。

「スリッパどうぞ」

「失礼しまーす」

「どぞどぞ」

めったにお客さんなんぞ呼ばないうちなので、ちと抵抗はありますが、話が展開して
いきました。

医療保険の説明を受け、今まで加入していた生命保険の入院特約の部分を医療保障の保険に
変更することにしました。

前日に二人で話し合ったところでは、今日の訪問では話を聞くだけで後で考えようとしたのですが、
今は目の前で記入しなければいけない規則に法律上なっているということで、わりと早く夫が加入を
決意して、私もこれならいいんじゃないかと思っていたので、変更を決めました。

20年以上前に入った入院特約よりはるかに保障が大きくて、昔の保険は5日間以上入院して
5日目から初めて保険金が出るものでしたので、変更するには本体の死亡保障の保険の支払いが
終わるのを待つより、少しでも若いうちの今がいいだろうと思いました。

私も3級ですがFPの端くれなので、ほんの少しは分かるような気がしました。

損な話ではありませんでした。



話も終わるころ、来客用の湯呑茶わんにお茶を入れ、差し上げました。

契約書の記入がすむと夫は眼科の用があったので、出かけていきました。

そのあと、奥様にもご提案が、ということで、3人で話し込んでいましたが、途中2度ほど夫が
電話してきて、そのうちお二人は帰られ、一人になった私は、隠してあった物品をリビングに戻して、
もとの雑然とした部屋に直りました。


きれいに見える部屋は、物がないわけで、きれいだからいいかといえば、不便です。

便利だと物をあちらこちらに配備して、ごちゃごちゃと醜いです。

でも、それでいいんじゃないですか?

 
どのお宅でも、ご経験がおありではありませんか?

よそいきの部屋のときと、ふだんの部屋のときがあって当たり前で、常に物がどこかに
収まっていたら、日常、不便じゃないですかね。

必要なものをいちいちどこかから出して、使ったらまた元に位置にもどしにいくわけですから。

手を伸ばせば、欲しいものがすぐ手に届く。

これで過ごしやすいと言えませんかね。


あー、言い訳がましいっっ!





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シクラメン その3

2013-02-07 19:20:17 | 日記

2013.1.6   つぼみが立ち上がった頃

   


  
2013.1.17  花が開き始めました

   



2013.2.6  3年ほど前の種から育ったシクラメンが今年ようやく たくさんの花を
      咲かせてくれました。





親の球根はここに引っ越してくる前に買った花が咲いている鉢でした。

12年以上は前のことです。

花が終わった花殻を摘み取ったり、枯れた葉を取り除いたり手入れをします。

花の季節の前は、花が咲くのを促進する化学肥料をあげたり、油粕のキューブを土に
差し込んだりして、1年間、花の時期を待ちます。

園芸はなんの知識もなく始めたので、まったく自己流でした。

水もやりすぎては根腐れしてしまうし、水が足りなくても、枯れてしまうし、
世話はかかります。

でも、最近、シクラメンは夏に全部枯れて休眠することを知りました。

いったん全部枯れて、また葉になる芽が出てきて、シャワシャワと葉が増えていきます。

枯れてしまったと、がっかりしていた年もありましたが、枯れても休眠だからよかったんですね。

でも、この実生(みしょう)のシクラメンが種から育つ前に、たくさん実をつけた親の球根が
土の中で腐ってしまったときは、とても悲しかったです。

水をやりすぎてダメにしてしまったと思ったのです。

ですが、花殻をつけたままにしていたので、種が実って、親の役目を終えたのでした。


私にとっては、シクラメンは、花屋さんで買ってくるものではなく、育てて咲かせる花です。


独身のころ、実家では花を鉢で育てるなんて、まったくできない私でした。

母も、花を育てるのはできませんでした。

母は勤めていたので、忙しかったからでしょう。

私も鉢に水が足りないのを見計らって水をやるなど、花に愛情をかけることもなかったのです。


結婚して、何年かして、バルコニーがある住まいに住むようになって、プランターと植木鉢で
植物を育てるようになり、水やりを気を付けるようになりました。

私が入院したときは、夫へのお願い事項に、風呂の水を3日に一度でいいからあげてね、
と頼んでおきました。

私が帰ってきたときに枯れていたら、がっかりすると思って、夫はお水をあげてくれていました。

夫に感謝です。


もうひとつ ついでに退院したときに感謝したことを書いておきますと、私が30代で
入院したときのことです。

洗濯機の使い方も説明しておきましたので、何度か洗濯機を使って洗濯したそうです。

退院して家にもどったとき、夫のたんすの引き出しをあけると、私がいつもソックスを
1足ずつそろえて、組みにして、くるりと足首のところでくるんで 1足にセットするのをまねて、
じょうずではありませんでしたが、夫がやったものだと明らかにわかる出来具合で、
くるりと回してくるんでありました。

それを見て私は、入院している間、夫を一人で不自由させて申し訳なかったと思うと同時に、
不器用な夫がこんなこともやっていたんだ、と胸がつまって目頭が熱くなりました。

お見舞いも来られる日は必ず来てくれました。

ありがたいことでした。


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クリックありがとうございました。




デジカメ

2013-02-06 18:29:46 | 日記

きのう小都会に行って、確定申告の提出と市役所に国民健康保険の保険料試算の依頼をしてきました。

そのあと、ビック●メラで、デジカメ  を購入しました。

何を隠そう、デジカメを買うのは初めてでした。

(「おっそーっ!」と心の中で思ったでしょ。)


以前、デジカメ買いたいな~、どんなのがいいのかもわからないしな~、と友人に話したら、

「自分のデジカメは買い替えたので、捨てようと思っているのがあるから、
 練習用に使ってみたら?  送料負担してくれたら、送るよ。」

と、ただでくれた物を、ほんとに練習用で使っていました。


今まで、フィルムのカメラを重宝して使っていたので、デジカメの必要もさほど感じていませんでした。

近年、町でフィルムのカメラで撮影している御仁を拝見したことがなく、私のフィルムカメラで
シャッターを押していただくのを道を行く方に

「この黒い丸いボタンを押してください」

とお願いすると、

「ここを押すんですか?」

と確認されてしまうほど、フィルムのカメラをまだ使っている人がいて驚いたと
いうようにも見えました。

(気の回しすぎかもしれませんが)

ファインダーなんて言葉も、死語ですかね、若い人には。

でも、使い捨てカメラはまだ健在のようですから、使い方は若い人でもご存知ですよね。


また、逆に、デジカメのシャッターを押すことをこちらが頼まれると、ついカメラを
自分の目にくっつけて、

「アレ? どこからのぞくんだ??」

と、前世紀の遺物の人間のような疑問を感じたものです。


新しく買うことにしたのは、友人のカメラの充電池を充電しても1枚撮るのもやっとというくらい、
消耗が激しく、充電池が役に立たなくなってしまったからです。

それと、友人のデジカメはXDカードに保存するタイプで、それは、うちの古いパソコンでなければ
読み込みができないので、

 古いパソコンに読み込む、

 USBメモリーに読み込む、

 普段使っているパソコンに取り込む。

こうしてやっと、写真が利用できるという手間のいる作業でした。

それで、この充電池を買うのも数千円かかってしまうので、なら、デジカメを買おうということになりました。


初心者ですし、機能はたくさんなくてもいいのです。

一度買ったら、長く大事に使うので、1万円以下で店員さんのオススメと うちの用途との兼ね合いで、
決めました。

偶然にも友人にもらったカメラと同じメーカーのものになりました。


これから、ブログに写真を載せていけると思います。




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クリックありがとうございました。




2013-02-05 18:52:55 | 日記

きのうの日記に、天袋から出てきた革の登山靴を姉に送った話を書きました。

あげたのは、もう私は登山靴を使わないと思うからです。


中高年の山歩きは、今とてもはやっていて、かつて参加した山行に来ている方たちは
年齢が高くても健脚でタフな方たちが多かったです。

一方、中高年の方が冬山で遭難、という報道もよく目にします。



私が登山靴を使わないからとあっさりあげてしまうのには理由があります。


2008年5月にアキレス腱を断裂して手術をしたことがあり、もう運動はしないと
決めたことからです。

当時、ブログに書きましたが、それはOCN Cafeで開いていたブログで、
去年、gooに引っ越してきたため、おそらくこちらで読んで下さった方は 
あまりいらっしゃらないと思いますので、重複するかもしれませんがまた書きます。


それは、県の広報で募集があったバドミントン教室に参加したときのことです。

コート上で、後ろに下がりながら打とうとしたとき、岩に乗り上げるような感じがしたと
思ったら、ひっくり返り、足首に激痛がしました。その場にしゃがみ込みましたが、
肉離れをしたのかと思ったのでした。

整形外科の午前の診察は終わり、午後、診療所があくまで時間があったので、
引きずりながら自宅に帰りました。

タクシーで整形外科に行ったところ、診断は、アキレス腱断裂でした。

まだ教室の10日間のスケジュールのうち初日のことでした。


そもそも自分では、これから運動を週1くらいで小学校の体育館でスポーツをするような
健康な体づくりすることを始めようと目指して、応募したのでした。


教室が始まる前は、ラケットとシューズを買い、ガット張りをお店にお願いして、できあがりのときは、
高校時代の懐かしい匂いのするガットに心ウキウキと教室が始まるのを楽しみにしていました。


(なんか、きのう書いた山のハイキングに行く前と私は同じようなことをしていますね。
 「まず装備から」という。 人間、進歩はないんですかね。)


さて、アキレス腱の手術をして、4か月パートを休みました。

5月にけがをして、普通に歩けるようになったのはその年の12月頃でした。

歩くことが不自由なときは、松葉づえのときも、足を引きずっていた頃も、街を歩くと、
ほんの1cmくらいの段差や歩道のブロックの壊れなどがあるだけで、つまづいて
転ぶのではないかと怖かったのを覚えています。

健常者には、街が弱者にやさしくできていないことに気づけないものです。


リハビリも150日間で打ち切りで、まだ上手に歩けていなくても、法律に則り、
終了になってしまうのでした。

断裂したあと、夫には大変迷惑と心配をかけてしまいましたし、もちろん会社にも
出勤できるようになるまで休ませていただいて、仕事はほかの方たちの負担になっていたことは
言うまでもありません。


このとき、私はもう一生スポーツはしない、と決めたのでした。


足にアキレス腱があることを、健康な人は、日常気にもとめずに生活していますが、
手術のあとは、けがしたほうの足はギプスで細い足になっていましたし、アキレス腱が
ここにアキレス腱がありますよ、といつまでも主張していて違和感があり、1年位たって、
ようやく、そういえば、主張していないなと思うようになりました。


その後、歩くことに不自由はなくなり、自転車にも危険を感じることなく漕げるようになって、
いまは、4年半が過ぎて、足の違和感はなにもないですが、人間普通に歩けることが 
どんなにありがたいことかと思います。

日ごろ、運動していなかった私が、スポーツをするからには、その前に体力をつけたり、
柔軟なからだを作る準備の期間がなければいけなかったわけですし、それもなく、高校時代に
バドミントン部だったとはいえ、いきなり50代の私が、バドミントンをしてはいけなかったのです。


そう思うようになって、母からも

「歩けるようになればいいのよ」

と、リハビリしていたときに励ましてくれましたが、80代の高齢の母が私の入院する病院まで
電車を乗り継いでしゃきしゃきと歩いてやってきてくれたのを見ても、歩けることが大事で、
それ以上を求めて、けがをしては元も子もないと思うのでした。


というわけで、私は、痛い思いもいやですし、人に迷惑をかけるのもいやですので、
スポーツや過度な運動はしないと決めました。


スポーツをしなくても、ほかに楽しめることはいくらでもありますから、といっても、私はたいして
これといって趣味もないですが、健康な体でいることが一番大切だと思っています。


そして、最初の話に戻りますが、登山靴はもう要らないということです。



ちなみに、今は、サッカー観戦が好きです。


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クリックありがとうございました。

登山靴

2013-02-04 18:54:44 | 日記

年初からのうちの中の大掃除で、天袋ものぞいてみました。

登山靴が出てきました。


・・・・・・


独身時代の30歳前後のころに、新ハイキングクラブという雑誌の山行の参加者募集に応募し、
実家からそう遠くない近県の山に日帰りでハイキングに参加していました。

寄せ集めのメンバーをリーダーが率いて、数十人が山を歩き、頂上を目指します。

途中休憩をして下界の景色を見たり、列の前後の人と話をしたりして、頂上で昼食を食べるのは
気分がいいものでした。

中には、中年のご夫婦もいて、仲よく頂上でお弁当を一緒に食べている様子は、
とても微笑ましい光景で、私もいつか結婚したら夫婦でハイキングに行きたいな、
と思っていました。

日帰りのハイキングも回を重ねると、もう少し高い山にも行ってみたくなるものです。

若かったから無理もきいたのでしょう。

金曜の夜10時過ぎに発つ夜行バスで行き、土日、山を登り、日曜の夜には帰宅する
という山行に参加しました。

池袋から夜行バスに乗って、翌朝、鳥海山に登り、その次の日、月山、湯殿山を登る1泊3日です。


まず、その前に 装備から用意しようと、山岳雑誌に載っている東京の有名な山の専門店に行き、
革の登山靴、夏の雪が残る月山の登山で使うアイゼンとスパッツ、ニッカボッカ、毛糸の靴下を
購入しました。


父から、アイゼンを使うような山を登るのはよしなさい、と忠告されましたが、
もう申し込んでいましたし、父の若いころのリュックを借りて、行きました。


私にとっては、ハードなハイキングでした。

バスも観光バスとマイクロバスの2台だったのですが、若い人は座席が狭くてきつい
マイクロバスに乗ることになっていました。

夜行バスでは ほとんど眠れず、車内は暑くなったり冷房が効きすぎて寒くなったりの
乗り心地の悪さで、朝、現地に着いてすぐの登山で、その日は本当にきつかったです。

月山含む出羽三山では、直立の長い鉄のはしごをひたすら降りるという怖い体験もしました。



もし、足を滑らせたら、下に大勢連なる人たちも危険なので、高所恐怖症の私は必死でした。

夜行バスは帰路は渋滞で、結局、解散地の池袋には月曜日の未明に到着し、タクシーで家に帰り、
仮眠して出勤しました。


その後、時を経て、結婚しましたが、夫と山に行ったことはありません。

公園でお弁当を広げることは、付き合い始めてからも結婚後も多かったですが、
ついぞ山には行きませんでした。

「でした」というのは、夫は40代で軽い脳梗塞を患い、山歩きをできる足では
なくなってしまったからです。

今は、後遺症はないですが、加齢で、膝が悪く、自転車での移動のほうが楽で、
徒歩で長い距離はでかけません。


「結婚したら夫婦で山にハイキング」という希望はかないませんでしたが、「結婚したら、
独身時代に長崎で買ったワイングラスでワインを飲む」 というのも独身の時からの夢でした。

これは、夫が飲んべいなので、かないました。


でも、いまは、食事制限でお酒が飲めないので、またこれも、できなくなりました。

別に、夢がかなわないから、だからどうということもなく、一応平和に暮らしているので、
構わないのですが、若いころは夢を描くものですね。


・・・・・


天袋から出てきた登山靴は、私はもう使うことはないと思いましたので、姉にメールで、
使うか、聞いたところ、「ください」という返信でしたので、今日、郵送しました。


要らないと言われたアイゼンは手元に残りました。





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