
「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。
「Aさんは空気が読めないんですよ」
これは、先日弊社が担当させていただいたある企業の研修終了後に、研修担当者のBさんから伺った言葉です。
受講者のAさんは一日を通じ、終始前向きな姿勢で研修に臨んでいたのですが、グループ討議などでは周囲のメンバーと議論が今一つかみ合わないような場面が毎回あり、少々浮いたような存在になってしまっていると感じていました。そうした状況を受けて、冒頭のBさんの発言があったのです。それでは、ここで言われているような「空気が読める」とは、どのような状態を言うのでしょうか。
空気を読むとは、その場の雰囲気や人々の感情、暗黙のルールなど言語化されていない情報や感情を察知して、自分の言動を適切に調整することであり、その場にふさわしいふるまいをすることだとされています。日本では、コンテクスト(言わなくても察する文化)に依存したコミュニケーションを取ることが比較的多いと言われています。そうしたこともあって「空気を読めない人」のことを、「KY」(空気が読めない)と評することがよくあります。「空気を読むこと」を重んじる日本において空気が読めないことは、いろいろと困った問題を引き起こしかねないということであり、それを表現するときに使用される表現がKYということなのです。
日本人がこのように「空気を読む」ことを強く求める背景には、島国であることをはじめ歴史的・文化的な背景など様々なものがあるのではないかと思います。このように長い時間をかけて、様々な場面を通じて築き上げられてきた「空気を読むことを重んじる文化」であることから、今後も引き続き重視されていくものであろうと想像できます。
もちろん、空気を読むことには場の雰囲気を壊さない、人間関係を円滑にするなどのメリットもたくさんあるわけですから、一概に悪いことだと言い切ることはできません。
このことに関して、先日放送されたテレビ番組「徹子の部屋」に、脳科学者であり評論家の中野信子さんが出演されていました。ご本人の話によれば、中野さんは子どもの頃から空気を読むことが苦手だったそうですが、あるとき空気を読まない人間は集団の敵になってしまうと感じることがあったのだそうです。そうした経験を経て、空気を読めない人がいるだけで集団にその基準を壊してしまうようなリスクを感じさせてしまい、その人に石を投げてしまうというようなことがあるのではないかと話されていました。
一方で、中野さんは空気を読めない人には普段普通と言われている人には見えないものが見えているのかもしれない。もしかすると見えていないものは価値があるものであるのかもしれないのであり、空気を読めない人は私たちにとって足かせになっているものを壊してくれる人なのかもしれないから、立ち止まってその人が言っている本質的な意味を考えてみませんか、とも話していました。
これからも日本においては、「空気を読むこと」を求められ続けるのではないかとは考えます。しかし、それと同時に空気を読めないことを即マイナスと捉えてしまうのではなく、「もしかしたら新たな価値を切り開いてくれる人なのかもしれない」というように、別の視点も持ち合わせることができれば、みんながそれぞれの力を発揮することができ、生きやすい世の中になっていくのではないでしょうか。