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コンピュータは顧客の何を掴んだのだろう?

2016年05月01日 | コンサルティング

銀座通りを京橋に向って歩いて行くと、トレードマークの大きな赤いクリップが見えました。老舗文具店の伊東屋です。その店舗は細長いビルで、地下から最上階まで文房具と画材で埋め尽くされていました。入り口正面の手帳コーナーから上の階へと階段を登りながら、鉛筆、マーカー、画用紙、封筒、バインダー、クリップ、消しゴム等々・・・眺めては手に取るだけであっという間に時間は過ぎていきました。文房具が大好きな人間にとって、伊東屋はまさに聖地のようなところでした。

・・・過去形で書いてしまいましたが、いまも伊東屋はそこにあります。2015年6月に、2年近くかかった本店ビルの建て替え工事を終え、リニューアルオープンしたのです。

しかも、単なる建て替えではありません。思い切って店のコンセプトやレイアウトを変更したのです。その際に利用したのは、それまでに集積した次のような顧客購買行動に関するデータです。

1. 防犯カメラの画像から来店人数のカウントとお客様の動線などを収集、2. 3年分(2007年~ 2009年)のレジデータ、3. 店頭での来店者アンケート(200名)・・・こうした大量のデータを収集、分析して改装後の売り場レイアウトを決めました。

データの分析にあたっては、マルチ・エージェント・シミュレーター(MAS)を使った結果を参考にしました。MASは、複数のエージェントが独自のアルゴリズムに従って行動するとき、集団(全体)としてどのような結果を生むかをシミュレーションするプログラムです※1。

たとえば、映画館の中にたくさんの人が座って映画を観ているとします。そこに突然火災報知機が鳴り響き、人々が一斉に立ち上がって非常口へと走ります。前を走る人との間にスペースがあれば全速力で進み、ぶつかったら止まりを繰り返しながら、たくさんの人は非常口から外へと逃げて行きます。こうしたシミュレーションをコンピュータ上で行います。もちろん、火災時の挙動に限らず、様々な人の動きをシミュレートできます。

では、MASを参考にしてレイアウト変更を行った結果はどうなったのでしょう。

伊東屋によれば1人あたり平均購入点数で4.0%、客単価では3.4%増加したとのことです※2。マルチ・エージェント・シミュレーター恐るべし、といったところでしょうか。

ところが、新生店舗に対して否定的な顧客の声も聞こえてきます。次に、ある「文房具ファン」の声を紹介しておきましょう。

「以前の伊東屋は非常に多くの種類の文具を扱っていましたが、今はすっかり種類が少なくなってしまいました。テレビで伊東屋の社長が少品種にしたことを誇らしげに話をしていましたが、もはや文房具店とは言えないような気がします。センスの良い雑貨屋になったようです。銀座に行くたびに、特に用がなくても立ち寄っていましたが、これからはそういうこともなくなるでしょう。」

・・・さて、伊東屋は何を得て何を失ったのでしょうか。

売上の変化を見れば、リニューアルによって得たものの方が大きいことは間違いありません。

ただし、冒頭のように店舗を「過去形」で語る人たちがいることもまた確かです。

先日、おしゃれになった伊東屋の前を通ったとき、そんなことを考えていました。

(人材育成社)

※1) 現在、最も有名なMASとして株式会社構造計画研究所のartisoc があります。私も以前、artisocの前身であるKK-MASを使ったことがありますが、とても面白いものでした。機能限定版のartisocが付いている書籍も入手できますので、ご興味のある方は是非体験してみてください)。

Amazon.co.jp: artisocで始める歩行者エージェントシミュレーション 原理・方法論から安全・賑わい空間のデザイン・マネジメントまで (人工社会の可能性3: 兼田敏之代表編者, 構造計画研究所創造工学部, 名古屋工業大学兼田研究室: 本

※2) マーケティングコンサルティング導入事例~株式会社伊東屋様様~ | 構造計画研究所