倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

1万年たったらまた会おう!東京の思い出 5

2010-10-02 02:40:31 |  縄文心導ヒーリング
1万年たったら会おう!
荒川修作氏5月19日生物学的死1936~2010

「死なない子供たち」上映会が天命反転住宅201号室でありました。
どのような映画になっているのか、興味深々!「死なない子供たち」はドラマではなくドキュメント映画。

デコボコ床に座って鑑賞していたら、荒川さん風な人が天命反転にいるようなそんな気がしていました。2年ぶりに訪れた天命反転でお花畑にいるような303号室のショートスティは浮気心の境地になる楽しい部屋。
前に住んでいた202号室は深海にいるような、物思う部屋。

私はどちらも好きです。

「死なない子供たち」の舞台になった201号室は日本の昔の家屋の雰囲気のする落ち着く部屋、山岡家で天命反転を知ろうとする人に、わかりやすく作られた映画で感動もの。
天命反転で産まれた想乃ちゃんの出産現場で水晶のような臍の緒を、をお父さんが切る場面は素晴らしく思いました。


「死なない子供たち」上映会後のトークの山岡さんが良かったので紹介いたします。

山岡信行氏

山岡氏4年前に天命反転住宅に住んだ
荒川さんは、ニューヨークに住まれていたが、すぐに反転住宅で会うチャンスを得ました。
荒川さんは「天命反転住宅日記をマメに書いてね!」と言われました。
文字で書くのは大変なのでまとまったら荒川さんに送ろうと思った。半年たってから少しずつ記録を撮ったものを編集しました。

まじめに、この住宅の「とんでもない家」としての実感が出てきました。
「建築する身体」日本語で何を書いてあるのか、一年位して実感として出てきたので、外向けとして映画を作り出した。

「ゆま君のお父さんの映画仲々じやない」と荒川さんに云われた。
完成する二週間前にビックリ!するニュースを聞いた。荒川さんに完成を見ていただけなかった。
宙ぶらりんな気持ちで暮らしている。

あの本のわかりにくさは、自転車に乗ったことも見たこともない人が自転車の乗り方が書いてあってもわかりにくい。
あの本の読み方がある。

読みながら自分を積み上げていく。こう思ったことを崩しながら読まないと、常に動かしながら読まないとわかりにくい。
その頃から身体の変化を感じ出した。身体のフィードバック状況がわかってきた。
身体が食べれる量と体調がわかるようになったし、花粉症も良くなった。体重が8ヵ月で10キロ減った。

心臓は自分のものだけど、コントロールできないことが多数ある。そんなことを日常で体験する。
足の裏がここに住む前と違う。身体のやりとりの細やかさ、鋭敏さが変わってきた。
この体験を裏ずけとしてみれば、あの本はまっとうに書いてあるなと思った。

二人の子供の上の子とここで生まれ育った女の子とは身体の動かし方が違う。
下の子は、この身体の動き何?と思っていたら、武道、柔道の選手の倒れるときの足の感じと似ている。バランスを崩すのを恐れない。

歩き方も力強く歩いている感じがする。
凸凹床で歩き方覚えたので、抵抗のないところで歩くことをしなかったからか、公園に行っても根っこがある所のほうが良い。柔道でもやらせれば、金メダル取れるのでは。(笑)

おのおのの人が荒川論を持ってあるので美術が好きな人から見ると、僕が4年住んだ実感からすると、それは美術作品論ではないかと胸を張って言える。ここは美術ではない実験産的。

死なないというコンセプトは、死なないとはどういうことか?という。そこにすんだ人の共通は、こういうことでだよね!
芸術家荒川修作が作った建築は改めて住んでみて、芸術作品ちかとは、ぜんぜん違うと思う。

ここに暮らして美術館に行ってもあまり感じなくなった。
美術体験は視覚だけでは身体のインパクトはない。前みたいにのめり込めない。アートの意味合いで表現という、ものをもう一つ突っ込んで、奇抜なもの斬新なものではなく、荒川さんは誠意のあるものを作ろうしていたエネルギーを感じた。

荒川さんの天命反転住宅の街つくりを体験したかった。

出演者の佐治晴夫先生 宇宙科学者は揺らぎの専門家。
「この窓って、こうした方が良かったんじやない」と、言われたことがあった。それは前に荒川さんが作ろうしたものであった。
ものを見かたを突き詰めている人は同じ、さすがだな!と思った。


観客の質問 「反転」とは何か?

答え山岡氏
軸は自分自身が持っている常識。「死なない!」というのは本当にそうなの?」オカルトになるので、止めます。
常識を超える。そのときに常識が軸。
死なないということを反転すると、同じ瞬間が二度と訪れない。火曜日が来てまた火曜日が来るが同じではない。
窓が多いここに住んでいると、色々光が変わる。自分の常識をポカンと外される。

本日久しぶりに天命反転にかえってきた。
昔の恋人にあったような、キューンとする気持ちになる。自分の身体、心の一部であったんだなあ~という。
昔話をじっくりしたいなあと思った。

コメント (1)
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