暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

登山靴

2013-02-04 18:54:44 | 日記

年初からのうちの中の大掃除で、天袋ものぞいてみました。

登山靴が出てきました。


・・・・・・


独身時代の30歳前後のころに、新ハイキングクラブという雑誌の山行の参加者募集に応募し、
実家からそう遠くない近県の山に日帰りでハイキングに参加していました。

寄せ集めのメンバーをリーダーが率いて、数十人が山を歩き、頂上を目指します。

途中休憩をして下界の景色を見たり、列の前後の人と話をしたりして、頂上で昼食を食べるのは
気分がいいものでした。

中には、中年のご夫婦もいて、仲よく頂上でお弁当を一緒に食べている様子は、
とても微笑ましい光景で、私もいつか結婚したら夫婦でハイキングに行きたいな、
と思っていました。

日帰りのハイキングも回を重ねると、もう少し高い山にも行ってみたくなるものです。

若かったから無理もきいたのでしょう。

金曜の夜10時過ぎに発つ夜行バスで行き、土日、山を登り、日曜の夜には帰宅する
という山行に参加しました。

池袋から夜行バスに乗って、翌朝、鳥海山に登り、その次の日、月山、湯殿山を登る1泊3日です。


まず、その前に 装備から用意しようと、山岳雑誌に載っている東京の有名な山の専門店に行き、
革の登山靴、夏の雪が残る月山の登山で使うアイゼンとスパッツ、ニッカボッカ、毛糸の靴下を
購入しました。


父から、アイゼンを使うような山を登るのはよしなさい、と忠告されましたが、
もう申し込んでいましたし、父の若いころのリュックを借りて、行きました。


私にとっては、ハードなハイキングでした。

バスも観光バスとマイクロバスの2台だったのですが、若い人は座席が狭くてきつい
マイクロバスに乗ることになっていました。

夜行バスでは ほとんど眠れず、車内は暑くなったり冷房が効きすぎて寒くなったりの
乗り心地の悪さで、朝、現地に着いてすぐの登山で、その日は本当にきつかったです。

月山含む出羽三山では、直立の長い鉄のはしごをひたすら降りるという怖い体験もしました。



もし、足を滑らせたら、下に大勢連なる人たちも危険なので、高所恐怖症の私は必死でした。

夜行バスは帰路は渋滞で、結局、解散地の池袋には月曜日の未明に到着し、タクシーで家に帰り、
仮眠して出勤しました。


その後、時を経て、結婚しましたが、夫と山に行ったことはありません。

公園でお弁当を広げることは、付き合い始めてからも結婚後も多かったですが、
ついぞ山には行きませんでした。

「でした」というのは、夫は40代で軽い脳梗塞を患い、山歩きをできる足では
なくなってしまったからです。

今は、後遺症はないですが、加齢で、膝が悪く、自転車での移動のほうが楽で、
徒歩で長い距離はでかけません。


「結婚したら夫婦で山にハイキング」という希望はかないませんでしたが、「結婚したら、
独身時代に長崎で買ったワイングラスでワインを飲む」 というのも独身の時からの夢でした。

これは、夫が飲んべいなので、かないました。


でも、いまは、食事制限でお酒が飲めないので、またこれも、できなくなりました。

別に、夢がかなわないから、だからどうということもなく、一応平和に暮らしているので、
構わないのですが、若いころは夢を描くものですね。


・・・・・


天袋から出てきた登山靴は、私はもう使うことはないと思いましたので、姉にメールで、
使うか、聞いたところ、「ください」という返信でしたので、今日、郵送しました。


要らないと言われたアイゼンは手元に残りました。





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