行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

気が付けば、北海道の消えた鉄路は5線もあった

2022年11月27日 | 鉄道
コロナが我が家にもやってきた。症状は軽いので、療養中はワールドカップサッカーと撮りだめたビデオ鑑賞。ビデオは「鉄道」カテゴリーを録画する設定なっていることから、リストは「鉄道開業150周年」の番組が多い。
そんな中の番組の一つに、北海道のJR線が次々に廃止になっているという情報に触れることになる。私が北海道を路線を乗りつぶしにかかった10数年前からすると、一部路線を含む5路線にその影響が及んでいることに気づく。
最近、東京出張の際には新幹線をに乗ることはあっても、久しく列車旅・乗り鉄を楽しむことはほとんどなくなってしまった今、今年は北海道に2回ほどお邪魔しているものの、もう乗れない北の大地の鉄路に思いを馳せながら、当時の写真を思い起こして掲載させていただく。



北海道の鉄道の歴史は古い。開拓と炭鉱開発が日本の近代化に寄与してきたことは、前に小樽の「手宮線」を紹介したときのとおり。北海道でも有数の炭田地帯である夕張地方を走った「夕張線」は、2019年に廃止となった。
正式には、札幌方面から十勝地方への新路線「石勝線」が1981年に開通したことにより、石勝線の夕張支線として最後を迎えた。最後までという言葉では、この路線では蒸気機関車が国内では最後まで貨物輸送を担っていた路線でもある。
もちろん沿線の炭鉱が次々閉鎖され、その後観光にも力を注ぐがこれが失敗。夕張市は財政再建団体への道を歩むことになったことを思い出す。閉園してしまった「石炭の歴史村」は、子どもたちを連れて北海道旅行した際に立ち寄った場所。いい土地なんですがねー。(写真上:霧の中の夕張駅舎と夕張駅のホーム、2008年8月撮影)



南の江差線は、石灰石を搬出するために敷設された路線。上磯から江差の間は後から延長されたものだが、五稜郭と木古内間は「青函トンネル」の函館側路線として注目され、その後電化されている。北海道のローカル線では珍しい経歴の持ち主である。
この中で、JR発足時に輸送密度(1km当たりの1日平均利用客数)が道内でも最も少ない木古内と江差間が、新幹線の開業を待たずに2014年に廃止された。今回紹介する北海道の5路線の中で一番早く乗車した路線だが、アクセスには一番苦労した路線でもある。
廃止後、江差線は「津軽海峡線」となり、終着の木古内駅は北海道新幹線開業後は停車駅として整備されることに。並行在来線となった旧江差線・津軽海峡線は、第三セクターの「道南いさりび鉄道」へ移管されている。(写真上:江差線の終点・江差駅の駅舎と木古内駅のキハ40、2005年7月撮影)



「札沼線」は、札幌を起点として北に延びる路線だが、一定の距離はあるものの石狩川を挟んで函館本線と並行して走る路線。函館本線・滝川駅に近い石狩川右岸の「新十津川」が終点。当初は留萌本線の「石狩沼田」まで開通していたのでその路線名が付けられていた。
JR北海道の「維持困難区間」として2020年、北海道医療大学と新十津川間が廃止。しかし札幌近郊のニュータウン化や大学の移転などにより、いまは「学園都市線」と名を変えて全線電化され、札幌の市街地では高架化なども行われる。
私が、廃止前の札沼線で十津川駅まで行ったときに、駅までタクシーを呼んでいた。というのも、函館本線・滝川駅までは石狩川をはさんで直線だと2キロほど。効率よく乗りつぶすために呼んだクルマには「一緒させてください」と鉄ちゃんが乗り込んできたことを思い出す。新十津川とはそういう駅だった。(写真上:当時の終点・新十津川駅舎と石狩月形駅での列車交換、2008年8月撮影)



そして留萌本線。テレビドラマのロケ地としても知られる恵比島駅などがある路線は全線廃止もささやかれている中、2016年、留萌と増毛(ましけ)間が廃止されている。この時点で、「本線」と名がつく路線では最短路線となった。
留萌と増毛間の輸送密度は、廃止前の2014年の調査で39人/日で、最初に紹介した江差線の41人よりもさらに低い状況。JR北海道の幹部が沿線自治体を非公式に訪問して廃止を打診していったともいわれる。
留萌は、昔はニシン漁で栄え(数の子・タラコの加工も国内の拠点とされた)、大正期に近郊の炭鉱が発見、合わせて材木などの搬出に留萌線が大活躍したのだが、いずれもトラック輸送に切り替えられ留萌線は衰退の一途をたどることになる。一時期は「SLすずらん号」(「すずらん」はNHKのテレビドラマのタイトル)が運転され、脚光を浴びたのだが…。(写真上:留萌本線のかつての終着駅・増毛の駅舎と構内、2008年8月撮影)



2015年に発生した高波による被害を受け、鵡川(むかわ)と様似の間が長らく不通だった日高本線。以前紹介した苫小牧軽便(王子軽便)鉄道の「海線」の延長でもあるが、昨年(2021年)4月に同区間が廃止となりバス転換されている。
海岸線に近い風光明媚なところを列車が走ることで人気のあった路線であるが、海に近いことが仇になってしまった。「本線」と名がついているものの、すでに支線はなく、前述の留萌本線を抜いて一番短い本線となる(営業キロ30.5キロ)。
沿線の7つの自治体は揃って復旧を望む声を上げていたが、その後も続く台風被害や地震の影響もあり現実路線へとトーンダウン。録画された番組の中で、最後まで復旧を主張し続けた浦河町の池田町長は「これが今後のローカル線の姿」になると訴えていたのが印象的だった。(写真上:日高本線の終点・様似駅ホームと駅前の様子、2008年8月撮影)

次は函館本線が危ない!いや、日高線のことを考えると、岩泉線もそうだったように、自然災害に見舞われた米坂線画どうなるのか心配になってきた。いつかの機会に、また日本のローカル線を紹介していきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする